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zoom RSS 据え物切りで垣間見えた兄弟の資質。震えていた兄とは誰のこと?

<<   作成日時 : 2016/02/03 08:42   >>

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★歴史★
問題:戦国時代のある春の日、うららかな午後のことです。有名な戦国武将の館で、据え物切りが行なわれました。
■据え物切りとは、刀の切れ味を調べるために、置いてある物を切ることです。据え物は死体の場合もあれば、生きている人間…罪人の処刑を兼ねた場合もありました。生き胴(いきどう)と呼ばれたらしい。他に竹とか畳表を巻いたものなどを置く例もあるようです*3。
◇*HP「生き胴 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%94%9F%E3%81%8D%E8%83%B4&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAgQ_AUoAmoVChMIquG1jcr7yAIVKNqmCh0_AQVd&biw=1280&bih=632#imgrc=ZJf9r617yzP-cM%3A
■主催した戦国武将は、戦さ好きで知られた人物です。参加したのは正室の息子2人。兄と弟でした。きっと生き胴だったのでしょうね。兄は度胸がなかったのか、あるいは心優しい男だったのか。足が震えて切っ先も定まらず、罪人を切ることはできなかったようです。弟はなんなくそれをこなしたらしい。
■様子を見ていた戦国武将は兄は廃嫡(はいちゃく、家督相続権の破棄)にして、弟を跡継ぎにしようと考えます。でも肝の据わらない兄は、後にたいへん有名な武将に成長します。誰でしょうか? 次の中から選んで下さい。
[い]大友宗麟(そうりん)
[ろ]毛利元就(もとなり)
[は]織田信長(のぶなが)
[に]上杉謙信(けんしん)
[ほ]武田信玄(しんげん)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]武田信玄(しんげん)
説明:主催した戦国武将は武田信虎(のぶとら)、弟は信繁(のぶしげ)だったとのこと*1。
■出来の悪い兄と良い弟。そんな例はたくさんあるのでしょう。たとえばよく知られているのは、幼名を竹千代と国松という兄弟です。3代将軍家光とその実弟松平忠長(ただなが)だそうです*3。兄は病弱でおっとりとした性格とのこと。弟は容姿端麗で頭がいい。武術の上達も速い。幼い頃から周囲に愛され、とくに実母である江(ごう、浅井長政とお市の方の3女、2代将軍秀忠の継室)は跡を継がせたいと思っていたらしい。
■この兄弟の場合は、祖父である徳川家康が竹千代こそが徳川を継ぐ身。国松は竹千代に仕える身とはっきりさせたことで、家督相続での争いはなかったようです。でも後年、松平忠長は家来や動物を殺すなど奇矯な振る舞いが多くなり、家光に幽閉されてしまいます。自ら死を選んだとも、自害を強要されたともいわれます。結局、不幸な結末になったらしい。
■武田家の兄弟は、不思議なことにそうした争いが起きなかったようです。天文(てんぶん)10年(1541年)、重臣たちと長男信玄が、父信虎を追放します。信虎は、娘婿である駿河の今川義元に面会して帰ろうとすると、信玄たちは国境を封鎖していました。地元に入れない信虎はやむをえず今川義元の許しを得て居候になったらしい。そのまま駿河で亡くなっています。
■このとき、信繁も兄に従ったようです。自分の味方であり、力強い後押しでもある父を追放するのですから、損な行為ではあります。なぜ信繁が黙っていたのか。よくわかりません。ともあれ、家督は信玄が継ぎ、以後、信繁は兄の補佐役に徹したようです。
■武田信玄は、「甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい)」という法律集を制定したそうです。その中には、「自分がこの法律を守らなかった場合、みずからも法の裁きを受ける」と記しているらしい。一種の法の下の平等かな。当時の武将たちが制定した法律集には、冒頭に「酒を飲みながら考えた。文句がある奴はいつでも来い。叩っ切ってやる」(今川仮名目録)と記されているものもあるとか*1。それに比べると、甲州のものはずいぶん近代的ですね。
■「甲州法度之次第」の元になっているのは、武田信繁が嫡嗣に残した「信繁家訓九十九ヶ条」だそうです。信繁は法治の進め方にも心を配っていたらしい。
■信繁は武将としても一流だったようです。天文(てんぶん)17年(1548年)、信濃平定をもくろんだ信玄は上田原で村上義清(よしきよ)と戦い、完敗を喫したそうです。甲斐攻略の好機とみた信濃守護小笠原長時(ながとき)の軍が塩尻峠まで攻め寄せてきます。信繁は騎馬隊による単独奇襲を計画します。大井ヶ森(現山梨県北杜市)に500騎を密かに集め、約40kmの距離を馬で駆け抜けたそうです。早朝に襲いかかります。油断していた小笠原軍は大混乱に陥ります。味方にはほとんど損害はなく、敵は1000人もの被害を出して退散したらしい。
◇*HP「〒408-0032 山梨県北杜市長坂町大井ヶ森大井ケ森 から 日本 塩尻峠 - Google マップ」
https://www.google.co.jp/maps/dir/%E3%80%92408-0032+%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E7%9C%8C%E5%8C%97%E6%9D%9C%E5%B8%82%E9%95%B7%E5%9D%82%E7%94%BA%E5%A4%A7%E4%BA%95%E3%83%B6%E6%A3%AE%E5%A4%A7%E4%BA%95%E3%82%B1%E6%A3%AE/%E6%97%A5%E6%9C%AC+%E5%A1%A9%E5%B0%BB%E5%B3%A0/@35.9698623,137.0702961,8z/data=!4m14!4m13!1m5!1m1!1s0x601c6ba230b8001b:0xc937e0b90dcbd601!2m2!1d138.353026!2d35.8535221!1m5!1m1!1s0x601d01a5af165889:0x8a5b77891aec15b7!2m2!1d138.028799!2d36.0861572!3e2?hl=ja
■武田信繁は、永禄(えいろく)4年(1561年)、4回目の川中島の戦いで戦死します。信玄は遺骸を抱いて涙に暮れたらしい。信繁は死後も評価が高かったようです。おなじ地域の知将真田昌幸(まさゆき)は、永禄(えいろく)10年(1567年)に生まれた次男に信繁と名付けます。通称真田幸村(ゆきむら)、平成28年(2016年)の大河ドラマの主人公ですね。
◆参考*1:書籍「歴史を動かした陰の主役たち」初版165〜175頁、BS-TBS「THEナンバー2」 制作チーム、ISBN978-4-309-22588-3、河出書房新社
◇*2HP「試し斬り - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%A6%E3%81%97%E6%96%AC%E3%82%8A
◇*3HP「徳川家光が弟を殺した理由は? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200704/article_32.html
◇*4HP「武田信繁 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%B9%81

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
臆病ゆえに織田信長などに恐れられる智将になったのかもしれませんね。
ねこのひげ
2016/02/07 09:51
コメントをありがとうございます。

 臆病というのは、予測の能力がある証拠ですよね。平時の政治においても戦時の策略においても武田信玄は賢かったようです。いい結果を得ています。予測し、計画する能力が高かったことを示しているのかもしれません。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2016/02/07 20:32

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