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zoom RSS 平安時代には大きいほうから暗誦していた九九。どんな理由があったの?

<<   作成日時 : 2017/05/23 06:27   >>

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★科学★
問題:敦煌(トンコウ)の出土品から九九の表が見つかっているそうです。3000年以上も前の遺物らしい。紀元前1000年以上前です。日本ではようやく弥生時代に入ろうとしていたころかな。
■エジプトではもっと古くから九九があったかもしれません。Wikipediaによれば、紀元前3000年〜300年ごろの数学を指して古代エジプト数学と呼ぶらしい。やがて周辺地域にも伝わります。バビロニア数学やギリシャ数学が発展するそうです。
■九九の表は、日本では奈良時代ごろに中国から輸入されたらしい。7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた「万葉集」には、当て字として「八一」を「くく」と読ませたり、「二五」を「とを」、「十六」を「しし」、「二二」を「し」と読ませる事例があるそうです。たとえば巻6の冒頭には次のような歌が記されているらしい。2行目の終わりのほうの「二二」は「し」と読ませるそうです。
---滝上之御舟乃山爾水枝指四時爾生有
---刀我乃樹能弥継嗣爾万代如是二二知三
---三芳野之…
「吉野川の激流のほとりの御船の山に、みずみずしい枝を張り出し、すき間なく生い茂る栂(つが)の木、そのように次々と、いつの代までこのようにお治めになっていく…」*2といった意味らしい。権力者の賛美。あわよくば出世したい…という歌なのかな。
■現代では「一一が一」「一二が二」といった形で小さいほうから九九を暗誦していきます。ところが、奈良・平安時代の日本では、九九は大きいほうから暗誦していたそうです。「九九、八一」「九八、七十ニ」とだんだん下がっていったらしい。
■これにはちゃんとした理由があったようです。どんな理由だったのでしょうか? なお、参考資料*1「数学トリック だまされまいぞ!」に記載されていた理由を正解とします。
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★科学★
正解:計算を商売にしていた人たちの利益・権益を守るため
説明:参考資料*1によれば、奈良・平安時代の日本には、算置(サンおき)と呼ばれる計算専門家がいたそうです。街角に算所(サンジョ)という店を構えて人々からお金をとって計算を引き受けたとのこと。「一説によると、彼等が自分の職業をうばわれないようにするため、掛算の基本である「九九」をおぼえるのを、難しくすることから大きい方順に並べた、とのことである」*1。「九九、八十一」「九八、七十二」と覚えるのはきっとたいへんだったのでしょうね。
■なお、算置は「遺産を7等分に分割して欲しい」などという実用の計算もしたようですが、「いつまで生きられるか」といった非実用の計算もしたらしい。現代の人工知能でも運命はなかなか計算できないような気がしますけど。昔の人は大胆ですね。辞書によれば、算置は下級の占い師と見られていたそうです。上級の占い師には陰陽師がいたらしい。
■商業が一般化し、商人ならば誰でも九九ぐらいは覚えねばならなくなった江戸時代、九九は小さいほうから始めるようになったらしい。以前にもご紹介した「ちんこふき」という大ベストセラーでは「一一が一」から始まっていたようです。
■失礼、正しくは「塵劫記(ジンコウキ)」でした。歴史的仮名遣いでは「し→ち」になることがあり、濁点は省くことがあります。「う→ふ」と置き換えられることがあります。で、昔の表記では「珍古拭き」みたいに見えるようです。
■話が脇道にそれました。「塵劫記」は算術の教科書らしい。寛永(カンエイ)4年(1627年)、江戸時代の初期に成立したそうです。多少内容を変えた改訂本を含め、明治に至るまでに300〜400種類の「塵劫記」が出版されたともいわれます。大ロングセラーですね。口絵は「塵劫記」の中の一場面です。木の高さを測っています。幾何の応用かな。
◆参考*1:書籍「数学トリック だまされまいぞ!」新書初版46〜48頁、仲田紀夫(なかだ のりお)著、ISBN4-06-132908-1、講談社
◇*2HP「万葉集【巻第六】」
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/mny0601.htm

