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zoom RSS 鎌倉の材木座海岸で大量の人骨。新興宗教の集団自殺なの?

<<   作成日時 : 2017/06/17 06:24   >>

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★歴史★
問題:いまから60年余り前。鎌倉の材木座海岸で大量の人骨が発見されました。約910体分と見られる遺骨は、科学捜査研究所の手によってひとつずつ年齢や性別が特定され、死因が鑑定されます。このとき、榊マリコ研究員をはじめとする研究員たちも京都府の科捜研から応援にかけつけたらしい。番組は中断したようです。ん? 時代がちょっと違うかな。
▼材木座海岸
◇*HP「材木座海岸 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%9D%90%E6%9C%A8%E5%BA%A7%E6%B5%B7%E5%B2%B8&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiSzLql8f_SAhWJxrwKHRdJCtAQ_AUICSgC&biw=1097&bih=537#spf=1
■鎌倉の材木座で約910体の遺骨が発見されたのは事実です。この場所は戦前から人骨がよく見つかる場所として知られていたらしい。ではこの遺骨はどんな人のものだったのでしょうか? 選択肢の中から選んでください。
[い]弥生時代の共同墓地に埋葬された人たち
[ろ]奈良時代ごろに疫病の流行で亡くなった人たち
[は]新田義貞(よしさだ)と鎌倉幕府の軍が戦った戦死者たち
[に]後北条氏と上杉謙信が衝突した戦闘で亡くなった兵士たち
[ほ]天保(テンポウ)時代に幕府と対立し、弾圧に抗議の集団自殺をした新興宗教の信者たち
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]新田義貞(よしさだ)と鎌倉幕府の軍が戦った戦死者たち
説明:昭和28年(1953年)〜昭和31年(1956年)にかけて3回にわたり、東京大学人類学教室鈴木尚(ひさし)博士らによって材木座の鎌倉簡易裁判所用地が発掘されたそうです。人骨は大小32の穴から発見されました。
■こちらの穴では全身骨格がそろっているかと思えば、あちらの穴では頭蓋骨だけが200個も出土します。そちらの穴からは手足の骨だけが出てくる。そして中には刀の傷や経文の墨書のある頭蓋骨もあったそうです。バラバラになっていた手足の骨には、ほとんどに野犬のものと見られる噛み傷が見られたらしい。成人男性のものが多く、女性や老人、子供は少なかったようです。
■炭素の同位体による年代測定をするまでもなく、鎌倉時代と判明したらしい。人骨と一緒に鎌倉時代の陶器片や宋銭が出土したからです。また、同様の人骨群が、のちに極楽寺でも発見されたとのこと。
▼鎌倉簡易裁判所と極楽寺と遊行寺
◇*HP「鎌倉簡易裁判所 から 遊行寺 - Google マップ」(画像)
https://www.google.co.jp/maps/dir/%E9%8E%8C%E5%80%89%E7%B0%A1%E6%98%93%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80,+%E3%80%92248-0014+%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82%E7%94%B1%E6%AF%94%E3%82%AC%E6%B5%9C%EF%BC%92%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%92%EF%BC%93%E2%88%92%EF%BC%92%EF%BC%92/%E6%A5%B5%E6%A5%BD%E5%AF%BA,+%E3%80%92248-0023+%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82%E6%A5%B5%E6%A5%BD%E5%AF%BA%EF%BC%93%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%96%E2%88%92%EF%BC%97/%E9%81%8A%E8%A1%8C%E5%AF%BA,+%
■人骨の様子などから考えられるのは、鎌倉時代にそこで大規模な戦闘があったこと。多くの犠牲者が出たこと。しばらくは放置されていたことだそうです。
■鎌倉でおこなわれた合戦でそれに該当するような大規模なものは、新田義貞の鎌倉攻めが考えられるようです。「信濃金台寺文書」には、その合戦のあとで藤沢の遊行寺(ユギョウジ、清浄光寺とも)の坊さんたちが死体を片付け、供養したという記録が残っているとのこと。
■話を盛りすぎる傾向がある「太平記」では*2、鎌倉の滅亡についてつぎのように記しているそうです。「浜風烈しく吹きしいて……十町、二十町が外に燃え付く事、同時に二十余箇所なり。……鎌倉中を考ふるに、(死者は)すべて六千余人なり……」。発掘の結果や発掘前に失われた人骨をも考えると、「太平記」の記す死者数は「途方もない誇張」ではないのかも。多くの死者が出たのは間違いないらしい。
◆参考*1:書籍「日本史こぼれ話 古代・中世 正編」新書初版138〜139頁、笠原一男/児玉幸多編、ISBN4-634-60330-6、山川出版
◇*2HP「楠木正成(まさしげ)が戦った鎌倉幕府の大軍は80万人もいたの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201210/article_8.html

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