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zoom RSS 宮城のお濠が臭い。汚穢(オワイ)を流しているのは誰だったの?

<<   作成日時 : 2017/02/22 07:18   >>

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★歴史★
問題:昭和30年代に小学生だった素町人は、汚穢屋(オワイヤ)さんという言葉を覚えています。当時、東京の住宅の大多数では汲み取り式でした。いわゆるボットン便所ですね。便器の下には糞壺があり、大小便はそこに溜まりました。定期的にこれを汲み取る業者がいます。汚穢屋さんと呼ばれていました。
■柄杓(ヒシャク)を使って汲み取っている場面は、地方では目撃したことがあります。東京ではポンプで吸引していたような気がします。大小便はトラックの荷台に置かれたタンクに吸い上げられ、どこかに運ばれていったようです。そういえばバキューム・カーとも呼ばれていましたね。
■その半世紀ほど前、大正5年(1916年)ごろ、汚穢すなわち大小便を宮城のお濠に流してしまう輩(やから)が現れたらしい。当時、西洋でも日本でも、海の沖の方で捨てるのが一般だったようです。イギリスのロンドンですら、テームズ川の下流に流していたらしい。大海原の自然な洗浄作用に期待したのかな。ところが、東京ではそうした手間を省く連中がいたようです。運賃ももったいないし時間ももったいない。手近な場所に流してしまえ。
■当然ながら、お濠は糞溜めと化してしまいます。おそれおおくも天皇陛下のお住まいの間近に糞小便を流したのですからとんでもない連中です。では、連中はいったい誰だったのでしょうか?(お濠に糞尿を流した連中はいないかもしれないし複数かもしれません)
[い]東京駅
[ろ]丸の内の三菱系ビルディング
[は]帝国ホテル
[に]東京気象台
[ほ]桜田門の警視庁
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]東京駅と[ろ]丸の内の三菱系ビルディング、[は]帝国ホテル
説明:江戸時代には、屎尿は近郊の畑で有機肥料として使われました。大便にも小便にもそれなりの価値があったらしい。農家は江戸にやってきては糞尿を買って帰ったようです。大商店の糞尿がいちばん高価に売れたと聞きます。食べ物がいいと糞も上質になるのかな。貧乏長屋の共同便所はあまり高くは買ってもらえなかったのかな。それでも大家さんにしてみれば、確実な収入源だったそうですが。
■大正時代に農家は有機肥料から合成肥料に転換したのでしょうか。それまで価値のある商品だった糞尿は、ただ臭くて場所ふさぎで取り扱いに困るゴミになってしまったようです。そしてこのころ、東京には大きな建物がいくつもできました。東京の中心部の建物では、水洗便所が一般的になりつつあったようです。
■ところが下水処理施設はできていません。インフラがない。便器から水で流すところまではいいのですが、そのあとは糞尿を馬車などで運び、船にのせ、東京湾の沖に捨てるという方式があったらしい。[ろ]の丸の内の三菱系ビルディングはこの方式を採用していたようです。
■でも警官が見張っているわけではありません。お濠に船着き場があったのでしょうか。船に乗せたところで、さっさと捨ててしまったらしい。この場合、三菱系ビルディングに責任を問えるかというと、ちょっとわかりませんね。彼らは業者に汚穢を渡してしまうのですから。後は契約どおりにやってくれていると思っていた。そんな申し開きもできそうです。
■東京駅や帝国ホテルの場合はもう少し深刻です。参考資料*1の書籍「家主さんの大誤算」には次のような記述がありました。「東京停車場を初めとし、鉄道院、有楽町、新橋駅等の大小便は一滴も残さずお濠へ流し込んで終ふ(しまう)のである。東京駅には大きいタンクがあって、それより大きい鉄管を通じ悉く(ことごとく)お濠へ流す仕掛けになって居る」。パイプを通じて大小便はすべてお濠に流したらしい。
■帝国ホテルも似たような仕掛けだったらしい。当時の「国民新聞」には次のように記されています。「『垂れ流し不罷成(まかりならぬ) 警視庁水便所に厳達す』(見出し)   不完備極まる不潔極まる帝国ホテルの大小便溜はついに日比谷署長検分の結果二十二日、押し流しを差止められ、如何に多くとも全部汲取るべしとの厳達が下だって、従来の排泄鉄管は悉く除去する事になった」。帝国ホテルはフランク・ロイド・ライトという有名な建築家が設計しているはずです。ライト氏は、糞尿の処理について「お濠に流しちゃえ」と思ったのでしょうか。それとも工事を請け負った者が勝手に設計を変更したのでしょうか。肩をすくめたくなりますね。
■なお、活性汚泥法を用いた下水の近代的処理方法の初めての処理場は大正3年(1914年)にイギリスで生まれたそうです。微生物の力を借りて汚穢を分解しようという試みらしい。日本でも大正11年(1922年)になって三河島に処理場が出来ました。こちらは散水濾床法という方式で下水を処理していたようです。建設費や維持管理費が安いという特徴があるとのこと。ただし効果は活性汚泥法に劣るそうです*2*3。いずれにせよ、それまでは下水処理の施設はなく、自然の浄化作用に依存していたようです。
◆参考*1:書籍「家主さんの大誤算」初版67〜70頁、鈴木理生(まさお)著、ISBN4-385-43169-8、三省堂
◇*2HP「下水道の歴史」
http://www.mlit.go.jp/crd/city/sewerage/data/basic/rekisi.html
◇*3HP「散水濾床法」
http://oo.spokon.net/seiki/master1/kaisetu/syuhou/sansui.htm

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