町人思案橋・クイズ集

アクセスカウンタ

zoom RSS 江戸幕府の最高幹部同士の殺し合い。動機はどんなものだったの?

<<   作成日時 : 2017/08/30 07:05   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
★歴史★
問題:貞享(ジョウキョウ)元年8月28日。西暦では1684年10月7日。この日は総登城日だったそうです。江戸城内は慌ただしい空気に包まれていたらしい。御用部屋には大老の堀田正俊(まさとし)をはじめ、老中や若年寄などの最高級幹部が控えていました。5代将軍綱吉の出座を待っていたようです。ちなみに御用部屋とは、「江戸城における大老、老中、若年寄の詰所。幕政の決議が行われた」とのこと。現代でいえば、官邸の閣議室なのかな。
■若年寄の稲葉正休(まさやす)が堀田正俊に何か耳打ちをしたと思うと、2人は廊下に出て行きます。やがてただならぬ音が聞こえます。他の老中たち、大久保忠朝(ただとも)や阿部正武(まさたけ)が様子をみてみると、脇差を抜いた稲葉正休が堀田正俊の胸を刺していました。
■「殿中でござるぞ!」と、17年後の松の廊下の場合のような声がかかったかどうかはわかりません。ともあれ仰天した高級幹部は、脇差を抜くと稲葉正休に斬りかかりました。「膾(なます)を叩くようだった」と描写されるほど、何度も斬りつけられたようです。稲葉正休はその場で絶命します。
■堀田正俊は医師の手当てを受け、重体のまま自邸に運ばれたものの、息をひきとったらしい。結果としては相打ちみたいなことになりました。堀田正俊は満49歳。稲葉正休は満44歳ぐらいでしょうか。若年寄が大老を殺害するという前代未聞の出来事に城中は大騒ぎ。もちろん将軍の謁見は中止になったようです。
■幕府は正式な文書では事件の動機は稲葉の「発狂」で片付けたらしい。でも世間ではいくつかの噂がささやかれたようです。そのうち、とくに有力と思われるのが2つあり、現代にまで伝わっています。では、それは次のどれでしょうか? (有力な噂は無いかもしれないし複数かもしれません)
[い]稲葉正休のカミサンに堀田正俊が横恋慕し、ちょっかいをだしたのを恨みに思った
[ろ]なんでも直言する堀田正俊を煙たがった綱吉が、稲葉正休に命じて暗殺させた
[は]稲葉正休が提出した淀川補修工事の見積りが高すぎると堀田正俊にケチをつけられた
[に]稲葉正休が歌舞伎町の出会い系バーに入り浸っていることが露顕し、堀田正俊に強く意見されたことを恨んだ
[ほ]堀田正俊が稲葉正休の二重国籍に気付き、将軍にばらすぞと脅した
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]なんでも直言する堀田正俊を煙たがった綱吉が、稲葉正休に命じて暗殺させたと、[は]稲葉正休が提出した淀川補修工事の見積りが高すぎると堀田正俊にケチをつけられた
説明:堀田正俊は、3代将軍家光の乳母である春日局につながる門閥だそうです。稲葉正休もまた同様であり、2人は血縁かどうかはわかりませんが、親戚の仲ではあったようです。
■4代将軍家綱が亡くなったとき、後継者問題ですったもんだがあったらしい。家綱には実子がいなかったようです。大老酒井忠清(ただきよ)は鎌倉幕府に真似て有栖川宮幸仁親王(ありすがわのみやゆきひとしんのう)を将軍として迎えようと提案したそうです。酒井忠清は当時の最高権力者だったので、この提案が通るかと思われました。でも、水戸光圀などと並んで反対したのが堀田正俊らしい。彼らは綱吉を推し、結果として徳川の血を少しでも引いている5代目の将軍が生まれたようです。綱吉は家光の子、家綱の弟だったらしい。
■酒井忠清は大老をクビになり、かわりに堀田正俊が大老に就任します。ところがこの堀田正俊は昔堅気のいっこく者で、将軍にもズバズバと物を言います。事件の翌年、貞享(ジョウキョウ)2年(1685年)から例の生類憐れみの令が布告されはじめます。堀田正俊はこれにも反対していたと言われます。「将軍にしてくれたのは有り難いけど、あいつ少しうるせえな」。綱吉君はそう感じたのではないか。少なくとも世間はそう見ているらしい。
■もうひとつの噂は、淀川氾濫の補修工事についてです。稲葉正休は自ら出向き、改修工事の予算を4万両と見積ります。享保(キョウホウ)15年(1730年)の幕府の会計が79万8800両の歳入だそうです。その5%近くに当たる4万両です。堀田正俊は高すぎると感じたらしい。大商人であり、土木家でもある河村瑞賢(ズイケン)を派遣し、見積りをさせてみたようです。河村瑞賢の見積りは稲葉正休の見積りの半分だったとのこと。
■堀田正俊は河村瑞賢の提案を採用します。稲葉正休は堀田正俊の屋敷を訪ねて翻意を願いでますが、「一族だからといって、依怙贔屓(えこひいき)はできない」と断られたらしい。稲葉正休は体面を傷つけられたと深く恨み、犯行に及んだというのですが。
■事件後、綱吉は自分の胸に誰かの刃物が刺さるのは困ると考えたようです。物騒な御用部屋を将軍の居室から遠ざけました。大老職を置かず、将軍と老中たちとの連絡係として側用人という職を設け、意のままに幕政を執り行うようになったようです。側用人は役料1万石ではありますが将軍の声を老中たちに伝えるという役目柄、幕臣最高の権力者になったらしい。柳沢吉保(よしやす)が有名ですね。
◆参考*1:書籍「江戸の醜聞事件帖」文庫初版135〜137頁、中江克己(かつみ)著、 ISBN978-4-05-901265-8、学研パブリッシング
◇*2HP「堀田正俊 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E7%94%B0%E6%AD%A3%E4%BF%8A
◇*3HP「稲葉正休 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%91%89%E6%AD%A3%E4%BC%91

ぬけられます→歴史雑学クイズ一覧

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
江戸幕府の最高幹部同士の殺し合い。動機はどんなものだったの? 町人思案橋・クイズ集/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる