町人思案橋・クイズ集

アクセスカウンタ

zoom RSS 江戸時代。庶民が駕籠に乗ることを許されたのはいつごろのことなの?

<<   作成日時 : 2015/06/10 08:35   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

★歴史★
画像

問題:現在のタクシーに相当する江戸の駕籠。幕末には1万挺を数える駕籠が活動していたそうです。
■参考資料*1の「江戸繁昌記」によれば、「都の人はどうしてこんなに急用が多いのか」と怪しむほどに駕籠は多かったらしい。しかも多くはスピードを出していたようです。「人ごみの中を走って、巧(たくみ)に人を避け、近寄るものを、軽く肩ではねる。まるで無人の境を行くがようだ」。
■町人が乗るのは四つ手駕籠という飾り気のない駕籠です。大名や幕府の高級官僚、高位の坊さんや医師などは、「網代(あじろ)の駕籠」と呼ばれるような、装飾性のある駕籠に乗ったらしい。
◇*HP「四つ手駕籠 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%9B%9B%E3%81%A4%E6%89%8B%E9%A7%95%E7%B1%A0&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=vHzNVOW6E-K8mAX8iYDYBQ&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1536&bih=718
◇*HP「網代の駕籠 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%B6%B2%E4%BB%A3%E3%81%AE%E9%A7%95%E7%B1%A0&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=Rn7NVMDILIPZmgWk_YHgCA&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1536&bih=718
ちなみに網代というのは、駕籠の場合には「檜(ひのき)のへぎ板・竹・葦(あし)などを、斜めまたは縦横に組んだもの」だそうです。
■ところで江戸の駕籠はいつごろから庶民の足となったのでしょうか? 次の中から選んでください。
[い]宇都宮釣天井事件のころ(元和(げんな)8年(1622年)ごろ)
[ろ]明暦の大火のころ(明暦(めいれき)3年(1657年)ごろ)
[は]八百屋お七が処刑されたころ(天和(てんな)3年(1683年))
[に]赤穂浪士の吉良邸襲撃のころ(元禄(げんろく)15年(1703年)ごろ)
[ほ]徳川吉宗が目安箱を設置したころ(享保(きょうほう)6年(1721年)ごろ)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:乗り始めは[に]赤穂浪士の吉良邸襲撃のころ(元禄(げんろく)15年(1703年)ごろ)、本格の普及は[ほ]徳川吉宗が目安箱を設置したころ(享保(きょうほう)6年(1721年)ごろ)
説明:一般に知られているところでは、「元禄年間、公儀から初めて一般人民に駕籠に乗ることを許した。けれども当時は、駕籠の数もわずかに江戸中を探して百とはなかったから、むろん老人だとか、病人でなければ、みだりに乗ることはできなかった」*1。
■元禄時代も末のほうでようやくたった100挺の駕籠が許可されたそうです*2。ところが、これが大流行したらしい。乗ったのは老人と病人だけでなかったようです。現代でいう白タク、無許可営業の人も参入したのかな。幕府は、そんなはずじゃなかったと禁止します。その結果、公認・未公認・無所属の人も含めて駕籠舁きたちは職を失います。道端で乞食のように物乞いする者がふえたらしい。幕府は半世紀以上前の慶安(けいあん)の変や承応(しょうおう)の変の教訓もあり、失業者が反社会的・反体制的行動を生むことは十分に承知しています。これはまずい。救済のために町人の駕籠を復活させたそうです。享保(きょうほう)9年(1724年)のことだったらしい*1。まっ、おおむね18世紀前半に駕籠は庶民の足になったようですね。
■以後、江戸の駕籠産業はどんどん発展していったらしい。「蔵前駕籠」など、落語の枕で説明されるように、大部分の駕籠屋は辻駕籠・町駕籠と呼ばれ、繁華な場所で客を待っていたらしい。タクシーかな。ごく一部の駕籠は店を構えた駕籠屋に所属していたようです。ハイヤーかな。こちらのほうが高級なのでしょうね。赤岩(大伝馬町)、初音屋(芝口)、伊勢屋(浅草)、江戸勘(浅草)、平松(吉原)、日本交通(北区浮間)などが知られているそうです。最後のは違うか。
■江戸で駕籠が見られた最後の年は明治5年(1872年)ごろらしい*3。1人で稼げる人力車の登場で、どんどん駆逐されたようです。今回、失業者問題は起きなかったらしい。駕籠舁きはみんな人力車夫へと転職したそうです。
◆参考*1:書籍「江戸繁昌記」初版169〜172頁、寺門静軒(てらかど せいけん)著、三崎書房
◇*2HP「江戸後期にはどのぐらいの駕籠屋がいたの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201406/article_3.html
◇*3HP「駕籠 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%95%E7%B1%A0

ぬけられます→歴史雑学クイズ一覧

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
駕籠というのはあまり乗り心地は良くなかったと聞きましたけどね。
流行って幕府が禁止するのをやめたという事は、歩くよりはよかったですかね。
ねこのひげ
2015/06/14 07:41
コメントをありがとうございます。

 昔の道は舗装もありませんし、犬や馬の糞もやたらと落ちていたようですし、雨が降れば確実にぬかるみます。夜は今よりはるかに暗いので強盗や辻斬りに遭遇する可能性もあります。
 当時の江戸の人は、今の都会の人よりはずっと健脚なのでしょうけれど、それでも歩くのはイヤだったのかも。
 もうひとつ考えられるのは、将軍や大名が駕籠に乗っていたので、下々も真似をしたがったのかもしれません。どの社会でも下は上を真似るものらしく、多くの風俗は上から下へと流れていくと聞きます。駕籠もその一例なのかな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2015/06/14 09:18

コメントする help

ニックネーム
本 文
江戸時代。庶民が駕籠に乗ることを許されたのはいつごろのことなの? 町人思案橋・クイズ集/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる