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zoom RSS 遠山の金さんの逸話は実際には別人の逸話だったの?

<<   作成日時 : 2016/06/18 06:52   >>

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★歴史★
問題:遠山の金さんといえば、中村梅之助や杉良太郎、高橋英樹、松方弘樹などを思い浮かべます。テレビドラマの中だけでなく実在の人物であり、ホントに彫り物を入れていたともいわれます。
■若いころはちょっとしたワルだったらしい。無頼(ブライ)の徒と交わり、賭場や遊女屋などへも頻繁に出入りしていたそうです。結婚してからは堅気の役人として出世街道を歩き出しました。江戸の北町奉行や南町奉行をつとめたことは知られていますね。天保の改革の際には、推進役かつ悪役の水野忠邦(ただくに)やその手下の鳥居耀蔵(ようぞう)と対立し、江戸の庶民から強い支持を受けたことも有名です。
■町奉行となった後に、吉原の女郎屋の者たちを調べることになりました。白洲から、おや金さんぢゃないか、と呼び立てられたそうです。少しも臆するところがなく、お前達はまだ元のままで居るのか、とたしなめて、調べを仕遂げたという逸話が残されています。
■このお話は、金さんの逸話としてよく知られています。でもこれは他の奉行の逸話が遠山景元(かげもと、金さん)の逸話として誤って伝えられたものという説もあります。参考資料*2が紹介していました。では参考資料*2によれば、オリジナルは誰の逸話だと言っているのでしょうか? なお、選択肢の名前のあとに続くのは在職期間です。
[い]京都所司代板倉勝重(かつしげ)、慶長(けいちょう)6年(1601年)〜元和(げんな)6年(1620年)
[ろ]京都所司代板倉重宗(しげむね)、元和(げんな)6年(1620年)〜承応(しょうおう)3年(1654年)
[は]南町奉行大岡越前守忠相(ただすけ)、享保(きょうほう)2年(1717年)〜元文(げんぶん)元年(1736年)
[に]北町奉行能勢肥後守頼一(よりかず)、寛保(かんぽう)4年/延享(えんきょう)元年(1744年)〜宝暦(ほうれき)3年(1753年)
[ほ]南町奉行根岸肥前守鎮衛(しずもり/やすもり)、寛政(かんせい)10年(1798年)〜文化(ぶんか)12年(1815年)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]北町奉行能勢肥後守頼一(よりかず)、寛保(かんぽう)4年/延享(えんきょう)元年(1744年)〜宝暦(ほうれき)3年(1753年)
説明:能勢肥後守頼一は、18世紀の半ばごろ、江戸で奉行職をつとめた人物です。元禄(げんろく)3年(1690年)に官僚の子として生まれたらしい。1歳で父が亡くなって跡目を相続。十代から役人渡世を始め、寛保(かんぽう)4年(1744年)、54歳ごろにはとうとう北町奉行に就任するほどに出世します。
■能勢肥後守頼一は吉原が大好きだったのでしょう。次のような逸話が残されています。
---新吉原の傾城どもを評定所に吟味することになった時、肥後守の出座を見るなり、傾城(ケイセイ)どもが騒ぎ立てて、甚さんだよ、甚さんだよ。殿様だなんて、誰れかと思ったら、甚さんぢやないか、と口々にわめく。
肥後守はちっとも動ぜず、刀を提げて、のこのこ立って、縁先まで出て行って、どっかと坐し、女どもの顔をずっと見渡して、一々名を呼びかけ、みんな無事でゐたか。以前はよく酒に酔っては、お前方の世話になったりしたな。あの時の禿(かむろ)の何とかはどうしたか。誰れそれは、どうして居るか、などと尋ねる。さうした平然たる態度に、磨(す)れッからしの者達も静まり返った。その時、肥後守は言葉を改めて、己れも若い頃は身持が悪くて、廓通ひ(くるわがよい)もしたことだが、その後、行ひを改めて御目付といふ御役になり、間もなくそち達も知っての通り、町奉行と申す御役を蒙(こうむ)った。すなはち今日、そち達を吟味する御役目だ。もしもそち達の申分が訝(いぶか)しいと思へば、それ縛れ、と声を懸ける。その時には、あれ見よ、あそこに控へた同心どもが、即座に縄を懸けて、牢へ引立てようぞ。何事も真直(シンチョク/まなお、嘘のないこと)に申立てよ。やれやれ久し振りに逢って喜ばしい*2。
■金さんの逸話に酷似しているお話は、「はつか草」という書籍に記されているそうです*2。「はつか草」を調べてみると、能勢肥後守頼一と同じ時代の空気を吸ったことのある浄瑠璃作者、長谷川千四(せんし)の追悼句集だそうです。長谷川千四は上方の人で享保(きょうほう)18年(1733年)に亡くなっています。追悼の本ですから、没後だいぶ経過してから成立したのでしょう。
■なお、他の選択肢の奉行・所司代はわりと知られた人たちです。板倉勝重・重宗の親子は、名奉行として名高い人です*4*5。大岡越前守はもちろんご存知の名奉行ですね。根岸肥前守鎮衛は、「耳嚢(みみぶくろ)」という著作でも知られます。江戸市井の珍談・奇談を集めた随筆だそうです。
◆参考*1:HP「遠山の金さんの好物はトルティーヤだったの? それともコーヒーだったの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201208/article_10.html
◇*2書籍「近世人物夜話」文庫初版96〜97頁、森銑三(せんぞう)著、ISBN4-06-158878-8、講談社
◇*3HP「能勢頼一 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E5%8B%A2%E9%A0%BC%E4%B8%80
◇*4HP「患者を救った名判決は誰のもの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201408/article_17.html
◇*5HP「ある天皇に「見たことがないから切腹をして見せてくれ」と迫られた武士は誰なの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200803/article_27.html
◇*6HP「耳嚢 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E5%9A%A2

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
長崎奉行だった父親の逸話もはいているという話もありますね。
ねこのひげ
2016/06/19 18:44
コメントをありがとうございます。

 優秀な役人だったというお父さんの逸話までが超有名人である息子さんのものになってしまうわけですか。
 逸話は知名度の高い人物に引き寄せられる傾向があるようですね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2016/06/19 20:29
京都所司代。板倉家宗家初代…板倉勝重は愛知県西尾市にルーツです。

その後の板倉一族は江戸時代に愛知県(三河)を離れて…江戸屋敷のような

が、明治維新に"三河の徳川は消えろ!戊辰戦争で敗戦"

隠れてこそこそ三河の領地に戻ったんですが…

その板倉の藩主(殿様扱い)が、子孫を継いで、えへん!我が家ですわ(と、祖母と、叔母がいっていた
sadakun_d
2016/06/25 07:50
コメントをありがとうございます。

 京都所司代の血筋の方だとは知らず、数々のご無礼をつかまつり、申し訳ございません。
 素町人は代々職人の家系だったらしく、下から2番目のカーストです。
(^^;)
sadakun_d様<素町人
2016/06/25 15:14

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