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zoom RSS 将軍家剣術師範小野次郎右衛門の逸話。簡単にひっくり返された幕府の幹部とは誰なの?

<<   作成日時 : 2016/02/07 14:53   >>

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★歴史★
問題:剣豪の逸話には作り話が多いかもしれません。たとえば塚原卜伝(ぼくでん)という剣の名人は、宮本武蔵が斬り込んできたのを咄嗟(とっさ)に鍋の蓋で受け止めたという話が残されています。
■塚原卜伝は当時の第一人者です。剣豪将軍と呼ばれた室町幕府13代目足利義輝(よしてる)の師匠だそうです。卜伝が亡くなったのは元亀(げんき)2年(1571年)。一方、宮本武蔵は天正(てんしょう)12年(1584年)ごろに生まれたらしい。同時代の空気を呼吸したわけではありません。もちろん鍋蓋の逸話は作り話です。ちなみに武蔵は正保(しょうほう)2年(1645年)まで生きています。寛永(かんえい)14年(1637年)の島原の乱に参戦しているとのこと。
■本日の逸話も、事実かどうかははっきりしません。でも面白い。徳川将軍家の兵法指南役、小野次郎右衛門(じろうえもん)という剣豪のお話です。Wikipediaによれば、小野次郎右衛門という人物は知られているだけで4人ほどいます。いずれも流祖である伊藤一刀斎(いっとうさい)の流れをくむものらしい。この流れの末には幕末の千葉周作(しゅうさく)や山岡鉄舟(てっしゅう)、武市瑞山(たけち ずいざん、通称半平太(はんぺいた))やその弟子である岡田以蔵(いぞう、通称人斬り以蔵)などがいるようです。
■小野次郎右衛門のうちの1人は、徳川時代の初期、3代将軍家光と同時代に現役でした。やたらと強かったらしい。あるとき、幕府の重鎮の1人が、平伏している小野次郎右衛門にいきなり木刀で打ち込んできたようです。ちょっと卑怯かな。小野次郎右衛門はたちまちその人物をひっくり返したと言われます。攻撃されるのをどうやって察知したのか。不思議です。嫌な予感があったのかな。
■では小野次郎右衛門に簡単にあしらわれた幕府の重鎮とは、次のうちの誰でしょうか?
[い]大目付柳生宗矩(むねのり)
[ろ]京都所司代板倉重宗(しげむね)
[は]若年寄阿部忠秋(ただあき)
[に]老中松平信綱(のぶつな)
[ほ]将軍徳川家光(いえみつ)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]将軍徳川家光(いえみつ)
説明:小野次郎右衛門は、家光によって島流しにあっていたそうです。両国の見世物で稼いでいた剣術つかいを鉄扇でたたきのめしたかららしい。命に別状はなかったのか。心配ですね。
■剣術つかいの男は、自分は剣術無双の者だと称し、誰でもいい真剣勝負をしようではないかと看板を出していたらしい。小野次郎右衛門は門弟たちと男に出会ったが、不覚にも男を見て笑ってしまったそうです。男は「なぜ笑う、立ち会え」と迫ってきたらしい。小野次郎右衛門はやむをえず鉄扇で相手をしますが、相手が斬り込んできたので思わず眉間を打ち砕いてしまったそうです。この話が将軍の耳に入ります。師範たるべき行ないに非ず。師範は島流しされてしまったらしい。
■島暮らしをしていた小野次郎右衛門は、ある日、西瓜泥棒が逃げていると知らされます。追っかけられた泥棒は、瓜小屋に立て籠もり、捕り手多数に傷を負わせているらしい。小野次郎右衛門は脇差を持って駆けつけます。ところが運悪く、賊が投げた瓜の皮でひっくり返ってしまったらしい。泥棒は正面から斬り込んできます。小野次郎右衛門は素速く脇差を抜いて上へ払います。泥棒の腕が切り落とされ、すぐに召し捕ることができたそうです。命に別状はなかったのか。心配ですね。
■この話が家光の耳に入ります。許して再び召し抱えることにしたらしい。すぐに江戸城に呼びつけます。家光は毛氈を敷かせて待っています。家光も長く剣術は練習してきたらしい。多少の自信はあったのかもしれません。手合わせを願ったのかな。
■御前にあらわれた小野次郎右衛門は、毛氈の端っこで平伏します。家光がそっと木刀を振りかざして打ちかかろうとしたそのとき、小野次郎右衛門は毛氈の端を握って思い切り引っ張ったそうです。どし〜ん。日本一の権力者はあっけなく仰向けにひっくり返ってしまったとか。なんだかコメディ映画みたいな場面です。まぁ命には別状なさそうですけどね。
■その後のことはよくわかりません。小野次郎右衛門の名前は孫にまで伝えられていますので、少なくともその場でお手討ちにはならなかったのかな。ただし、世渡りの下手な小野次郎右衛門は、あまり出世はしなかった可能性が高い。
■これと対照的なのが柳生家です。家光から1本をとった小野次郎右衛門(忠常)の父親、小野次郎右衛門(忠明)は、柳生新陰流の柳生宗矩(むねのり)より1年早く、兵法指南役として就職していたらしい。ところがライバルの柳生宗矩は世渡りがうまく、ドンドン出世します。家光のころには大目付にまでなっていたらしい。単なる旗本ではなく、1万2500石の大名です。
■小野次郎右衛門忠明も忠常も、剣術はともかく、世渡りはさほどに上手くなかったらしい。柳生宗矩、十兵衛親子は歴史に名を残しましたが、小野次郎右衛門親子のことはほとんど知られていません。個人の好みとしては、頑固な剣術職人に見える、小野次郎右衛門のほうに共感を覚えますけどね。
◆参考*1:HP「一刀流中西派 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%88%80%E6%B5%81%E4%B8%AD%E8%A5%BF%E6%B4%BE
◇*2書籍「江戸逸話事典」初版75〜76頁、逸話研究会編、ISBN4-404-01593-3、新人物往来社

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コメント(2件)

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家光は「われは生まれながらに将軍である」と言った人ですから、このくらいのことはやりかねませんね。
江戸柳生は尾張柳生に負けたことがありますから、剣術というより世渡り上手だったんでしょうね。
ねこのひげ
2016/02/08 01:32
コメントをありがとうございます。

 本来、軍事関係者は、平時には生きにくいものですよね。実力や存在価値を示しにくいのですから。
 平和な時代にも上手に出世していく人は、よくいえば賢い、悪くいえばこざかしい。柳生家の人々もそうだったのかな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2016/02/08 18:44

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