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zoom RSS 超有名な彫刻家・芸術家に仏像を発注。手付け金はいくらぐらい渡したの?

<<   作成日時 : 2017/04/19 07:15   >>

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★歴史★
問題:日本には数多くの彫刻の名人がいます。落語でもよく取り上げられる左甚五郎(ひだりジンゴロウ)は、あまりに迫真の出来映えで、作品に魂が宿ることがあったとも言われます。
■大奥から宿下がりしてきた商家の娘が酸っぱいものを食べたがります。母親が問い詰めても男の存在を否定します。耶蘇教の教祖じゃあるまいし、処女懐胎なんてありえないと母親が激昂すると、ひょっとしたらあれかなと娘が張り形を出してきます。そんな馬鹿な。張り形で孕む(はらむ)なんて。でもと顔を赤らめた娘が張り形の底を指さすと、そこには「左甚五郎作」と銘がありましたとさ。
■平安末期から鎌倉初期に活躍したといわれる運慶も名人でした。東大寺南門の金剛力士像を初めとして、数多くの国宝を残しています(Wikipediaの日本の国宝一覧によれば6点、口絵は東大寺の金剛力士像)。
■運慶に仏像を発注した有名人がいるそうです。奥州藤原氏の2代目藤原基衡(もとひら)という人物です。平泉に創建した毛越寺(モウツウジ)というお寺に本尊の薬師如来像と十二神将像との制作を依頼したらしい。このとき、運慶は「上・中・下のどれにします?」と聞いてきたらしい。なんだか鰻重の松竹梅を選んでいるようですね。なお薬師如来像のサイズはいわゆる丈六(ジョウロク)であり、1丈6尺=16尺≒5m弱だったそうです。下の絵は運慶作ではないようですが、薬師如来像です。
▼薬師如来像
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■藤原基衡は「中」と答え、さっそく手付け金を三菱東京UFJ銀行に振り込んだと言われます。ではこのときの手付け金は現在の貨幣価値にしていくらだったのでしょうか? 参考資料*1の「日本史こぼれ話 古代・中世 続々編」に記載されていた価格を正解とします。いちばん近い金額を選択肢から選んで下さい。
[い]300万円
[ろ]600万円
[は]1200万円
[に]2400万円
[ほ]4800万円
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]2400万円、あるいは[ほ]4800万円
説明:参考資料*1には「吾妻鏡(あづまかがみ、鎌倉幕府編纂の編年体の史書)」からとして次のように記されていました。「…その際基衡は、手付け金として金100両(約3.75kgで現在だと約4500万円に相当)を贈り、引出物として鷲の羽100尻…」。ここでは4500万円となっています。これに従えば[ほ]4800万円が正解ですね。
■ただし、本日付けの金相場(売るときの価格)を田中基金属のHPで調べてみると税込みで4816円/gです(170419現在)。これを3750倍すると1806万円になります。これに従えば[に]の2400万円が[は]の1200万円をおさえてギリギリでいちばん近いことになります。
■基衡は仏像完成までの3年間、さまざまな名産品を送り続けたと言われます。「直径7間(約12.7m)もある水豹(あざらし)の皮60余枚、安達郡産の絹1000疋(ひき、一疋は2反、約7.8m)、希婦(けふ、『吾妻鏡』の記事で生産地名かと思われる)の細布2000端、信夫郡産の駿馬100疋、白布3000端、信夫郡産の毛地摺(もじずり、摺絹の一種)1000端や山海の珍味」。現在の価格でいえば、たとえば馬だけでも億単位の金額になってしまいそうです。また、アザラシの皮は、1頭分だけではとてもそんな大きくはならないはずです。ひょっとしたら数頭分で1枚だったのかな。
■松竹梅の「竹」の注文であったにもかかわらず、物凄くよくしてもらった運慶は、気をよくしたのか大傑作を造り上げたらしい。仏像に玉眼をほどこしたのはこのときに始まるといわれます。玉眼は、水晶や硝子、珠玉などを眼の部分に嵌め込む技法らしい。
■この仏像を鳥羽上皇が見たらしい。あまりの素晴しさに心を奪われて奥州にやることを禁じてしまったそうです。困った基衡は関白藤原忠通(ただみち)に多額の金品を贈り、仲介を頼んだとのこと。鳥羽上皇にもずいぶん多くの金品が渡ったのでしょう。ようやく許可が下りたそうです。
■これだけの投資が行なわれたにもかかわらず、毛越寺は鎌倉時代の初めと戦国時代に火災に遭ってしまい、庭園は残りましたが建物や仏像は完全に失われたとのこと。建物も家財も保険に入っていなかったとのこと。
■なお、「吾妻鏡」には上のように記されているようですが、運慶と藤原基衡は生存年代が少しずれているという指摘もあります*1。運慶は生年不詳であり、1224年(貞応(ジョウオウ)3年)に亡くなっています。藤原基衡は1105年(長治(チョウジ)2年)ごろ生まれ、1157年(保元(ホウゲン)2年)に亡くなっています。「吾妻鏡」の編纂者の思い違いなのでしょうか。あるいは運慶という名人は2人以上いたのかな。
◆参考*1:書籍「日本史こぼれ話 古代・中世 続々編」新書初版99〜101頁、笠原一男/ 児玉幸多編、ISBN4-634-59310-6、山川出版社
◇*2HP「運慶 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8B%E6%85%B6
◇*3HP「藤原基衡 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%9F%BA%E8%A1%A1
◇*4HP「毛越寺 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%B6%8A%E5%AF%BA

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