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zoom RSS 勝利側から敗戦側へ武士が流れる。そんな不思議な光景を見たのは誰なの?

<<   作成日時 : 2016/10/01 11:13   >>

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★歴史★
問題:日本においても、世界でも、戦争のときによく起こる現象があります。勝ち馬に乗るという現象です。負ける側は死んだり負傷したり捕虜となったり賠償を払わされたりする確率が高い。様子を見て勝ちそうな側に加担するというのは、いやらしい話ではありますが、人情としては理解できますね。明智側につくか秀吉側につくか。洞ヶ峠(ほらがとうげ)で戦況を眺めていた筒井順慶(ジュンケイ)も勝ち馬に乗りたかったのでしょう。
■負けた側は悲惨です。戦さの前には数万もいた兵力が、負け戦と決まる数時間のうちにわずかに数百騎、あるいは数十騎にまで減少してしまう。死んだり負傷した兵士だけではありません。負け側からは人が離散していく。逃亡者が相次ぐ。それが世のならいです。
■天正(てんしょう)11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いで3万といわれる兵を動員していた柴田勝家は、負け戦さで北ノ庄城(きたのショウジョウ)に戻ってきた時、わずか100騎だったとも伝えられます。追撃、包囲する秀吉軍の前で、天守閣に火をかけ、お市の方や家臣とともに自害して果てたらしい。
■ところで、日本の戦争の歴史の中でもごく稀なことかと思われますが、負け戦さの側に、勝ち戦さの側から兵士が走って加担するという不思議な現象が起こったことがあるらしい。ある有名な武将はその光景を見て、世の中の流れを知り、遠くない将来、自分たちは敗れると悟ったそうです。では、その有名な武将とは次の誰でしょうか?
[い]大友皇子(おおとものおうじ、壬申の乱)
[ろ]恵美押勝(えみおしかつ、藤原仲麻呂(なかまろ)の乱)
[は]源義経(よしつね、壇ノ浦の戦い)
[に]楠木正成(まさしげ、足利尊氏との戦い)
[ほ]真田信繁(のぶしげ、第二次上田合戦)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]楠木正成(まさしげ、足利尊氏との戦い)
説明:足利尊氏は、建武(けんむ)3年/延元(えんげん)元年[南朝]2月10〜11日(1336年3月23〜24日)、摂津豊島河原の戦いで新田義貞(よしさだ)を主力とする朝廷軍に大敗し、播磨からさらに九州へと逃亡したらしい。摂津豊島河原は箕面川の下流付近で現在の大阪府と兵庫県の境目あたりらしい。播磨は兵庫県神戸市を含む地域だそうです。
■後醍醐天皇の命を受けて尊氏追討に動いたのは、新田義貞・楠木正成・北畠顕家(あきいえ)らの軍勢らしい。摂津の戦いで勝つには勝ったものの、楠木正成は不思議な光景を目撃することになったそうです。一部の武士たちが、勝った側の朝廷軍から負けた側の尊氏の軍へと走ったことだそうです。
■足利尊氏は、鎌倉幕府以来の「一所懸命」を守ろうとしていたそうです。いざ戦さとなれば、武士は幕府の一員として命がけで戦う。そのかわり、その領地は幕府が安堵(アンド)する。保証する。この信頼関係を守ろうとするのが尊氏です。武士たちに戦功の証明書を与えたり、朝廷に奪われた土地の返還を約束したりしたらしい。
■これに対し、建武の新政で後醍醐天皇が打ち出したのは土地制度改革です。「土地の所有関係を、すべて天皇が決定しなおす」と言い始めたらしい。とはいえ事務処理に不慣れな新政権は、まともに武士たちの土地の所有関係を整理することができなかったらしい。武士たちの不満は鬱積していたようです。
■摂津の戦いでは、足利尊氏は大敗し、九州へと落ちのびます。でも、不思議な光景を見てしまった楠木正成は、後醍醐天皇に提言したらしい。「いまのうちに大将新田義貞を見限り、足利尊氏を呼び戻してください。武士たちの心は今や新田義貞にはなく、尊氏にあります。このままでは尊氏の軍勢は1ヶ月もしないうちに都に攻め上ってくるでしょう」。
■後醍醐天皇と公家たちはこの意見を一蹴してしまいます。1ヶ月後ではなく3ヶ月余り経過してからではありますが、正成の不吉な予想は的中します。武士たちの強い支持を受けた尊氏は九州から大船団を組んで都に迫ります。建武(けんむ)3年/延元(えんげん)元年[南朝]5月25日(1336年7月4日)、神戸の湊川で楠木正成を破った尊氏軍は、京都に入り、北朝をたてることになります。後醍醐天皇は吉野に逃れることになります。
◆参考*1:DVD「その時歴史が動いた 足利尊氏 乱世を制するリーダーの条件」24分〜、NHKソフトウェア
◇*2HP「豊島河原合戦 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%B3%B6%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E5%90%88%E6%88%A6
◇*3HP「楠木正成 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E6%88%90
◇*4HP「足利尊氏 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E5%B0%8A%E6%B0%8F

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コメント(2件)

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足利尊氏が負けたはずなのにすぐに立ち直ったわけがここにあったんですね。
不思議に思っておりました。
ねこのひげ
2016/10/02 18:44
コメントをありがとうございます。

 後醍醐天皇は、武士たちの気持ちをほとんど理解していなかったようですね。あるいはしたくなかったのかな。
 王権神授説ではありませんが、自分が統治するのがあたりまえだろうという驕りがあった。その後の朝廷の運命は、自業自得なのかもしれませんね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2016/10/02 19:20

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