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zoom RSS 大森貝塚を発見したモースの逸話。東大教授時代、頼み方が上手で総長がちょっと困ったの?

<<   作成日時 : 2017/06/24 07:39   >>

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★歴史★
問題:エドワード・モースは明治10年(1877年)に来日しました(口絵参照、Wikipediaより)。そもそもの目的は専門である動物学、貝類の研究だったようです。日本は貝類の種類が豊富だと知られていたのかな。
■新橋と横浜を結ぶ汽車の窓から大森貝塚を発見します。誰もが眺めていた景色です。でも日本人は誰も気付かなかった。専門家だけがピンと来るわけですね。発掘を指揮し、研究を進めました。
■モースは乞われて東京大学の教授に就任します。設立された当初の東大は、外国人教授の大半が研究実績もない宣教師ばかりだったそうです。モースは呆れて連中を辞職させるとともに、日本人講師と協力し、専門家の招聘に尽力します。物理学の教授にはトマス・メンデンホールを、哲学の教授にはアーネスト・フェノロサを招きました。前者は日本学士院に遺産の一部を寄贈し、メンデンホール賞が創設されています。後者は弟子の岡倉天心(テンシン)の名前とともに日本美術史に輝く人物ですね。日本の美術を保護し、育成することにつとめました。
■さて、エドワード・モース氏が東大の教授をつとめていたころの話です。彼はさまざまな依頼を大学側にするのですが、その頼み方が巧みで、初代綜理(ソウリ、総長)である加藤弘之(ひろゆき)はちょっと困っていたようです。では、その頼み方とはどんなものだったのでしょうか? 選択肢の中から選んで下さい。
[い]「わかった、その件は承諾しよう」という答をもらうまで何時間でも黙って座って待っていた
[ろ]講義のように黒板に図を描き、相手が納得するまでいくらでも角度を替えて説明した
[は]要求が通らないと感情的になり、涙を流して泣き落とし戦術をとった
[に]依頼したあとで突然に土下座をした
[ほ]疾風のように綜理室に現れ、要求をまくしたて、綜理が答えないうちに上手に礼を述べて去った
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]疾風のように綜理室に現れ、要求をまくしたて、綜理が答えないうちに上手に礼を述べて去った
説明:加藤弘之という人は蘭学を学び、ドイツ語も習得していたようです。明治天皇への洋書進講を担当していたとのこと*2。英語も出来ないはずはありません。でも読む・書くの能力と聴く・話すの能力は別物です。加藤弘之はついていけなかったのかもしれません*2。
■モースの弟子だった石川千代松という人は加藤弘之から次のような話を聞いているそうです。「モースの後任のホイットマンが何か頼みに来るときは、まず腰を下ろし、静かに重い調子で諄々と説明するので、こちらもゆっくりと話を考えるゆとりがあった。そこで、もっともなことでも金が無ければ、窮状を話して頼みを断ることもできたが、モースはそうは行かない。疾風のように綜理室に飛び込んできて、自分がして欲しいことを頼んで、こちらでまだ答えないうちに上手に礼を述べてサッと消えてしまう。その話し方がいかにも巧みなので、後から断るのが難しく、ほかを断ってでもモースの頼みをかなえてやることになる」。
■大隈重信(しげのぶ)もモースに騙された(?)1人らしい。ある日、モースは大隈邸を訪れ、珍蔵する陶器を見せて貰います。日本の陶器についてモースが熱弁をふるううち、大隈重信は突然、「そんなに珍しい品なら、この陶器をすべて差し上げましょう」と言い出します。その晩のうちに大八車に山のように陶器を積んでモースの家に届けさせてしまったそうです。モース自身は一言も「欲しい」とは言っていなかったらしいのですが。
■のちに大隈重信は次のように語っているらしい。「先日モースに見せた陶器は大事なもので、あれはけっして先生にあげたくはなかった。だが、話しているうちにどうしてもあげなくてはならぬような気になってしまった。こういう人が外交官にでもなったら油断はできない」。大隈重信はキリシタン弾圧事件の際にイギリス公使パークスとの交渉で勝利をおさめるほどの人物です。英会話が苦手だからあげちゃったということではなさそうです。モースの情熱は他人まで巻き込んでしまう不思議な雰囲気があったようです。
■後年、モースは自分の陶器の収集品5000点をボストン美術館に売却して管理に当たったそうです。その中には大隈重信から贈られた品々も入っていたかもしれませんね。なお、売却したといっても、金目当てではなさそうです。個人では管理できなくなったと見るべきでしょう。
■最晩年に関東大震災で東京帝国大学図書館が壊滅したと聞いたモースは、蔵書をすべて東京帝国大学に遺贈すると遺言を書きかえたとのこと。その2年後の1925年(大正14年)に亡くなり、1万2000冊に及ぶ書籍が送られてきたそうです。
◆参考*1:書籍「世界人物逸話大事典」初版1015頁、朝倉治彦・三浦一郎編、ISBN4-04- 031900 -1、角川書店
◇*2HP「あのモースがいたく感心した江ノ島の宿屋の箱枕にはなにがついていた? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200611/article_62.html
◇*3HP「エドワード・S・モース - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%B9

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