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zoom RSS 明治天皇の行幸。在任中に何回の視察旅行に出かけたの?

<<   作成日時 : 2017/04/12 07:02   >>

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★歴史★
問題:昭和20年(1945年)の夏に敗戦を迎えて以来、昭和天皇は全国各地を行幸してまわったそうです。連合軍総司令部(GHQ)の連中は、天皇は日本国民の恨みを一身に集めているはずだ。投石や暴動などで負傷したり、亡くなる可能性もある。まっ、そうなったらそうなったときで、天皇の処遇について悩む必要もなくなるかな。そのぐらいに考えていたらしい。
■ところが、昭和天皇が各地を回ると、ほとんどの民衆は大歓迎しました。ともに敗戦を悲しみ、同時に未来に向けて頑張っていこうという気分になっていったそうです。天皇がマッカーサーに面会した際の潔い態度もあって、GHQは考えを改めます。昭和天皇は罰するより生かして利用するほうが賢明だ。方針を変更していったらしい。
■1946年(昭和21年)〜1954年(昭和29年)にかけて占領地沖縄を除くすべての都道府県を回られたそうです。お召し列車や御料車(ゴリョウシャ、天皇専用の高級車)が大忙しだったのかな。
■昭和天皇と同じように、明治天皇も日本全国を回られたらしい。ラジオもテレビもない時代です。じかに民衆と向かい合おうとされたのでしょうね。
■では、明治時代45年のあいだに、全国の視察旅行には何回出かけられたのでしょうか? 次の中から近い数字を選んで下さい。なお、参考資料*2の「幕末明治風俗逸話事典」の記述を正解とします。
[い]20回
[ろ]40回
[は]60回
[に]80回
[ほ]100回
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]80回
説明:参考資料*2によれば、87回も行幸しているそうです。全国をくまなく視察したとのこと。どの地方でも、その地域の孝行息子や娘、また節婦(貞節で操の固い女性)などを表彰したらしい。「太政官日誌」などに記録されているそうです。江戸時代の町奉行が孝行者に青緡五貫文(あおざしゴカンモン)をくだしおかれたのとおなじ感じなのかな。
■天皇がお見えになる。初めて明治天皇を迎える地域では、かなり妙ちきりんな出来事もあったらしい。たとえば1880年(明治13年)の6月には山梨県に行幸がありました。東京に近い地域、笹子に住むある人物は、甲府で最高といわれる呉服屋に赴き、錦の袋を注文したらしい。縦26cm×横19cmほどだったそうです。表が西陣の錦、裏が緋の精巧なものだったらしい。落語の「錦の袈裟」でも紹介されるように、錦は一坪(ひとつぼ)いくらというような高価な商品です。この場合の一坪は3.3平方mではありません。1寸四方です。約9.2平方cmらしい。
■奇妙な注文に好奇心を掻き立てられた呉服屋は「何に使うのか」と尋ねたらしい。「天子様のお通りになったあとには鱗が落ちるというから、それを拾って家宝にする」という答だったそうです。たしかに天皇の顔は玉顔・竜顔(リュウガン)とも呼ばれます。天皇の身体は竜体(リュウタイ)と呼ばれるらしい。額面通りに受け取った素朴な人だったようです。
◆参考*1:HP「昭和天皇の戦後の巡幸都道府県一覧 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E6%88%A6%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%B7%A1%E5%B9%B8%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C%E4%B8%80%E8%A6%A7
◇*2書籍 「幕末明治風俗逸話事典」初版439〜440頁、紀田順一郎(きだ じゅんいちろう)著、ISBN4 -490-10338-7、東京堂

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