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zoom RSS 茶道江戸千家の祖、川上不白(ふはく)の私生活。その呆れるほどの道楽とは?

<<   作成日時 : 2015/09/19 09:18   >>

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★歴史★
問題:表千家、裏千家という流派名を聞いたことがあると思います。表千家は千利休を祖とする千家流茶道の本家とのこと。裏千家はその分家だそうです。
■江戸千家というのもあるそうです。こちらは表千家7代目如心斎(じょしんさい)の高弟だった川上不白(ふはく)という茶人が、本家の許しを得て江戸に開いた千家の一派らしい(口絵参照)。
■川上不白は、享保(きょうほう)元年(1716年)ごろに御三家の1つ、紀州藩の藩士の次男として生まれたようです*1。運が悪ければ部屋住みで経済的・身分的に恵まれない人生を送るところだったのかな。紀州家江戸詰家老水野家の家臣として江戸に出ます。16歳のころ、紀州徳川家の茶頭(さじゅう/さどう、茶道の指南役?)だった表千家の如心斎に弟子入りし、だんだん頭角をあらわしていったらしい。
■如心斎は千家茶道の中興の祖と呼ばれる人物だったようです。経済の重心が武士から商人へと移っていく時代に、富裕町人を多く門弟として迎え入れたらしい。たとえば三井八郎右衛門(はちろうえもん)などが入門したようです。今に残る家元制度も如心斎の前後に生まれているようです。
■川上不白は、如心斎の1番の弟子になったらしい。いったん江戸に出てきて江戸千家を創設しますが、寛延(かんえん)4年(1751年)に師匠が亡くなったあと、後事の整理のために上京し、4年ほど滞在していたそうです。京都を舞台にした2時間ドラマですと、家元後継ぎ問題で必ずといっていいほど殺人事件が起こります。不白はそれを心配して京都に滞在したのかな。
■それはともかく、江戸に帰府してから半世紀余り、川上不白は大物茶人としておおいに活躍したようです。茶道の指導者としてだけでなく、茶碗や茶杓などの道具を造らせたりもしたらしい。また晩年には多くの書を残しているようです。
◇*HP「川上不白 茶碗 茶杓 書 - Google 検索」
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E4%B8%8D%E7%99%BD&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAgQ_AUoAmoVChMI1Yn_8LOQxgIVCUK8Ch3OTgCf&biw=1536&bih=758#hl=ja&tbm=isch&q=%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E4%B8%8D%E7%99%BD%E3%80%80%E8%8C%B6%E7%A2%97%E3%80%80%E8%8C%B6%E6%9D%93%E3%80%80%E6%9B%B8
■本日は江戸中期の風流人、川上不白の逸話からの出題です。参考資料*4の「江戸かくれ話事典」によれば、川上不白はある道ではたいへんな道楽者だったらしい。もちろんある道といっても茶道ではありません。別の道楽ですね。では、その道楽とは次のどれでしょうか? (不白の道楽は無いかもしれないし複数かもしれません)
[い]食い道楽
[ろ]着道楽
[は]女道楽
[に]芝居道楽
[ほ]蓄財
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]女道楽
説明:参考資料*4の記述が正しいとすれば、正確には女道楽だけでなく、同性も楽しんだようですけど。
■川上不白は江戸千家の家元の現役時代も、また隠退してからも、お金には困らなかったらしい。島津、毛利などの大名から富裕商人、吉原の花魁まで、彼の弟子は多かったようです。作品を頼まれることも多かったらしい。ただ、案を出し、設計図を引くところまではやりますが、実際に轆轤(ろくろ)を回したり、竹を削ったりするのは雇い入れた職人だったとのこと*4。
■無類の女好きだったらしい。5人の妾を抱えていたとのこと。うち2人は夜の相手とし、3人は処女のまま置いたらしい。夏は絹の蚊帳の中で2人と戯れ、3人の処女に団扇であおがせたとのこと。冬は八畳分という大きな三つ重ねの蒲団を敷き、2人と戯れ、3人の処女は寒さよけの肉布団として傍らに寝かしていたとのこと。なんだか凄いですね。
■茶道の弟子で成弥(読み不明)という15歳の美童も可愛がっていたらしい。でもちょっとしたトラブルが発生したらしい。16歳になる処女の妾、いねが成弥に惚れちゃったようです。不白もやがてそれに気付きますが、成弥ほどの美童はめったにいない。閑を出す踏ん切りがつかなかったようです。いねを寝所から遠ざけたりしたらしい。消極的な対策ですね。不白としては、成弥が成人したらいねと添わしてやろうぐらいの気持ちはあったらしい*4。
■でもそのうちにいねは成弥の子を身籠もってしまいます。不白の気持ちを知らない2人は思い詰め、ついに享和(きょうわ)元年(1801年)の11月6日、2人は心中してしまったらしい。
■この一件から不白の私生活が世間に知れ渡ったらしい。ただし、85歳という当時としては異常なほどの長寿のお爺さんの桃色醜聞です。深刻なとらえかたをするよりは、笑い話として伝わったのかも知れません。あるいは、不道徳な人間というよりも、生命力旺盛な後期高齢者として、人々の口の端に上がったのかな。不白が亡くなったのは文化(ぶんか)4年(1807年)、91歳だったらしい。
■文化勲章を受けられそうな表の顔と、若い男女の身体を金で操った裏の顔。その流派同様、高弟だった人物にもまた表と裏がある。なんて、週刊新潮の名物企画「黒い報告書」なら書くところかもしれませんね。
◆参考*1:HP「川上不白(かわかみ ふはく)とは - コトバンク」
https://kotobank.jp/word/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E4%B8%8D%E7%99%BD-15904
◇*2HP「表千家 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E5%8D%83%E5%AE%B6
◇*3HP「裏千家 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%8F%E5%8D%83%E5%AE%B6
◇*4書籍「大江戸かくれ話事典」初版38〜39頁、平田公(ひらた こう)著、ISBN4-7947-0288-4、叢文社

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
精力絶倫というお方ですね。
こちらは一人でも持て余し気味ですが(^^ゞ
ねこのひげ
2015/09/21 06:42
コメントをありがとうございます。

 素人考えに従えば、精力絶倫の原因物質は抹茶なのでしょう。
 抹茶はビタミンKや葉酸、ビタミンE、B2などが豊富だそうです。カフェインも豊富と聞きますから、これらの成分が複雑にからみあって効果を発揮するのかな。明日から抹茶を試してみようかしらん。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2015/09/21 09:38

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