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zoom RSS 京都の豪商角倉了以(すみのくら リョウイ)。どんな事業で巨万の冨を得たの?

<<   作成日時 : 2016/10/05 07:58   >>

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★歴史★
問題:京の三長者と呼ばれる人たちがいるようです。1人は角倉了以。口絵の銅像の人です。もう1人は茶屋四郎次郎(ちゃや シロウジロウ)。この人は徳川家康の最後の御馳走、鯛のてんぷらを勧めた人ですね*1。本能寺の変後の神君伊賀越えを支援した人の1人とも言われます。将軍御用達の公儀呉服商だったらしい。もう1人は後藤庄三郎(ショウザブロウ)。小判や大判などの金貨をつくっていた人らしい。その末裔は、本家の取り潰しなどいろいろ危機はありましたが、幕末まで金貨鋳造の責任者という立場をつないだそうです。
■では江戸初期の豪商、角倉了以はどんな商売で利益を得たのでしょうか? 次の中から選んで下さい。
[い]材木の売買(問屋)
[ろ]建設業
[は]海産物取引
[に]鉱山開発
[ほ]通航料徴収
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]通航料徴収
説明:もともと角倉了以は朱印船貿易で稼いだらしい。蓄えた私財を投じて、河川・運河の開削事業を行なったそうです。その見返りとして、通航の料金を徴収する特権を幕府から与えられたとのこと。「公共性の高いこの特権による収益は、江戸の始めから幕末まで角倉を支え続けた」*5。代表的なのが高瀬川らしい。
■高瀬川は慶長(けいちょう)16年(1611年)に角倉了以と息子の素庵(そあん)によって作られました。京都の中心部と伏見を結ぶための物流用の運河だそうです。水深は数十cmとのこと。底がたいらで喫水の低い高瀬舟と呼ばれ船が使われました。
▼高瀬川
◇*HP「高瀬川 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E9%AB%98%E7%80%AC%E5%B7%9D&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiSwavx4qHMAhVFHaYKHYAmD80Q_AUICCgC&biw=1280&bih=626
■地元の京都では運河の開発者、水運の父として知られています。口絵の銅像もよくみれば当時の土木作業に使われたとおぼしき道具を持っているのがわかります。もっとはっきりするのは、下の顕彰碑かな。
▼角倉了以顕彰碑(Wikipediaより)
◇*HP「角倉了以 - Google 検索」
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/c/cf/%E8%A7%92%E5%80%89%E4%BA%86%E4%BB%A5_%E9%A1%95%E5%BD%B0%E7%A2%91.jpg
鶴嘴(つるはし)みたいな道具とともに描かれています。見方によってはタロットカードに登場する死神にもちょっと似ていますけど。
■京都にはもうひとり水運の父がいて、琵琶湖疎水の設計者である田辺朔郎(サクロウ)という人だそうです。昔は疎水を利用した水運が行なわれていたようですね。京都が舞台のドラマによく登場する南禅寺の水路閣も上に舟が通っていたのかな。
▼琵琶湖疎水
◇*HP「琵琶湖疏水 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E7%96%8F%E6%B0%B4&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwi8odHu46HMAhWDtpQKHWs7Bv4Q_AUICCgC&biw=1280&bih=602&dpr=1.5
▼南禅寺の水路閣
◇*HP「南禅寺水路閣 - Google 検索」
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8D%97%E7%A6%85%E5%AF%BA%E6%B0%B4%E8%B7%AF%E9%96%A3&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiA55j8lsLPAhWJGJQKHR25AHgQ_AUICSgC&biw=1268&bih=614#
◆参考*1:HP「家康の死因ともいわれる鯛のてんぷらを勧めたのは誰なの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200903/article_31.html
◇*2HP「角倉了以 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E5%80%89%E4%BA%86%E4%BB%A5
◇*3HP「茶屋四郎次郎 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6%E5%B1%8B%E5%9B%9B%E9%83%8E%E6%AC%A1%E9%83%8E
◇*4HP「後藤庄三郎 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E5%BA%84%E4%B8%89%E9%83%8E
◇*5書籍「大江戸なんでもランキング」 初版129頁、中田節子著、 ISBN 4-09-626065-7、小館
◇*6HP「高瀬川 (京都府) - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%80%AC%E5%B7%9D_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C)

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コメント(2件)

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森鴎外の小説に『高瀬舟』というのがありますが、この角倉了以の偉業がなければ、名作も書かれることはなかったということでしょうね。
ねこのひげ
2016/10/10 08:50
コメントをありがとうございます。

 たしかに角倉了以がこの小さな運河を造らなければ、小説のタイトルは「加茂川の罪人護送舟」だったかもしれませんね。
 なお、江戸時代には、高野川合流地点(現出町柳付近)より川上を賀茂川と呼び、それより下流は加茂川と呼んでいたという噂があります。
(^^;)
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2016/10/10 09:36

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