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★科学★
問題:敦煌(トンコウ)の出土品から九九の表が見つかっているそうです。3000年以上も前の遺物らしい。紀元前1000年以上前です。日本ではようやく弥生時代に入ろうとしていたころかな。
■エジプトではもっと古くから九九があったかもしれません。Wikipediaによれば、紀元前3000年〜300年ごろの数学を指して古代エジプト数学と呼ぶらしい。やがて周辺地域にも伝わります。バビロニア数学やギリシャ数学が発展するそうです。
■九九の表は、日本では奈良時代ごろに中国から輸入されたらしい。7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた「万葉集」には、当て字として「八一」を「くく」と読ませたり、「二五」を「とを」、「十六」を「しし」、「二二」を「し」と読ませる事例があるそうです。たとえば巻6の冒頭には次のような歌が記されているらしい。2行目の終わりのほうの「二二」は「し」と読ませるそうです。
---滝上之御舟乃山爾水枝指四時爾生有
---刀我乃樹能弥継嗣爾万代如是二二知三
---三芳野之…
「吉野川の激流のほとりの御船の山に、みずみずしい枝を張り出し、すき間なく生い茂る栂(つが)の木、そのように次々と、いつの代までこのようにお治めになっていく…」*2といった意味らしい。権力者の賛美。あわよくば出世したい…という歌なのかな。
■現代では「一一が一」「一二が二」といった形で小さいほうから九九を暗誦していきます。ところが、奈良・平安時代の日本では、九九は大きいほうから暗誦していたそうです。「九九、八一」「九八、七十ニ」とだんだん下がっていったらしい。
■これにはちゃんとした理由があったようです。どんな理由だったのでしょうか? なお、参考資料*1「数学トリック だまされまいぞ!」に記載されていた理由を正解とします。
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★科学★
正解:計算を商売にしていた人たちの利益・権益を守るため
説明:参考資料*1によれば、奈良・平安時代の日本には、算置(サンおき)と呼ばれる計算専門家がいたそうです。街角に算所(サンジョ)という店を構えて人々からお金をとって計算を引き受けたとのこと。「一説によると、彼等が自分の職業をうばわれないようにするため、掛算の基本である「九九」をおぼえるのを、難しくすることから大きい方順に並べた、とのことである」*1。「九九、八十一」「九八、七十二」と覚えるのはきっとたいへんだったのでしょうね。
■なお、算置は「遺産を7等分に分割して欲しい」などという実用の計算もしたようですが、「いつまで生きられるか」といった非実用の計算もしたらしい。現代の人工知能でも運命はなかなか計算できないような気がしますけど。昔の人は大胆ですね。辞書によれば、算置は下級の占い師と見られていたそうです。上級の占い師には陰陽師がいたらしい。
■商業が一般化し、商人ならば誰でも九九ぐらいは覚えねばならなくなった江戸時代、九九は小さいほうから始めるようになったらしい。以前にもご紹介した「ちんこふき」という大ベストセラーでは「一一が一」から始まっていたようです。
■失礼、正しくは「塵劫記(ジンコウキ)」でした。歴史的仮名遣いでは「し→ち」になることがあり、濁点は省くことがあります。「う→ふ」と置き換えられることがあります。で、昔の表記では「珍古拭き」みたいに見えるようです。
■話が脇道にそれました。「塵劫記」は算術の教科書らしい。寛永(カンエイ)4年(1627年)、江戸時代の初期に成立したそうです。多少内容を変えた改訂本を含め、明治に至るまでに300〜400種類の「塵劫記」が出版されたともいわれます。大ロングセラーですね。口絵は「塵劫記」の中の一場面です。木の高さを測っています。幾何の応用かな。
◆参考*1:書籍「数学トリック だまされまいぞ!」新書初版46〜48頁、仲田紀夫(なかだ のりお)著、ISBN4-06-132908-1、講談社
◇*2HP「万葉集【巻第六】」
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/mny0601.htm

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