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zoom RSS 現在の新宿御苑で起きた珍事。お殿様はどんな目に遭ったの?

<<   作成日時 : 2015/10/24 08:59   >>

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★歴史★
問題:東京に住む人なら、とくに西半分に住む人なら、新宿御苑をよくご存知でしょう(口絵参照)。新宿駅の南口から歩いて5分ほど。日比谷公園の4倍近い58ヘクタールの広大な土地が公園になっています。
◇*HP「新宿御苑 から 〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園 - Google マップ」
https://www.google.co.jp/maps/dir/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%BE%A1%E8%8B%91,+%E3%80%92160-0014+%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA%E5%86%85%E8%97%A4%E7%94%BA%EF%BC%91%EF%BC%91/%E3%80%92100-0012+%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%8D%83%E4%BB%A3%E7%94%B0%E5%8C%BA%E6%97%A5%E6%AF%94%E8%B0%B7%E5%85%AC%E5%9C%92/@35.6796767,139.714193,14z/data=!3m1!4b1!4m14!4m13!1m5!1m1!1s0x60188cc21b93233f:0x6a1eb1b5a117f287!2m2!1d139.710052!2d35.685176!1m5!1m1!1s0x60188bf214b15bd5:0x73dfdb11fdb9ff2d!2m2!1d139.7551457!
■江戸時代には高遠(たかとお)藩内藤家の下屋敷があった場所だそうです。西隣の新宿高校も含めて下屋敷の一部だったと聞きます。下屋敷の敷地はずいぶん広かったようですね。
■現在、あの場所にあれだけの土地を所有していると、日本有数の資産家ということになりそうです。でも江戸時代の高遠藩は、貧乏で知られていたらしい。内藤家の信州の領地は、山が多く、わずかな耕作地も痩せていたらしい。
■当時の馬子や雲助らが口ずさむ道中唄に、「人の悪いは鍋島、薩摩、暮六つの七つ立ち、銭は内(無い)藤駿河守、袖からぼろが下がり藤」と歌われていたとか*1。下がり藤は内藤家の家紋だそうです。
◇*HP「下がり藤 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%8B%E3%81%8C%E3%82%8A%E8%97%A4&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=RV3ZVL3CBIuj8QXYwoGwAw&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1200&bih=486
「暮れ六つの七つ立ち」は夕方6時(到着)、朝4時出発と解釈していいのでしょうか。人使いが荒いという意味かな。
■内藤家は元禄(げんろく)4年(1691年)ごろに高遠藩の藩主となったらしい。その後明治まで続くことになります。でもあまり歴史の表舞台には登場しません。正徳(しょうとく)4年(1714年)3月の江島生島事件で処罰された大奥の御年寄江島(絵島とも)の身柄を預かったことがあります。
■江戸時代のある日です。御奏者番(そうじゃばん)を務める大名が、内藤家の招きで下屋敷を訪れたそうです。小鳥狩りを楽しむ予定だったらしい。
■当時の下屋敷には、国元の百姓を呼び寄せ、作物を作らせているところが多かったようです。内藤家でも14〜15軒の百姓家が散在していたらしい。
■招待を受けた殿様は、小鳥狩りの最中なのにほうほうの体で下屋敷を逃げ出したらしい。なにか嫌なことがあったようです。それは次のどれなのでしょうか?
[い]森で百姓の子供を避けようとして落馬した
[ろ]森の中の古井戸に落ちた
[は]畑の脇の肥溜めに落ちた
[に]夕立にあい、雷にうたれた
[ほ]百姓の女房に抱きついて亭主に咎(とが)められた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]百姓の女房に抱きついて亭主に咎(とが)められた
説明:この殿様は遠州浜松6万石の井上河内守正甫(まさもと)だったらしい。御奏者番は将軍と大名の取次をすることもある重要な役目だったようです。無事に勤め上げれば、寺社奉行とか大坂城代、京都所司代、老中なんて役職が視野に入ってくる、いわば幹部候補生だったとのこと*1。
■わずかな供を従えて散策していた正甫氏は、ある百姓の一軒家に入ります。「少々疲れを覚えた。しばし休息いたすぞ」。「むさ苦しいところですが、どうぞごゆっくりお休みを」と応対した女性を見て正甫氏は驚いた。色は黒いし体つきはたくましいけれど、美しい顔の百姓の女房だそうです。
■気配で察するに、亭主は留守のようです。いつもは白粉だらけのなよなよした女中ばかり見ている正甫氏の下腹部が騒ぎます。やにわに女房の腕を掴んで引き寄せたらしい。胸元に手を差し込み、お戯れを始めたようです。女房は激しく抵抗します。
■そこに亭主が肥桶を担いで帰ってきます。このありさまを見ると、亭主はかついでいた天秤棒で殴りかかったらしい。正甫氏は2つ3つポカポカやられたようです。
■それでも武士らしく、逃げながらも抜刀して亭主の腕に傷をつけたようです。亭主がたじろいだ隙に屋敷に戻った正甫氏は不審顔の内藤氏を残し、供揃えを整えてさっさと逃げ帰ったとのこと。
■でも人の口に戸は立てられません。淫乱大名と江戸で評判になります。とうとう幕府高官の耳に届きます。文化(ぶんか)14年9月14日(1817年10月24日)、198年前の今日、奥州棚倉藩に国替えを命ぜられたそうです。同じ6万石だったらしい。でも土地柄と耕作地の肥沃さには格段の違いがあったようです。実収は激減します。井上家はその後19年間、窮乏生活を強いられるようになったとのこと*1。
◆参考*1:書籍「大江戸かくれ話事典」初版67〜68頁、平田公(ひらた こう)著、ISBN4-7947-0288-4、叢文社
◇*2HP「高遠藩 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%81%A0%E8%97%A9
◇*3HP「新宿御苑 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%BE%A1%E8%8B%91#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
毎日、懐石料理なんかを食べていると、吉野家の牛丼を食いたくなるのと一緒でしょうかね。
将軍家の御母堂は八百屋の娘や百姓の娘が多いようですね。
ねこのひげ
2015/10/25 06:39
コメントをありがとうございます。

 江戸時代でもパワハラ、セクハラは罰せられたわけですね。珍しい例なのかな。

 牛丼ばかり食べている素町人としては、たまには高級高価な料理も食べてみたいと思いますけど。でも、食べ慣れないものは腹をこわす原因になる…というのが、新宿御苑の教訓なのかな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2015/10/25 08:07

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