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zoom RSS 信玄と謙信の一騎打ちを目撃した僧侶とは誰なの?

<<   作成日時 : 2016/03/09 06:18   >>

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★歴史★
問題:川中島の戦いはご存知のように5回の戦いがありました。いちばん激戦だったのは4回目。永禄(えいろく)4年(1561年)に行なわれました。織田信長が今川義元を討ち取った桶狭間の戦いの翌年です。
◇*HP「川中島古戦場八幡社 - Google マップ」
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92381-2212+%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C%E9%95%B7%E9%87%8E%E5%B8%82%E5%B0%8F%E5%B3%B6%E7%94%B0%E7%94%BA+%E5%B7%9D%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E5%8F%A4%E6%88%A6%E5%A0%B4%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A4%BE/@36.5912385,137.6263501,9z/data=!4m2!3m1!1s0x601d84588f9f0939:0xd58d4866103c0696?hl=ja
■謙信と信玄。2人の軍事の天才が正面からぶつかったようです。さまざまな駆け引きがあり、最大の山場としては、謙信と信玄が接近遭遇し、馬上の謙信が腰掛けていた信玄に刀で斬りつけるという場面があったらしい。信玄は軍配団扇(ぐんばいうちわ)でこれを防ぎ、軍配団扇には大きな防御創が残された…と伝えられています。最近作られたようですが、この場面を描いた銅像も残されています。
◇*HP「信玄・謙信一騎打ちの像 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E4%BF%A1%E7%8E%84%E3%83%BB%E8%AC%99%E4%BF%A1%E4%B8%80%E9%A8%8E%E6%89%93%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%83%8F&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjT586Sue7KAhWInJQKHbIsDHMQ_AUIBygB&biw=1280&bih=608
■頼山陽の漢詩、「川中島」には「鞭声粛々夜河を渡る」(べんせいしゅくしゅく、よるかわをわたる)という一節があるそうです。「鞭(むち)の音も静めてひっそりと千曲川夜間渡河作戦を決行する」という意味かな。第4次川中島合戦で謙信が実行した作戦の一場面らしい。現代でも「粛々と」という言葉はよく使われます。「粛々と対応する」とか「粛々と進める」は、政治家たちの愛用する言葉となっていますね。政治家が使う場合には、「静かに」という意味の他に、「雑音に惑わされず」といった意味も感じられます。
■さて、川中島の中でのハイライト、4回目の戦闘のなかでもクライマックスと言われる両雄の激突場面を遠くから目撃していた坊さんがいたらしい*2。歴史の本にも登場するようなかなり有名な僧侶です。では、この高僧とは次の誰でしょうか?
[い]沢庵和尚(たくあん おしょう)
[ろ]金地院崇伝(こんちいん すうでん)
[は]天海僧正(てんかい そうじょう)
[に]隠元禅師(いんげん ぜんし)
[ほ]一休さん
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]天海僧正(てんかい そうじょう)
説明:天海僧正は、徳川家康の側近として江戸幕府初期の宗教政策や朝廷政策に大きく関与した人物だそうです。秀忠・家光にも仕えたらしい。裏付けはないようですが、家康にひそかに助けられた明智光秀が宗教人に化けた姿という噂もあります。嘘かホントか108歳まで生きたという伝説もあります。とても謎の多い人物らしい。
■参考資料*2によれば、天海は合戦を見学していたときには若い僧侶だったらしい。郷里の会津不動院に身を置くかたわら、甲斐の武田家の祈祷師をしていたそうです。大旦那(信玄)に挨拶のため天海が甲斐におもむくと、信玄は信濃の川中島に出陣中だと言われます。で、足を伸ばして陣中に信玄を見舞いました。
■信玄は天海の顔を見て喜びます。「一両日中に越後の上杉謙信と決戦となろう。ここにいては危険だから、来春に改めて甲斐でお会いしよう」と言いました。
■天海は、言葉に従っていったんは帰路に着きます。でも好奇心が勝ったのか、翌日、思い直して、もう一度、川中島に引き返します。夜通し道を急ぎ、川中島の近くにたどり着き、山上から戦場を眺めていたそうです。
■すると御幣川(おんべがわ、千曲川に合流する支流の1つ)に謙信と信玄が乗り込んで一騎打ちする場面を目にすることができたとのこと。その夜、天海は信玄の陣所を訪れます。信玄は負傷をして身を横たえていました。「御坊(ごぼう、天海を指す)は帰られたと思っていたら、また立ち返られたのか。奇特なことだ」と言います。天海は、一騎打ちの目撃を告げ、「源平両家の戦いから、この方、大将同士の太刀打ちがあったことは今まで聞いたことがありません。お手柄なこと、感服の至りです」と誉めたらしい。
■すると、信玄の顔色が急に変わって不機嫌になります。言葉も、とげとげしく、「謙信と太刀打ちしたのは、わしではない。鎧 兜など、そっくり自分と同じように着込んだ影武者が戦ったのだ。知らない人は、わしだと見たかもしれないが、自分ではない。帰ってから、奥羽の伊達氏や会津の佐竹氏などに信玄が太刀打ちしたなどと口外されることのないように」と言ったそうです。
■信玄が口止めをした理由、不機嫌になった理由はわかりません。ただ、天海は後年になって、「甲陽軍鑑(こうようぐんかん、江戸初期成立の軍学書)」の記述を嘘だと言い続けていたそうです。つまり、信玄が床几(しょうぎ、腰掛け)に座り、謙信の斬り込む太刀を軍配団扇で受けたという記述ですね。
■天海の目撃談は面白いのですが、残念ながら事実かどうかはわかりません。なにしろ川中島の戦いについては、軍記物には記されているものの、信頼性の高い資料が少ないようです*1。いつか、新しい資料が見つかり、信玄が馬上で一騎打ちをしたのか、床几で謙信の太刀を受けたのか、あるいはそれ以外の形だったのか。わかる日が来るといいのですが。
◆参考*1:HP「川中島の戦い - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
◇*2書籍「戦国逸話事典」初版68〜69頁、逸話研究会編、IBSN4-404-01585-2、新人物往来社
◇*3HP「明智光秀が敗れた山崎の戦いの日。筒井順慶はほんとに洞ヶ峠で戦況を眺めていたの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201107/article_2.html
◇*4HP「天海 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B5%B7

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
記録媒体の多い現代でも間違いは多いですからね。
ましてやあの時代は人間の目と耳だけですからね。
天海僧正も色々な伝説に取り囲まれてますからね。
こうあったらいいな〜という人の思いが色々な逸話を生み出しているのでしょう。
ねこのひげ
2016/03/13 06:50
コメントをありがとうございます。

 こうあったらいいなという人々の思いが有名人の逸話を生み出すというのは、きっと事実でしょう。
 長嶋がホントに語られている逸話どおりの人だったらメチャクチャ面白いですよね。でも、逸話の中には、きっとツクリも含まれているのだろうなと思います。もちろんそれで長嶋の価値が下がるものではないのですが。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2016/03/13 14:48

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