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zoom RSS 御前(ごぜん)が末尾につく女性たち。実在しないのは袈裟(けさ)御前なの?

<<   作成日時 : 2016/01/23 09:52   >>

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★歴史★
問題:御前という言葉は、読みがなかなか多いようです。「大辞泉」によれば、「みさき」と読めば、貴人の外出時の先払い、前駆けという意味とともに、変死人の霊魂という意味もあるらしい。おもに西日本で使われるようです。
■「江戸諸国百物語西日本編」によれば、山ミサキという妖怪がいて、事故など不慮の死を遂げた霊で、成仏できずに風となってさまよい、出遭った人に取り憑くとのこと。たとえば現山口県にあった豊浦郡の山ミサキは生首の姿で落ち葉の上を飛び、不運にも接近遭遇すると高熱を発し、最悪の場合は死に至るらしい*9。恐ろしいですね。
■「おまい」と読めば、同等以下の者に用いる二人称です。「てめえ」よりは敬意がありそうですが、「おまえ」よりも卑俗らしい。
■「おまえ」と読めば、「神仏や貴人の前」という意味になります。「全能の神の御前にぬかずく」などと使うらしい。同時に、身分の高い人を敬う気持ちで付ける語ともなります。また、「おまい」と同様に同等以下の相手に対する二人称にもなるらしい。
■「おんまえ」と読めば「貴人の前」という意味だけらしい。「皇后陛下の御前に進み出る」などと使うらしい。「ゴゼ」とも読みます。「ゴゼン」とも読みます。どちらも貴人、女性に対する敬称らしい。蕎麦屋さんのお品書きにも御前蕎麦と記されている例があります。貴人も食する高級蕎麦の意かな。
■本日は、○○御前(ゴゼン)と呼ばれた人物について考えてみましょう。次の5人の御前のうち、1人だけは架空の物語だけに登場し、実在の人ではなかったようです。それは誰でしょうか?
[い]常磐(ときわ)御前
[ろ]静(しずか)御前
[は]巴(ともえ)御前
[に]袈裟(けさ)御前
[ほ]顔世(かおよ)御前
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]顔世(かおよ)御前
説明:顔世御前は、「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」という人形浄瑠璃、歌舞伎の戯曲中に登場する人物です。塩冶判官(えんやはんがん、塩谷とも)のカミサンです。悪役である高師直(こうのもろのお)に横恋慕(よこれんぼ)されます。断ります。高師直は、腹いせに塩冶判官をイジメます。しばらくは辛抱していましたが、ついに切れた塩冶判官は刃傷沙汰を起こします。殿中で抜刀。禁則を破った塩冶判官は切腹、お家はお取り潰しになってしまいます。家老、大星由良之助(おおぼし ゆらのすけ)らによる復讐劇が始まるわけですね。
■ちなみに口絵は高師直が顔世御前に対してストーカー行為というか出歯亀(でばがめ、覗き)をしている場面らしい。高師直はかなりひどい人物と思われていたようですね。
■他の御前はみんな平安時代末期に実在した人物です。袈裟御前は、渡辺渡(わたなべわたる、亘とも、源(みなもとの)渡とも)という人物のカミサンです。若い遠藤盛遠(もりとお)という武士に懸想されます。遠藤がいきり立っているのを感じた袈裟御前は自分は夫のある身、亭主を殺してくれたら身をまかせましょうと告げます。夜、指定の時間に指定の部屋に入り、寝ている亭主を殺します。ところが、それは亭主の身を守ろうとした袈裟御前その人でした。遠藤盛遠は出家し文覚(もんがく)と名乗ります。のちに頼朝に亡父源義朝の髑髏(どくろ)を示して蹶起(けっき、決起)をうながしたと言われる人物ですね。「愚管抄(ぐかんしょう)」によれば、頼朝と文覚は同性愛だったらしい*1。ということは文覚は両刀遣いだったことになるのかな。
■常磐御前は源義朝(よしとも)の側室です。義経の実母です。平治(へいじ)元年(1160年)に起きた平治の乱で義朝は負け、義経ら幼子の命も危うくなります。常磐御前は平清盛に体を預けることで子供の命を救ったとも言われます。話としては面白いのですが、最近ではそんな史実はなかったのではと疑われています。清盛が頼朝を殺さないと決めたときから、義経らも命の危険はなかったそうです。
