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zoom RSS 徳川家重臣の謎の寝返り。秀吉の家臣として8万石の大名になった男とは誰のこと?

<<   作成日時 : 2016/07/02 06:54   >>

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★歴史★
問題:天文(てんぶん)2年(1533年)。後に謎の寝返りを演じる武将、甲が生まれています。その10年後、天文(てんぶん)12年(1543年)に、徳川家康が誕生します。甲は、家康が今川義元の人質となっていた時代から近侍(キンジ、主君のすぐそばに仕える者)をつとめていたらしい。
■永禄(えいろく)3年(1560年)、桶狭間の戦いで今川義元が戦死します。家康は人質の身分から解放されます。甲は義元の跡継ぎである今川氏真(うじざね)と交渉し、家康の嫡男信康(のぶやす)と正室築山殿を取り戻したそうです。殊勲甲ですね。
■永禄(えいろく)4年(1561年)に家康と信長が石ヶ瀬で小競り合いを起こした際には、先鋒をつとめたらしい。永禄(えいろく)5年(1562年)には信長と交渉を行ない、清洲同盟成立に尽力したそうです。
■その後も甲は、三河一向一揆でも家康側に立ち、信康の後見人になり、元亀(げんき)元年(1570年)の姉川の戦いや元亀(げんき)3年(1572年)の三方ヶ原の戦い、天正(てんしょう)3年(1575年)の長篠の戦いなど、多くの合戦に参加して数々の武功をあげたそうです。
■天正(てんしょう)10年(1582年)に信長が本能寺で倒れます。天正(てんしょう)12年(1584年)には小牧・長久手の戦いに参加します。ところが天正(てんしょう)13年11月13日(1586年1月2日)に武将甲は突然、家康のもとを去り、秀吉のもとへ駆け込んだらしい。長く仕えた主君を捨て、ライバルの側に寝返ったようです。
■ではこの武将甲とは、次の誰でしょうか?
[い]朝比奈元長(もとなが)
[ろ]石川数正(かずまさ)
[は]寺島長資(ながすけ)
[に]服部一忠(かずただ)
[ほ]松平親善(ちかよし)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]石川数正(かずまさ)
説明:石川数正が寝返った理由については、昔からさまざまな論議がなされたようです。いくつかの仮説があります。たとえば「次第に秀吉の器量に惚れ込んで自ら秀吉に投降した」という説があります。「秀吉得意の恩賞による籠絡(ロウラク、手なずけること)に乗せられた」という説もあります。「家康と示し合わせ、徳川家の為に犠牲となった形で投降したふりをした」という説もあるらしい。その他、Wikipediaの石川数正の項には8つほどの仮説が並んでいます*1。残念ながら、いまのところ定説となるものはないらしい。
■秀吉の元に駆け込んだ石川数正は、河内国に8万石を与えられたらしい。天正(てんしょう)18年(1590年)の小田原征伐で後北条氏が滅亡します。家康が関東に引っ越すと、信濃松本の10万石(8万石説もあり)に移封されました。領国経営に力を注ぎます。松本城の築城にも息子ともども参加していたらしい*3。
■文禄(ぶんろく)元年(1592年)、あるいは文禄(ぶんろく)2年(1593年)に石川数正は病死したようです。その後、息子の石川康長(やすなが)は、関ヶ原の戦いの際には徳川秀忠にしたがい、真田氏を攻めたものの大敗しているようです。でも東軍に参加したため、所領は安堵されたらしい。
■信濃の石川家は、その後、江戸時代初めの大久保長安事件に連座して改易されてしまったようです。数奇な運命の武将の家は以後、歴史の舞台から消えてしまいました。
◆参考*1:HP「石川数正 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E6%95%B0%E6%AD%A3
◇*2書籍「日本史未解決事件ファイル」文庫初版63〜65頁、日本博学倶楽部編、ISBN4-569-66466-0、PHP文庫
◇*3HP「松本城 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E5%9F%8E
◇*4HP「出世頭だったのに死後は息子7人が切腹させられた数奇な運命の男とは? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200612/article_67.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
石川数正は、スパイとして秀吉の元に送られたという説もありますが、待遇のいい方についたんでしょうね。
戦国時代は下剋上は当たり前で、二君に仕えずというのは江戸時代にはいてからだそうですからね。
結局、用済みになったら消されてしまいましたがね。
ねこのひげ
2016/07/03 05:35
コメントをありがとうございます。

 以前聞いた話では、鎌倉時代の武士は、ある殿様に仕えても、その殿様が亡くなったら忠誠義務はそこで終わり。別の殿様と新しい契約を結んでもよかったらしい。
 江戸時代のほうが武士にとって窮屈な世の中だったのかな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2016/07/03 08:19

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