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zoom RSS 兼好法師の正体は武士・神官・役人・貴族・商人のうちのどれ?

<<   作成日時 : 2016/07/20 06:50   >>

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★歴史★
問題:兼好法師こと吉田兼好は、鎌倉時代末期から室町初期にかけての文人・歌人です。「徒然草」の作者として、ほとんどの人が教室で向き合ったことのある人物ですね。口絵は江戸末期から明治にかけて活躍した画家、菊池容斎(キクチ ヨウサイ)の描いた吉田兼好の想像復元図です。
■嘘かホントか、吉田兼好は室町幕府の高級幹部のラブレターを代筆したことがあるらしい。「足利幕府の執事高師直(こうのもろのお)は、侍従という女房から塩冶高貞(えんやたかさだ、塩谷判官)の妻が美人であると聞いて、急に恋心を起こし侍従に取り持ちを頼むが上手くいかない。いっそう思いを募らせた師直は「兼好とひける能書の遁世者」に艶書の代作をさせ、使者に届けさせる。しかし判官の妻は、その手紙を開けもせず庭に捨ててしまったので、師直は怒って兼好の屋敷への出入りを禁じてしまった」とWikipediaには記されています。「太平記」巻21に記された逸話とのこと。事実なのかな。
■吉田兼好は正体がよくわかっていないらしい。法師と呼ばれたようですから、どこかで出家したことは間違いないのでしょう。でも元はどんな人だったのか。作品である「徒然草」は長く残ってきましたが、作者については誰もよく知りません。
■本日は兼好法師の正体についてのクイズです。近年、注目されているという兼好法師の正体とは次のどれでしょうか? 
[い]武士
[ろ]神官
[は]役人
[に]貴族
[ほ]商人
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]商人
説明:参考資料*2によると、商人説が注目を集めているようです。
■根拠となるのが正和(しょうわ)2年(1313年)9月1日付の土地売券だそうです。土地を売買した証拠書類・契約書類のようですね。
■兼好法師は六条頼成(よりなり)という公家から京都の山科(やましな)小野田荘の田1町を銭90貫で買い取ったらしい。1町は9917平方mだそうです。真四角に直すと100×100mぐらいの面積です。
■この売買につき、4つの周到な契約条件をつけているそうです。
---(1)寺役・庄役など、いっさいの公事をここにはかけないこと
---(2)公家・武家の徳政令があっても、この土地には適用されないこと、
---(3)土地や契約に違乱があった場合は、すぐに本銭に半倍を加えて(つまり135貫)支払うこと
---(4)もしこれに遅れた時は備中国の中津井荘(現・岡山県上房郡北房町)の田を引きわたすこと
■この文書からさまざまなことがわかるそうです。まず1つ目は当たり前ですが、吉田兼好が銭90貫という余分な資力があったことですね。また、有利な契約条件をつけるほど、商才があったこともわかります。ひょっとしたら不動産売買についての専門家だった可能性もあります。
■4番目の条件からは、備中という遠方の土地でも経営できる経験・知識・財力があったことがわかるそうです。これらから、吉田兼好は裕福な商人だったという仮説が成り立つようです。
■参考資料*3などによれば、建長(けんちょう)2年(1250年)〜慶長(けいちょう)5年(1600年)年の間では0.5貫(500文)〜1.5貫(1500文)で米が1石分(約180リットル、150kgほど)購入できたそうです。変動が3倍ほどあるのは、平時と戦時で違うからでしょうか。それでも350年間での変動としてみると、大きくはないのかな。現代の米10kgを4000円と換算すると1石あたりが3万円〜9万円ぐらいに相当するとのこと。90貫は(3万円〜9万円)×90=270万円〜810万円ということになりそうです。なお、吉田兼好は90貫で購入した山科の土地を9年後に30貫で売っているらしい。購入者が大徳寺だったので、寄進の意味も込めて安く売ったのではという推測も可能らしい*3。
■「徒然草」には銭や金が登場する場面がいくつもあります。51段、60段、93段、108段、126段、131段、217段などです。とくに217段では、お金に対するちょっとした哲学を披露していたりします。こうした記述から、商人として長年通貨とつきあってきた者の智恵が見て取れるようです。「これほど金銭に目を向けた文学作品は江戸時代の井原西鶴までないといえよう」と参考資料*2は言っています。
■当時、土倉(ドソウ)という新興の金融業者が台頭してきたらしい。兼好は土倉だった可能性もあるようです。「公家や武家、僧俗を冷静に批判しえた背景にはしたたかな経済人としての自信があったのではないか」とのこと*2。
◆参考*1:HP「吉田兼好 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%85%BC%E5%A5%BD
◇*2書籍「日本史こぼれ話 古代・中世 正編」新書初版136〜137頁、笠原一男/児玉幸多編、ISBN4-634-60330-6、山川出版
◇*3HP「中世の物価」
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J020.htm

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コメント(7件)

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なるほど。
金があって生活の心配がないので、閑に任して徒然なるままに公家あ武士のあり方を批判したんでしょうね。
ねこのひげ
2016/07/24 09:02
コメントをありがとうございます。

 大衆社会以前の文学は、お金と時間に余裕のある階層に生まれるものだそうです。吉田兼好もそういう立場だったのかな。
 万葉集には無名の庶民の歌が多く収載されているとも聞きます。当時の日本の庶民には、和歌を創作するぐらいの金と時間の余裕はあったのでしょうか。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2016/07/24 16:34
日本三大吉田・・・「吉田茂」 「吉田松陰」「吉田 沙保里

大物になることが、特徴
sadakun_d
2016/07/26 10:28
コメントをありがとうございます。

 三大吉田とは面白いですね。多くの場合、「三大なんとか」は4つ以上あるものだそうです。たとえば日本三大稲荷は9つの稲荷神社の組み合わせになっているとWikipediaには記されています。三大吉田も、吉田兼好も加えられるかもしれません。
(^^;)
sadakun_d様<素町人
2016/07/26 21:28
日本三大稲荷...千代稲荷(岐阜)伏見稲荷 豊川稲荷

(ついで)日本三大 大仏・・・岐阜大仏 鎌倉大仏 なら大仏

・・・・ふう
sadakun_d
2016/07/27 13:32
兼好が‘宅建‘に尽力が有名なら大和ハウス CMに使いそうですね。

まあ神官出身が無難かな。
sadakun_d
2016/07/27 13:35
コメントをありがとうございます。

 関東の人間なら三大稲荷に笠間稲荷(茨城県笠間市)をあげるでしょうね。落語「紋三郎稲荷」にも取り上げられるとおり、関東の稲荷信仰の中心だったらしい。

 吉田兼好氏の父親は吉田神社の神職だったそうですね。そういった環境の中で成長したのでしょう。
 成人した後では、官職に就いたこともあったらしい。ただ、神主さんとか下級中級役人のままでは、鋭い経済感覚は養われないのかもしれません。
 兼好氏のしたたかさをあらわす文書が残されているところをみると、土倉説は信憑性が高いのかな。
(^^;)
sadakun_d様<素町人
2016/08/01 08:50

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