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zoom RSS 上御靈神社(かみごりょうじんじゃ)に祀られている人々に共通する特徴とはどんなもの?

<<   作成日時 : 2015/12/05 09:38   >>

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★歴史★
問題:以前、弊クイズで応仁の乱のきっかけとなった私闘について出題しました。京都御所の北の端から同志社大学や相国寺(しょうこくじ)を越えて1kmも行かないうちにある御靈神社(ごりょうじんじゃ、通称は上御靈神社)という聖地があります。文正(ぶんしょう)2年1月16日(1467年2月21日)に、応仁の乱はここから始まると歴史家たちが主張する喧嘩があったようです。境内にある森がその舞台になったらしい。
◇*HP「御靈神社 - Google マップ」
https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%BE%A1%E9%9D%88%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.0291459,135.758448,15z/data=!4m2!3m1!1s0x6001081282a69523:0xc00d5f8f5da74919?hl=ja
◇*HP「御霊神社 京都 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE+%E4%BA%AC%E9%83%BD&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAgQ_AUoAmoVChMI--b6_5PNxwIVzKCUCh0lJAg4&biw=1268&bih=620
■火種となったのは畠山家の内部抗争だったらしい。畠山家は斯波家・細川家とともに三管領を構成する当時の政権中枢メンバーです。原因は跡目争い。弟が継ぐか、息子が継ぐかという古典的な構図だったらしい*10。
■ところで、上御霊神社には、ある特徴をもった人々が祀られているそうです。その特徴とは次のどれでしょうか?
[い]赤斑瘡(あかもがさ)という流行病で亡くなった人の魂が祀られている
[ろ]落雷の直撃を受けて亡くなった人の魂が祀られている
[は]嘉祥(かしょう)3年(850年)の大地震の犠牲者の魂が祀られている
[に]保元(ほうげん)元年(1156年)の保元の乱の際の大火に巻き込まれた人の魂が祀られている
[ほ]政争に敗れて亡くなった貴顕(きけん、セレブのこと)の魂が祀られている
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]政争に敗れて亡くなった貴顕(きけん、セレブのこと)の魂が祀られている
説明:上御霊神社に祀られているのは次のような人たちらしい。早良(さわら)親王/井上内親王(いのうえないしんのう)/他戸(おさべ)親王/藤原吉子(ふじわらのよしこ)/橘逸勢(たちばなのはやなり)/文屋宮田麿(ふんやのみやたまろ)。みんなまともな死に方をしていないらしい。
■最初の4人、早良親王・井上内親王・他戸親王・藤原吉子は、桓武天皇(口絵参照)の周辺の人物です。早良親王は、この中でも知名度の高い人物かもしれません。弊クイズでも触れたことがあります*4。延暦(えんりゃく)3年(784年)、桓武天皇が長岡京に首都を移転したとき、推進役の藤原種継(たねつぐ)という人物が弓で射殺されたらしい。その容疑者に擬せられたのが早良親王です。無実を叫び、抗議の意味からハンストに入り、10日後に絶命したとのこと。
▼血腥(ちなまぐさ)い桓武天皇の周辺
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■現在のサバイバルの教訓では、呼吸を止めれば3分で、水を飲まねば3日で、食事を断てば3週間であの世行きだそうです。3・3・3の法則と呼ばれているらしい。早良親王は、水分は摂取した可能性が高いのかな。
■井上内親王は、第49代光仁(こうにん)天皇の皇后だったひとらしい。第48代は淫乱という噂の絶えない称徳女帝。第50代は桓武天皇です。他戸親王は井上内親王と光仁天皇の間に生まれた息子さんだそうです。異母兄弟に早良親王と桓武天皇がいます。つまり、桓武天皇は同母弟である早良親王と異母弟である他戸親王をやっつけたようですね。
■宝亀(ほうき)3年(772年)、井上内親王は光仁天皇を呪詛(じゅそ)したという理由で皇后を廃されちゃったらしい。他戸親王は皇太子(公認跡継ぎ候補)だったようですが、彼もまた皇太子を廃されちゃいます。翌宝亀(ほうき)4年(773年)には光仁天皇の姉である難波(なにわの)内親王が亡くなりますが、井上内親王母子が呪い殺したという嫌疑がかかります。母子ともに現在の奈良県に流されて幽閉されます。宝亀(ほうき)6年(775年)に2人同日に亡くなったとのこと。暗殺説が噂されているようです。
■藤原吉子は、桓武天皇の2番目の夫人であり伊予(いよ)親王の母親らしい。謀反の疑いがかけられ、親子ともども現奈良県明日香村にあった川原寺(かわらでら、弘福寺(ぐふくじ))に幽閉され飲食を断たれたそうです。水も飲ませて貰えなかったとすれば、3・3・3の法則から3日を過ぎると生命の危険がありそうですね。結局、母子は自殺したらしい。
■あとの2人は桓武天皇の崩御後の事件です。橘逸勢は、早良親王と同じぐらいに知名度の高い人です。政界での業績よりも書道の筆跡のほうが有名です。三筆と呼ばれ、空海・第52代嵯峨天皇とともに日本書道界の伝説となりました。承和(じょうわ/しょうわ)9年(842年)に謀反の嫌疑をかけられ、拷問を受けましたが自白しなかったらしい。伊豆に流されますが途中で病死したとのこと。60歳を過ぎていたそうです。拷問の傷がもとだったのかもしれませんね。
