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zoom RSS 幕府医官の建議により作られたある施設。女性の利用が多かったの?

<<   作成日時 : 2016/05/14 12:54   >>

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★歴史★
問題:その施設は1867年(慶応(けいおう)3年)に横浜に初めて作られたそうです。幕府の医官だったニュートンというイギリス人の提案により作られたものらしい。
■その施設は連日盛況で、利用するのは女性が多かった…というよりほとんどが若い女性だったようです。では、幕末から明治初期にかけて、さまざまな誤解を受けながらも徐々に定着し、運営が軌道にのっていったその施設とは次のどれでしょうか?
[い]産婦人科病院
[ろ]梅毒検査院
[は]看護師養成所
[に]栄養士養成所
[ほ]女性専用公衆浴場
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]梅毒検査院
説明:当時の表記では「黴毒院(バイドクイン)」となるらしい。要するにお客さんと裸のおつきあいをなさる女性たちの性病検査用の施設だったそうです。
■横浜に最初に建てられたときには、開港地の防疫が目的だったらしい。船員たちを相手にしていた夜の天使たちが対象だったのかな。そのころは吉原その他の遊郭の女性たちまでは検査していないようです。
■明治4年(1871年)に千住(せんじゅ)に黴毒院が設けられます。千住は吉原に近い。吉原は現在の台東区千束4丁目あたりですから歩いて40分の距離だったようです。
◇*HP「〒111-0031 東京都台東区千束4丁目 から 〒120-0034 東京都足立区千住 - Google マップ」
https://www.google.co.jp/maps/dir/%E3%80%92111-0031+%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%8F%B0%E6%9D%B1%E5%8C%BA%E5%8D%83%E6%9D%9F%EF%BC%94%E4%B8%81%E7%9B%AE/%E3%80%92120-0034+%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E8%B6%B3%E7%AB%8B%E5%8C%BA%E5%8D%83%E4%BD%8F/@35.7359796,139.6575381,11z/data=!4m14!4m13!1m5!1m1!1s0x60188eed09142165:0x68624f1fc82f4cbb!2m2!1d139.7963576!2d35.7234288!1m5!1m1!1s0x60188e489c335d3b:0xc4463e278e8c7d48!2m2!1d139.8032862!2d35.7483624!3e2?hl=ja
■そのお触れがなかなか泣かせます。
---いままで旅館のメシモリという者、その名目は年季奉公で実は人身売買であって、政治上許されぬところである。男女の交接は人倫の大節にて、これをみだりにするは風俗の正しからざるところ、廃すべきである。一人の黴気(バイキ、梅毒)が大勢にうつり、健康を損い生命を害する。売女に告ぐ。ことわざに風と負債はかくすにしたがって増えると。これは一生かくしてもいられよう。徽毒だけはかくせばかくすほどあらわれる。これが蔓延するのは遊里である。なんじら売色の身といえども、一生遊里に沈むものではあるまい。この趣旨がわかれば、いったんの恥を捨て、終身のわずらいを免れるべし。云々(うんぬん)。
■道徳方面から攻めてみたり、損得勘定から攻めてみたりしていますね。なにしろ、女性の性病検査です。御股を開かねばなりません。こんなに恥ずかしいことはない。最初はなかなか理解されず、苦戦したようです。政府の言葉どおり、性病を早期発見して治療することは、当人のためにもなることなのでしょうけれど。
■大阪でも同じ年に浪花医学校で梅毒の検査をするため、府下の女郎屋にお触れを回して何十名かを集めたらしい。娼妓たちは最初は健康診断だけで帰されます。後日、再度呼び出され、今度は鍵のかかる部屋に案内されたらしい。少し高いところに、座面に直径15cmばかりの穴があいた椅子がおいてあります。そこに登り、和服の裾をからげ、洋式トイレに座るように座らされます。診察する医務官が下から秘所を覗くという仕掛けだったらしい。
■管を性器に差し込み、器具で押し開き、間口から奧のほうまで検査したらしい。プロの女性たちはびっくりぽんです。逃亡をはかりますが、部屋には鍵がかかっています。検査を受けないと商売を許さないときつく言い渡されますが、それでもそんな辱めは受けたくないと泣いて逃げ回る婦人が多かったらしい。
■結局、1人残らず検査は受けさせられたようです。でも廓は恐怖に震え上がったらしい。女郎屋の主人たちは検査延期の願いを出したとも言われます。
■流言蜚語(リュウゲンヒゴ)も飛びました。「黴毒検査などといって実は局所から真珠を取るのだ。真珠を取られると長生きできない」。これは不思議なデマですね。そんな真珠は誰も見たことがないはずなのに。
■政府は黴毒院での活動を中止せず、粘り強く検査を勧めたようです。2〜3年後には真珠採りのための検査ではないと理解され、進んで医者に見せつける豪傑まであらわれたそうです。若いハンサムな医者だったのかな。
■当時の狂歌には、「絵にかいた 枕草紙(まくらぞうし)を やめにして ナマを見たがる 馬鹿な役人」というのがあるそうです。枕草子は現代でいえばエロ本ですね。「思いきや 親にもかくす 身のほとを 月々三度 しらるべしとは」。秘所は親にさえ隠すもの。それを頻繁に見られちゃうなんて…という嘆きなのかな。この場合の「ほと」は、女陰を指します。身の程(身分、立場)と掛けているようですね。
◆参考*1:書籍 「幕末明治風俗逸話事典」初版329〜331頁、紀田順一郎(きだ じゅんいちろう)著、ISBN4 -490-10338-7、東京堂

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コメント(2件)

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梅毒はもともと北米の牛固有の病気だったそうで、コロンブスが発見してヨーロッパに戻ったら、あっという間に広まり、日本にも到達したとか・・・
牛の・・・したんですかね?
ねこのひげ
2016/05/15 08:38
コメントをありがとうございます。

 牛固有の病気だったとすると、たしかに可能性はありますね。肉食が主流の人たちには裏の文化として獣姦があると聞きますし。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2016/05/15 22:30

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