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zoom RSS 寝惚(ねぼけ)先生が狂歌で救ったのは人なの? 寺なの? 別の物なの?

<<   作成日時 : 2015/10/14 08:24   >>

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★歴史★
問題:「古今集」の編集主幹だった紀貫之(きのつらゆき)は、その前書きに「(歌は)力をも入れずして天地(あまつち)を動かし…」と書いたらしい。紀貫之は「歌はそれほど大きな存在だ」と言いたかったようです。
■別に意地の悪い解釈もあります。「(大きな存在である)歌が上手なのにもかかわらず私は過小評価されている。もっと出世を。もっと高い官位を」と親分である藤原時平(ときひら/しへい)に伝えたかったのではないか。うがちすぎかな。ちなみに時平は菅原道真の政敵であり、天神様の失脚を計り、大宰府に流した人です。
■江戸時代の狂歌師、宿屋飯盛(やどやのめしもり)は、「歌よみは 下手こそよけれ 天地(あまつち)の 動き出して たまるものかは」と、紀貫之を茶化しているようです。地震が苦手な素町人としては、宿屋飯盛の狂歌のほうに強い共感を覚えます。
■和歌と地震の相関、あるいは因果関係についての研究があるかどうかは知りません。でも、狂歌が出世に結びついた事例なら、弊クイズでも御紹介したことがあります。狂号(きょうごう、狂歌師の筆名)を白鯉館卯雲(はくりかん ぼううん)という武士らしい。詳しくは参考資料*1をご覧下さい。
■狂歌と出世の因果関係には事例がありましたが、江戸時代の中頃には、ある狂歌がある存在の存命に大きな影響を与えたそうです。狂歌師は寝惚先生という狂号の人物。では救われたのは次のどんな存在だったのでしょうか?
[い]寝惚先生の狂歌仲間。幕政批判ととれる狂歌で留置されていた
[ろ]貧乏神を祀った貧乏神社。神社本庁から不謹慎極まりないと廃止要求が出されていた
[は]女犯の堕落坊主が何人も出た寺。廃寺が検討されていた
[に]死者が出るほど熱狂的な喧嘩御輿(みこし)の祭。寺社奉行から中止すべきと意見が出ていた
[ほ]新築の橋の影響で廃止が評議されていた渡し舟。赤字化が心配されていた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ] 新築の橋の影響で廃止が評議されていた渡し舟。赤字化が心配されていた
説明:安永(あんえい)3年(1774年)、吾妻橋(あづまばし)が架けられたそうです。江戸時代に隅田川にかけられた5本の橋の最後だったらしい。その分だけ最新の建築技術が採用されたのでしょうか。天明(てんめい)6年(1786年7月18日)に洪水があったとき、他の橋は大きな被害を受けたようですが、吾妻橋は無傷。担当者は表彰されたとか*2。
◇*HP「東京駅(東京) から 吾妻橋やぶそば - Google マップ」
https://www.google.co.jp/maps/dir/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%A7%85%EF%BC%88%E6%9D%B1%E4%BA%AC%EF%BC%89/%E5%90%BE%E5%A6%BB%E6%A9%8B%E3%82%84%E3%81%B6%E3%81%9D%E3%81%B0,+%E3%80%92130-0001+%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%A2%A8%E7%94%B0%E5%8C%BA%E5%90%BE%E5%A6%BB%E6%A9%8B%EF%BC%91%E2%88%92%EF%BC%91%EF%BC%91%E2%88%92%EF%BC%92+%E6%9D%BE%E7%94%B0%E3%83%93%E3%83%AB/@35.6949851,139.7731174,15z/data=!3m1!4b1!4m14!4m13!1m5!1m1!1s0x60188bfbd89f700b:0x443025838b0ce6c6!2m2!1d139.766084!2d35.681382!1m5!1m1!1s0x60188ecf93ee7b77
ちなみに江戸時代の隅田川に架けられた残りの4本は、千住(せんじゅ)大橋・両国橋・新大橋・永代橋です。この順番通りに架けられたらしい。
■寝惚先生は別号を蜀山人、狂歌の巨人である大田直次郎(なおじろう、南畝(なんぽ)とも)です(口絵参照)。幕府の御家人でいわゆる御目見以下(おめみえいか)ではありますが、支配勘定というそこそこの役職まではついた人らしい。吾妻橋の渡しは無用だから廃止すべしという話が出ていると聞き、次の狂歌を詠んだとのこと。「あづまばし 吾妻橋(わがつまばし)と 書くからに わたしやお前の そばは離れぬ」。
■この狂歌が幕府の担当者の耳に入ったらしい。みんなで大笑いし、評議はそのまま立ち消えになったと江戸時代末期の逸話集「想古録(そうころく)」には記されていました*3。狂歌の力は偉大ですね。
■余談です。大田南畝もまた先輩のサラリーマン武士、狂号白鯉館卯雲とおなじように、狂歌で出世を願ったことがあるらしい。やはり「想古録」に記されている話では、白河侯(松平定信(さだのぶ))に謁見したとき、「数ならぬ 蝿同前の 身なれども おめしについて 罷出(まかりい)でたり」とご機嫌をうかがったらしい。ずいぶんと謙遜した歌ですが、松平定信には「見識の卑しき者なり」と不興だったようです。「飯」と「召し」の駄洒落が気に入らなかったのかな。それとも単に定信は頭が固かったのかな。
■田沼意次(おきつぐ)が失脚して松平定信が寛政の改革を始めてしばらくしたころ、大田南畝は「白河の 清き流れに 魚すまず 濁る田沼の むかし恋しき」と詠んだとか。この有名な歌が大田南畝の作品かどうかは、証拠は残っていないらしい。なにしろ辛口の幕政批判です。難を恐れ、当時は匿名の落首として発表されたはず。でも趣向の巧みさからいって大田南畝である可能性はあるのでしょうね。
◆参考*1:HP「江戸時代の武士兼狂歌師が歌で要求したものはなんなの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200607/article_87.html
◇*2HP「吾妻橋 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%BE%E5%A6%BB%E6%A9%8B
◇*3書籍「想古録1」初版75・151頁、山田三川(さんせん)著・小出昌洋(まさひろ)編、ISBN4-582-80632-5、平凡社

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
狂歌を理解して渡し舟の廃止を取りやめた幕閣も立派な連中ですね。
いまの閣僚はどうですかね?
瀬戸大橋が開通した時、本州と四国を繋ぐフエリーを廃止してますからね。
ねこのひげ
2015/10/18 04:20
コメントをありがとうございます。

 幕府の偉いさんたちの中には、松平定信のような堅物もいれば、滑稽味を解する風流人もいたようですね。

 船には船の良さがあります。経済的な理由で自然に廃業というのならしかたがないでしょう。でも無理に力を加えて廃止させるのは変ですよね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2015/10/18 08:35

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