■文屋宮田麿は、この中ではいちばん身分の低い貴族・役人です。キャリアハイは従五位上らしい。正一位から勘定して13番目、殿上人(てんじょうびと、天皇に面会する資格を持つ貴族)としては下から2番目のようです。筑前守に任じられ、九州に出張していたことがあるようです。843年(承和(じょうわ/しょうわ)10年)に謀反の疑いをかけられ、伊豆に流されて配所で没したようです。
■なお、藤原吉子の息子の伊予親王だけは下御靈神社に祀られているらしい。ここには母親の藤原吉子も、早良親王も橘逸勢も文屋宮田麻呂も祀られているとのこと。なんだか、ごっちゃになっていますね。下御靈神社は現在の京都御所の南東の端の近くにあるようです。
◇*HP「下御霊神社 - Google マップ」
https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%B8%8B%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.0170664,135.7678071,14z/data=!4m2!3m1!1s0x6001088bba0174c3:0x1b8ded6dcfe93032?hl=ja
■上下の御靈神社に使われている「御靈」という言葉は、本来は「霊魂」の尊敬語だそうです。でも神社の名前に使われている場合は怨霊とほとんど変わりません。「怨みを残して死んだ人の霊や疫神など,人々に災厄をもたらす怨霊」を意味するらしい。
■現代の我々にはピンときませんが、昔の人々は怨霊には現実の世の中を動かすほどの力があると考えていたようです。怨霊のあらぶる魂を慰め、しずめるために神社をもうけて祀ったり、公式記録の上でも復位・復権をしたらしい。でもねぇ、死んじゃってから皇后や皇太子に戻してやるとか元の官位にしてやると言われても意味がありません。遺族や子孫による復讐劇は避けられるということかな。
◆参考*1:HP「応仁の乱のきっかけとなった喧嘩が起きた日。どこの神社が舞台となったの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200802/article_21.html
◇*2HP「上御霊神社 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE
◇*3HP「早良親王 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E8%89%AF%E8%A6%AA%E7%8E%8B
◇*4HP「「怨霊(おんりょう)の祟(たた)りじゃ〜」で首都移転になったのはどの都? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200706/article_5.html
◇*5HP「井上内親王 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B
◇*6HP「他戸親王 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%96%E6%88%B8%E8%A6%AA%E7%8E%8B
◇*7HP「藤原吉子 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%90%89%E5%AD%90
◇*8HP「橘逸勢 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E9%80%B8%E5%8B%A2
◇*9HP「文室宮田麻呂 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%AE%A4%E5%AE%AE%E7%94%B0%E9%BA%BB%E5%91%82
◇*10HP「弟か息子か。後継者選定の方式が変わったのはいつごろなの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201507/article_4.html
◇*11書籍「日本奇談逸話伝説大事典」初版12〜13頁、志 村 有 弘(ありひろ)・松 本 寧 至(やすし)編、ISBN4-585-06002-2、勉誠社

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
平安時代は怨霊が実在すると言われていた時代ですからね。
風邪をひいただけでも誰かの呪いかもしれないと疑られた時代ですからね。
陰陽師安倍晴明などが稼ぎまくっていた時代ですからね。
人間とは欲深いであります。
ねこのひげ
2015/12/06 16:35
コメントをありがとうございます。

 比較的公平で、多くの結果に自分の責任が問われるのが現代ですよね。
 勉強不足で大学に落ちた。才能不足で芸人として売れなかった。攻める気概がないから試合で負けた。いつも当人の責任が問われます。
 1000年前の平安時代には、官位が上がらないのは生まれが悪いのであって当人の責任ではないかもしれません。かりに生活習慣病になったとしても、誰かの呪いだと言い逃れができるのでしょう。
 ストレスは現代のほうがはるかに大きいかもしれませんね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2015/12/06 19:16

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