■静御前は義経の愛人です。頼朝の追及をうけ、吉野まで義経に同行していましたが、別れて京都に戻ろうとします。あいにく従者に持ち物を奪われ、山の中を迷い歩くうちに僧兵に捕らえられたらしい。京都にいた北条時政(ときまさ)に引き渡され、文治(ぶんじ)2年(1186年)に母親と一緒に鎌倉に送られます。義経の子を身籠もっており、男児なら殺すと頼朝に言われていました。産んでみると男児だったので無理矢理引き離され、赤ん坊は由比ヶ浜に沈められたらしい。母親とともに京都に送り返され、その後の消息は不明だそうです。
■巴御前は、木曾義仲の側室です。男勝りで馬にまたがり、戦さで活躍するという女傑だったらしい。義仲について京都まで攻め上ります。やがて義経と範頼(のりより)らの討伐軍に敗れて石川県の粟津まで落ちのびます。「女だからどこへでも逃れて行け。自分は討ち死にする覚悟、最後に女を連れていたなどと言われるのはよろしくない」と義仲に言われます。後世を弔ってくれといわれて涙ながらに東に去ったらしい。戦後、源頼朝から鎌倉へ召され、和田義盛(よしもり)の妻となって朝比奈義秀(よしひで)を生んだ…という凄い伝説もあります。朝比奈義秀は、豊臣「秀吉」の名前の元になったとも言われる豪傑です*6。
■他にも板額(はんがく)御前という鎌倉幕府に敵対した武将がいます。巴御前と並び称せられた女傑らしい。捕らえられ、2代将軍源頼家(よりいえ)に面会したそうです。
■Wikipediaに掲載されている○○御前という名前は、平安末期から鎌倉初期に集中しています。わずかな例外の1人が土田(どた)御前です。織田信長の実母だそうです*7*8。
◆参考*1:HP「文覚 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E8%A6%9A
◇*2HP「常盤御前 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E7%9B%A4%E5%BE%A1%E5%89%8D
◇*3HP「静御前 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%BE%A1%E5%89%8D
◇*4HP「巴御前 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4%E5%BE%A1%E5%89%8D
◇*5書籍「歌舞伎名作集2 丸本時代物集1」初版、戸板康二他監修、東京創元社
◇*6HP「羽柴秀吉の「秀吉」という名前の由来。誰の名前をもらったの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201205/article_9.html
◇*7HP「織田信成(のぶなり)が殺された日。信長に暗殺されたの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201411/article_18.html
◇*8HP「織田信長の誕生日。あだ名では「青鬼」と呼ばれていたの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201005/article_3.html
◇*9書籍「江戸諸国百物語西日本編」初版114頁、人文社編集部編、ISBN4-7959-1956-9、人文社

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
塩谷判官・・・浅野内匠頭
大星由良の助・・・大石内蔵助
名前を変えてもモロわかりなんですけどね。
多少のことには目を瞑ったんでしょうかね。
ねこのひげ
2016/01/24 05:39
コメントをありがとうございます。

 たしかに、名前は変えていても、誰でもピンと来る場合が多いですね。羽柴秀吉は、役名では真柴久吉。明智光秀は武智光秀。加藤清正は加藤正清、あるいは佐藤清正。織田信長は小田春長。たとえば歌舞伎の「絵本太功記」などでは、そんな名前です。
 現代の商標の場合は、似ているかどうかの判断に厳密な基準があるようですが、昔は曖昧だったのでしょう。武智光秀と明智光秀では、類似と判断されるかもしれません。現代で商標登録しようとしても通らないかな。
(^^;) 
ねこのひげ様<素町人
2016/01/24 09:53

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