津田梅子が津田塾を創設した日。源氏物語をポルノと断じたのはホント?

画像

問題:●明治33(1900)年の今日、9月14日。当時の女子高等教育の第一人者、津田梅子(つだうめこ)が一切の公職を辞し、東京麹町に女子の英語塾を設立したそうです。現在の私立津田塾大学の草創期の姿らしい。最初は私立の英語塾として6畳2間のささやかな私塾から始まったそうです。
●では、明治の偉大な女性教育家、津田梅子女史に関する雑学です。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
[い]わずか12歳のときにアメリカに留学している
[ろ]日本に帰ってみたら日本語を忘れ、通訳が必要だった
[は]大隈重信に下田歌子を紹介された
[に]源氏物語を「文学的価値が全く認められない、わいせつなポルノ小説」だと評した
[ほ]津田梅子女史の墓に参ると婚期が遅れるという噂があった
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]と[に]、[ほ]が正しい
説明:●[い]わずか12歳のときにアメリカに留学している(×)
正しくは「わずか6歳のときに…」です。津田梅子女史は、元治元(1864)年12月8日に生まれています。西暦では1864年の大晦日らしい。明治4(1871)年11月12日、西暦では12月23日に岩倉使節団に随行して渡米しています。いまふうに言えばもうじき7歳。小学校1年生のときにアメリカ留学ということかな。もちろんお父さんが決めたことですけど、それにしても凄いな。ちなみに一緒に留学した11歳の山川捨松(やまかわすてまつ、女性)は、「国のため捨てたつもりで帰国を待つ」という意味で留学前に母親が改名したらしい。それぐらいの覚悟が必要だったんでしょうね。
○どうでもいい話ですが、参考資料*1、*2とも「8歳」と書かれています。計算上は「満」ならば6歳です。「数え」で勘定しているのかな。
●[ろ]日本に帰ってみたら日本語を忘れ、通訳が必要だった(○)
津田梅子が日本に帰国したのは、明治15(1882)年の11月だそうです。満17歳でしょうか。米国暮らしのほうが長いので、日本語もほとんど忘れていたらしい。同じ明治教育界の先駆者、下田歌子(しもだうたこ)に日本語を習ったと言われます。
●[は]大隈重信に下田歌子を紹介された(×)
正しくは「伊藤博文に…」です。下田歌子は、実践女子学園を創立したとのこと。津田梅子と会ったときには、華族子女を対象とした桃夭女塾(とうようじょじゅく?)を開設していたそうです。ちなみに「桃夭(とうよう)」とは「嫁ぐ若い女性の美しさを桃のみずみずしさにたとえた語」だそうです。
●[に]源氏物語を「文学的価値が全く認められない、わいせつなポルノ小説」だと評した(○)
明治政府参議だった末松謙澄(すえまつけんちょう)が、英訳した「源氏物語」を校正してくれと頼んだらしい。このとき、見出しのような理由で断ったそうです。
●[ほ]津田梅子女史の墓に参ると婚期が遅れるという噂があった(○)
津田塾大学の情報誌に、かつてそんな伝説があったと書かれていたらしい。女子学生らしい噂話ですね。津田女史は苦笑いしているかな。
◆参考*1:書籍「日本歴史新聞366」小学館
◇*2HP「津田梅子 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E6%A2%85%E5%AD%90
◇*3HP「下田歌子 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E7%94%B0%E6%AD%8C%E5%AD%90
◇HP「http://yoinfoseek.hp.infoseek.co.jp/sub2050.htm」(口絵の参考にさせて頂きました)
http://yoinfoseek.hp.infoseek.co.jp/sub2050.htm

ぬけられます→歴史雑学クイズ一覧

"津田梅子が津田塾を創設した日。源氏物語をポルノと断じたのはホント?" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント