新選組のユニフォームを作ったのは天下の大富豪、鴻池善右衛門(こうのいけ ぜんえもん)だったの?

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★歴史★
問題:落語に「鴻池の犬」という演目があります。大坂の豪商鴻池に貰われていった真っ黒な犬は食べ物がよく、運動も十分で貫禄がつき、飼い主同様に犬の世界での親分として君臨しています。ある日、身体中皮膚病だらけのみすぼらしい野良犬がやってきます。親分が憐れんで身の上話を聞いてやると、あら不思議、野良犬は親分と血を分けた兄弟だったことが判明します。「人の禍福は生まれつきでは決まらない。運と努力次第では天国にも地獄にもなりうる」という教訓みたいな、でもやっぱり教訓じゃないなというお話です。
■江戸時代、鴻池善右衛門という名前は、富豪の代名詞として全国に知られていたようです。その名前は、落語で言えば「はてなの茶碗」、「須磨の浦風」、「水屋の富」、「三十石」、「高宮川天狗酒盛」などにも登場します。
■他の豪商や歌舞伎の名優たちと似ていて、鴻池善右衛門の名前は代々引き継がれていたようです。初代は元禄(げんろく)6年(1693年)に亡くなっています。江戸時代の初期に活躍したようです。本日は10代目の命日らしい。天保(てんぽう)12年(1841年)に生まれ、大正9年(1920年)に亡くなっています。幕末、明治、大正の激動期を生き抜き、男爵に叙せられた人物だそうです。
■では、10代目の90回目の祥月命日にあたり、故人の遺徳をしのびつつ、鴻池善右衛門にかんする雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか? (正解は複数かも)
[い]先祖は「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」の台詞で有名な武将、山中鹿之助(しかのすけ)である
[ろ]最初は醸造業から始め、やがて金融業に進出し、大名貸まで行なうようになった
[は]新選組の象徴である全体が水色で袖口がギザギサに白い制服の羽織は10代目が作った
[に]鴻池善右衛門の遺伝子は、いまなお三菱東京UFJ銀行に伝わっている
[ほ]鴻池運輸や鴻池組(土木建設)は現代に生きる鴻池財閥の企業である
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]と[ろ]、[に]が正しい
説明:[い]先祖は「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」の台詞で有名な武将、山中鹿之助である(○)
■Wikipediaには、「遠祖は尼子氏家臣の山中幸盛(ゆきもり)であると言われている」とありました。
□山中幸盛は通称は鹿介、よく知られた名前では山中鹿之助(しかのすけ)ですね。「お願い、私を苦しめて」と発言しているところから被虐性向があったのかもと疑われています。嘘です。講談などでは「我に七難八苦を」という話が出てくるようですが、当時の記録には残っていないらしい。
□山中幸盛は天正(てんしょう)6年(1578年)に殺されたようです。その子供の鴻池幸元(ゆきもと)が伊丹の地で酒造業を始めたらしい。天下に武名を轟かせた武将の子供が突然酒屋に転身するのは変ですけど、いろいろあって9歳ぐらいで流浪の身となっているらしい。生きるためにさまざまな試行錯誤を重ね、そのひとつが醸造業だったと想像されます。
□すでに慶長(けいちょう)4年(1599年)ごろには、江戸に酒を送り始めているらしい。関西の酒が江戸で販路を開拓したのは、幸元が元祖のようです。関ヶ原の戦いの前年に江戸の発展を見越していたあたりに商才を感じますね。
□事業は子供たちに受け継がれます。その1人が善右衛門正成(まさなり?)という人物だったようです。つまり、初代鴻池善右衛門から見ると、尼子十勇士の猛将山中鹿之助氏はお祖父さんにあたるらしい。
[ろ]最初は醸造業から始め、やがて金融業に進出し、大名貸まで行なうようになった(○)
■兵庫県から大阪府にも進出した鴻池家は、前項で見るように江戸へと製品を運んで販売し、利益を出したようです。やがて陸路ではとうてい間に合わないので、海路でということになり、海運業にも進出していったらしい。
□海運業では、酒だけでなく米も運ぶようになり、大名とのつきあいができたそうです。その関係から大名貸が始まります。大名相手の金融業です。担保は多そうですけど、まさか貸し倒れたときには城を差し押さえるというわけにもいかないでしょうし、つきあいはむずかしそうですね。
□寛文(かんぶん)10年(1670年)には、幕府御用の両替商として十人両替という地位にもついているそうです*1。
[は]新選組の象徴である全体が水色で袖口がギザギサに白い制服の羽織は10代目が作った(△)
■新選組の前身に浪士組というのがありましたね。芹沢鴨(かも)という乱暴な親分がいて、永倉新八(しんぱち)、山南敬介(やまなみ/さんなん けいすけ)などの猛者を連れて10代目鴻池善右衛門を訪ねたそうです。10代目の年齢はおそらく20代だったと思われます。血の臭いのする獰猛な連中と対峙して、あまりいい気持ちはしなかったでしょうね。帰るとき、芹沢鴨の懐には200両の金があったといわれます。
□芹沢鴨はこの金で隊士たちの衣類を整えたそうです。独特の意匠の羽織も、大丸呉服店に注文して作らせたらしい。せっかくの制服ですが、安物で質が低かったので、やがて誰も着なくなったともいわれます*2。
□もし、200両が、いわゆるみかじめ料として支払われたなら、制服は10代目が作ったとはいえません。新選組の方針に賛同して「私に制服をまかせてください」といいだしたなら、10代目が作ったことになるのかな。はっきりしないので△にしました。
[に]初代鴻池善右衛門の遺伝子は、いまなお三菱東京UFJ銀行に伝わっている(○)
■三菱東京UFJ銀行は平成18年(2006年)に東京三菱銀行とUFJ銀行の合併によって生まれました。UFJ銀行は、平成14年(2002年)に三和銀行と東海銀行の合併によって生まれたそうです。三和銀行は名前のとおり、3つの銀行が昭和8年(1933年)に合併した産物らしい。そのひとつが鴻池銀行とのこと。
□鴻池銀行は明治10年(1877年)に10代目によって設立された第十三国立銀行だったそうです。国立銀行を民間人である鴻池家が開業するのはちょっと変ですけど、ともかくそういうことだったらしい。明治30年(1897年)に普通銀行の鴻池銀行に転換したそうです*3。
□旧三和銀行のころ、「since1656」という表記があったそうです。これは初代善右衛門が金融業を始めた年を示していたとのこと。
[ほ]鴻池運輸や鴻池組(土木建設)は現代に生きる鴻池財閥の企業である(×)
■鴻池組は大阪の準大手ゼネコンだそうです。鴻池運輸は、鴻池組からわかれた運送会社らしい。
□参考資料*4によれば、「直接の連続性はない」とのこと。鴻池組は、鴻池忠治郎(ちゅうじろう?)という侠客が明治4年(1871年)に創業したそうです。鴻池運輸は昭和20年(1945年)に分離独立したらしい。江戸時代以前からあった鴻池家です。侠客だった人とも薄い血のつながりはあるかもしれませんけど、鴻池財閥の企業とはいえないらしい。
◆参考*1:HP「鴻池善右衛門 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%BB%E6%B1%A0%E5%96%84%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80
◇*2HP「第三回 傑物芹沢の功罪」
http://www4.ocn.ne.jp/~mibu/shinsengumi/kamo.html
◇*3HP「鴻池銀行 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%BB%E6%B1%A0%E9%8A%80%E8%A1%8C
◇*4HP「鴻池財閥 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%BB%E6%B1%A0%E8%B2%A1%E9%96%A5

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