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zoom RSS 室町幕府の6代目と似て、西ローマ帝国の皇帝も籤(くじ)で決まったことがあったの?

<<   作成日時 : 2017/08/02 07:43   >>

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★歴史★
問題:ご存知のとおり、室町幕府の6代目将軍、足利義教(よしのり)は籤引き(くじびき)で選ばれた将軍です。応永(オウエイ)32年(1425年)、5代目の義量(よしかず)は急病で19歳という若さで頓死します。義量には子供がいなかったらしい。実父の4代目将軍義持(よしもち)がピンチヒッターとして職務をこなしたようですが、義持も応永(オウエイ)35年(1428年)に急病に倒れてしまいます。義量以外の子供はいなかったらしい。
■重臣たちは後継者問題を協議すべく集まり、臥(ふ)せっている義持の意見を聞きます。でも義持はお前たちが決めろの一点張りで後継者を指名しません。重臣たちにいつも無視されてきたので、どうせ俺の意見なんかきく気はないんだろうと、すねていたのかな。
■重臣たちが出した結論は、義持の4人の弟たち、つまり3代目義満の残された息子たちのうちから1人を籤引きで選び出すという方法でした。義持に諮る(はかる)と「自分が存命中には籤引きをしない」ということを条件として承諾したそうです。でも重臣たちは没後の籤引き(くじびき)は混乱を招くとかなんとか理由をつけ、こっそり生前にやっちゃったそうです。これで選ばれたのが青蓮院(ショウレンイン)というお寺さんに出家していた義円(ギエン)という人物でした。候補になった弟たちは、みんな坊さんになっておとなしく暮らしていたようです。
■義円は呼び出され、還俗させられ、6代目として将軍職に就かされます。永享(エイキョウ)元年(1429年)のことでした。最初のうちは重臣たちのいいなりだったようです。でもそのうちに自分の意見を言うようになります。徐々に意見を通すようにもなります。多少強引にもなっていき、一種の専制政治が始まったらしい。その結末として嘉吉(カキツ)の乱が起こり、義教は不満を持った守護大名、赤松満祐(マンユウ、みつすけ)に殺されてしまうわけですね。1441年(嘉吉(カキツ)元年)のことでした。
■何代も最高権力者が継承されていけば、そのうちには奇妙な選ばれかたをする者も出てくるようです。日本だけでなく、西ローマ帝国でも、ちょっと不思議な選出方法で帝位についた人物がいるらしい。西暦193年といいますから、日本では弥生時代でしょうか。西ローマ帝国の19代目の皇帝は、元老院に選ばれることなく、ちょっと変わった方法で皇帝になったらしい。ではそれはどんな方法だったのでしょうか? 選択肢から選んで下さい。
[い]立候補したものに籤を引かせて決めた
[ろ]2人の立候補者が決闘して勝者に決まった
[は]皇帝位を競りにかけ、最高金額のものが落札した
[に]複数の名高い占い師を呼び、それぞれに将来を予見させ、薔薇色に見えるほうを選んだ
[ほ]当時の最高の学者が作った試験問題を課し、知恵と人格を判断した
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]皇帝位を競りにかけ、最高金額のものが落札した
説明:西暦192年の大晦日。第17代皇帝であるコンモドゥス帝が暗殺されます。なかなかの専制君主だったようです。
■来年には近衛隊長官とほとんどの元老院議員を処刑しよう。そんなメモ書きを残していたらしい。ところが、少年の愛人とイチャイチャしている間に、愛妾(もちろん女性)にそのメモ書きを見られてしまったらしい。処刑予定者の一覧には愛妾自身も入っていたそうです。仰天した彼女は、名前を連ねていた要人たちに知らせます。二刀流の皇帝は、情報管理の不行き届きにより、あっさり逆襲を受け、在位13年ほどで強制退位することになります。
■次を襲ったのはペルティナクスという人物です。自由民出身だったらしい。政治家としては素人だっのでしょうか。ペルティナクスは元老院と近衛隊の支持を失って、わずか3ヶ月で暗殺されたそうです。
■適当な皇帝の候補がいなかったため、近衛隊は元老院に相談することなく独断で「帝位競売」を催すことに決めたらしい。ペルティナクスの義理の父であるスルピキアヌスという人物が真っ先に名乗りを挙げたそうです。このときディディウス・ユリアヌス(以下ユリアヌス)は家族で晩飯を食っていたらしい。知らせを聞いて急いで競売会場に駆けつけます。でも門は閉じられており、外から大声を張り上げて競売に参加したらしい。兵士らは内側と外側の2人の候補者の間を移動しては両者にお互いの金額を伝えていったそうです。
■「最終的に全近衛兵に2万セルティウスの支払いを約束したスルピキアヌスに、ユリアヌスは自分は2万5000セルティウスを支払うと宣言した。暫しの協議の後に兵士は門を開け、ユリアヌスに『皇帝陛下』と呼びかけて宮殿へと招き入れた。元老院はユリアヌス側に付いた近衛隊に恫喝されて意見する事もなく皇帝即位を了承し、妻にも皇妃の称号を与えた」*3。193年の3月28日には帝位に就いています。
■でも、怪態(ケッタイ)な選出方法だっただけに人民には人気がなかったようです。投石を受けて元老院議事堂に向かう道を阻まれたりしたらしい。不人気ぶりが伝えられるとローマの周辺にいた軍の実力者たちが中心に乗り込んできます。そのうちの1人、セウェルスは元老院から正式に帝位を認められ、ユリアヌス帝の権力継承は無効とされてしまいます。
■6月1日。オークションで選出されたユリアヌス帝は、近衛兵に暗殺され、強制的に退位させられてしまいました。籤とか競りなどの珍妙な方法で選ばれた権力者の末期は暗殺が相場なのでしょうか。「私が何をした?…私が誰を殺したというのだ」という最期の言葉がなんとなく哀れをさそいます。口絵はWikipediaに掲載されていたユリアヌス帝の想像図です。
◆参考*1:HP「嘉吉の乱 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E5%90%89%E3%81%AE%E4%B9%B1
◇*2HP「くじ引きで将軍になったのは誰? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200707/article_71.html
◇*3HP「ディディウス・ユリアヌス - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8C%E3%82%B9

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