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zoom RSS 賄賂政治家の代表、田沼意次(おきつぐ)。田沼に何も依頼しなかった大名は誰なの?

<<   作成日時 : 2016/04/16 07:54   >>

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★歴史★
問題:田沼意次は、江戸時代でいちばんあこぎな賄賂政治家といわれる半面、幕府の経営改革を上手に進めた人物であるとも評価されています。昭和の前半には、もの凄い悪人と言われていたらしい。戦後は重商主義を進め、米本位から貨幣本位への転換をはかり、経済を振興した人物として評価されることも多くなっているらしい。
■田沼意次が老中になってから、外神田にあった田沼邸には、役職や官位を欲しがる者や、自家にとって都合のいい御手伝普請(おてつだいブシン)を命じてもらおうとする大名たち、さらに利権を狙う商人たちが連日押しかけてきたそうです。御手伝普請とは幕府の施設の改修工事や各地の土木工事などらしい。人や金がやたらとかかる工事もあれば、支出を最小限にできる工事もあるようです。宝暦(ほうれき、1751年〜1764年)のころ薩摩藩が指示された長良川の土木工事では1000人もの人が派遣され、大きな金が出て、藩士数十人と家老1人が自害するという悲劇が起こったそうです。この自害は憤死らしい。賄賂が足りなかったのかもしれません。
■肥前(現長崎県)平戸の藩主だった松浦静(清)山(まつら せいざん)が、随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に田沼邸の様子を書いているそうです
 「田沼家で客の応接に当てられた部屋は、三十余畳も畳が敷けるところであった。普通、老中方の屋敷というのは、客が障子を後にして一列に並ぶものなのだが、ここでは両側に並んでも人が余り、その間に幾筋も並び、さらに座敷の外にも並ぶという具合だった。そのため外側の人は主人が出てきても顔もみえない。いずれも刀は次の間におくのだが、幾十本とも知れない刀が並んでまるで海の波を描いたようであった」*1。
■田中角栄の目白の屋敷を陳情で訪れた人たちの話を聞いたことがあります。田沼邸と異なり、田中邸は事前予約制で待ち時間は少ないらしい。面会時間は1分30秒と言い渡されていたとのこと。会って挨拶し、土地の名産品を渡し、トンネルを作ってくれと頼み、ヨッシャという例の返事を得て庭に出て記念撮影をする。これで1分30秒だそうです。
■もちろん事前に秘書や角栄自身が、文書から判断し、この陳情は受けようとか決めていたんでしょうね。新潟出身の田中角栄は雪で冬は通行がままならなくなるという話に敏感に反応してくれたらしい。近畿地方のかなり山深い地域の人たちの陳情でした。
■閑話休題。田沼意次は、とても多忙だったようで、大名といえどもおいそれとは面会できなかったらしい。では、次の人たちの中で、田沼意次に面会できた人は誰でしょうか。(田沼に面会できた人はいないかもしれないし複数かもしれません)
[い]松浦静山
[ろ]阿部忠秋(ただあき)
[は]松平定信(さだのぶ)
[に]井伊直幸(なおひで)
[ほ]伊達重村(しげむら)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]松浦静山と[は]松平定信(さだのぶ)、[に]井伊直幸(なおひで)、[ほ]伊達重村(しげむら)
説明:つまりは[ろ]の阿部忠秋以外はみんな面会できたようです。阿部忠秋は、賄賂嫌いで知られる清廉潔白な政治家らしい。それだけではなく、阿部忠秋は3代将軍家光や4代将軍家綱(いえつな)に仕えた老中で、9代将軍家重(いえしげ)や10代将軍家治(いえはる)に仕えた田沼意次とは時代が違うようですね。
■[い]の松浦静山は、「甲子夜話」の中で、田沼家の用人である三浦という人物の才覚により、自分は特別に田沼に会えたと記しているらしい。三浦や田沼に賄賂を使ったかどうか、面会で何をしたのかは触れられていないようですけど。
■[に]の井伊直幸は、彦根藩の藩主であり、田沼と同時代の大老です。老中よりもランクが上の大老職に就きたいがために、田沼を訪れ破格の贈賄を贈り、「よろしく頼む」と依頼しているとのこと*1。
■[ほ]の伊達重村は、仙台藩の藩主です。中将に任官したいために巨額の賄賂を贈ったらしい。伊達家の文書にもその事実が記載されているそうです。
■[は]の松平定信は、田沼意次の後をついで寛政の改革を実行した人物ですね。「田や沼や 汚れた御世を 改めて 清らに住める 白河の水」という狂歌で知られるとおり、最初は期待されていたらしい。ところが寛政の改革を進めていくと、「白河の 清きに魚の 住みかねて 元の濁りの 田沼恋しき」と庶民に見限られてしまいます。内閣支持率は20%を切り、危険水域に入ったかな。「世の中に 蚊ほどうるさき ものは無し ぶんぶ(文武)といふて 夜も寝られず」というのもあります。蚊に譬えられるとは、だいぶ嫌われてしまったようですね。
■清き白河とは、松平定信が陸奧白河藩の藩主だからの呼びかたでしょう。でもこの清き白河も、田沼に「四位の官位がほしい」と頼み込んだらしい。松平定信はのちに「田沼をみるたびに、刺し殺そうと思っていた」と言っていたそうです。そんなに嫌いな人物に面会して腰を折って頼み事をするとは、どんな屈辱なのでしょうか。ちょっと想像がつきにくいですね。
◆参考*1: 書籍「江戸のワイロ」初版79〜83頁、童門冬二(どうもん ふゆじ)著、ISBN4-89036-887-6、文藝春秋

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
松平定信は幼少のころより、英明であったため、11代将軍候補となっていたようですがそれを恐れた田沼意次により陸奥白河藩に養子に出されたという話がありますね。
世が世ならば将軍の座に座っていたのに・・・と思えばはらわたも煮えくり返る思いだったでしょうね。
ねこのひげ
2016/04/17 11:11
コメントをありがとうございます。

 なるほど。そんな因縁があったわけですね。それじゃかなり嫌悪の情が強かったでしょうね。それでも頭を下げて官位を依頼しなければならないとは、どんな気持ちなのか。人生はなかなか楽じゃありませんな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2016/04/17 20:21
意外なことに、田沼意次はロシア(蝦夷地探索(工藤平助の影響)をしている

家治(10代)死去なければ、ロシア制圧する田沼意次に…なれた?
sadakun_d
2016/04/26 13:25
コメントをありがとうございます。

 田沼意次は、武士らしからぬ柔軟な発想があったようですね。血筋のいい人たちには思いつかないような政策もとれたのかな。
(^^;)
sadakun_d様<素町人
2016/04/27 20:03

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