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zoom RSS 師匠には「一生前座」と宣告されていたのに歴史に名を残した明治の落語家とは誰なの?

<<   作成日時 : 2015/06/17 08:48   >>

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★歴史★
問題:明治時代に物凄く有名だった落語家さんの話です。弘化(こうか)2年5月11日(1845年)生まれ。明治維新のころは12歳でしょうか。明治31年(1898年)11月4日に亡くなっています。まだ53歳だったのかな*2。
■この人は、明治落語界の巨人、三遊亭圓朝(えんちょう、口絵参照)に弟子入りしたらしい。残念ながら物覚えが悪かったようです。話をなかなか記憶できなかったらしい。覚えた話もあまりうまくはやれない。師匠もがっかりしたのか、「一生前座」と宣告したことがあったらしい*1。
■ところが、真打ちに昇進してからある珍芸を始めたところ、大変な人気となり、その名は21世紀にも語り継がれるほどになりました。ではその人物は次の誰でしょうか?
[い]初代三遊亭圓遊(えんゆう)
[ろ]4代目立川談志(たてかわ だんし)
[は]初代三遊亭萬橘(まんきつ)
[に]4代目橘家圓太郎(たちばなや えんたろう)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]4代目橘家圓太郎(たちばなや えんたろう)
説明:実は、選択肢に挙げた4人は、いずれも珍芸で売った芸人で、明治の珍芸四天王と呼ばれているそうです。
■[い]の初代(3代目)三遊亭圓遊は、ステテコ踊りの圓遊と呼ばれました。鼻が大きかったので「鼻の圓遊」とも呼ばれました。落語のあとで余興として踊ります。大きな鼻をもいで捨てるような振り付けらしい。「捨ててこ、捨ててこ」といいながら着物の裾をまくって踊ったそうです。股引(ももひき)が見えます。いま、薄手の股引をステテコと呼ぶのは、三遊亭圓遊の芸から来ているという説もあるようです*3。なお、Wikipediaによれば3代目が余りに売れたために先代の2人は無視され、初代と呼ばれているそうです*3。
◇*HP「圓遊 ステテコ  - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%86%E3%82%B3%E3%80%80%E5%9C%93%E9%81%8A&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAcQ_AUoAWoVChMIucnLupyVxgIVky-8Ch264AP7&biw=1536&bih=758#hl=ja&tbm=isch&q=%E5%9C%93%E9%81%8A%E3%80%80%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%86%E3%82%B3%E3%80%80
■[ろ]の4代目立川談志は「釜掘りの談志」と呼ばれました。落語「廿四孝(にじゅうしこう)」にも登場する郭巨(かくきょ)という中国の昔の孝行息子が山で金の塊を見つけるというお話にヒントを得て、「そろそろ始まる郭巨の釜掘り、テケレッツのパッ!」などと言いながら愉快な仕草を見せたそうです*4。ちなみにこの場合の「釜」は鍋の親戚ではなく、「金の延べ棒を数える単位」だそうです。
■[は]の初代三遊亭萬橘は、「ヘラヘラ踊り」というので名前を馳(は)せた人らしい。「ヘラヘラヘッたらヘラヘラヘッ」などといいながら滑稽な仕草の踊りや表情を見せたらしい。ヘラヘラ踊りの人気ゆえにへらへら坊萬橘と仇名がついたようです*5。
■そして4代目橘家圓太郎(たちばなや えんたろう)です。まるで売れそうになかったけれど、いつのころからか高座へラッパを持ってあがったそうです。Wikipediaによれば出囃子のかわりにラッパを吹いたらしい。当時の乗合馬車の真似をして「お婆さん、危ないよ」などと言ったのが大人気になったらしい。馬車の真似で小旗を振ったりもしたらしい。あまりの人気にしまいには乗合馬車を圓太郎馬車と呼ぶほどになってしまったとのこと。関東大震災後の東京では、壊滅した路面電車網の代打としてT型フォードを改良した小型のバスが大量導入されました。これも圓太郎バスと呼ばれたようです*2*6。
◇*HP「乗合馬車 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B9%97%E5%90%88%E9%A6%AC%E8%BB%8A&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAcQ_AUoAWoVChMI27Cbk66VxgIVYtimCh1gSQDn&biw=1536&bih=758
◇*HP「圓太郎バス - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%9C%93%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%83%90%E3%82%B9&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAcQ_AUoAWoVChMIrOqwuayVxgIVQSymCh3PMACd&biw=1536&bih=758
■落語は下手だし、音曲(おんぎょく、俗曲などの和風軽音楽)といってもいつもおなじような都々逸(どどいつ)を歌うだけ。でも彼が高座へ上がってラッパを吹けば、それだけでお客は満足したらしい。人柄が無邪気で言うに言われぬ愛嬌があったとも言われます。いまの芸人さんも、売れているのは芸の力ではなく、むしろ画面や舞台から伝わる人柄が大事と聞きます。昔からそうなのかな。
■なお、不思議なことに、落語の中興の祖とも言われる三遊亭圓朝の実父は初代の橘屋圓太郎だそうです。初代だけは橘「屋」だそうです*2。純粋な落語家ではなく、都々逸や大津絵、小唄や端唄などの俗曲も歌う音曲(おんぎょく)師だったらしい。自分の弟子に4代目橘家圓太郎という名前をつけたのは圓朝なのでしょうか。なにか因縁を感じたのかな。
◆参考*1:書籍「明治人物逸話事典(下)」新装3版44〜45頁、森銑三(せんぞう)著、ISBN 4-490-10225-9、東京堂出版
◇*2HP「橘家圓太郎 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E5%AE%B6%E5%9C%93%E5%A4%AA%E9%83%8E
◇*3HP「三遊亭圓遊 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%81%8A%E4%BA%AD%E5%9C%93%E9%81%8A#.E5.88.9D.E4.BB.A3
◇*4HP「立川談志 (4代目) - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E8%AB%87%E5%BF%97_(4%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
◇*5HP「三遊亭萬橘 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%81%8A%E4%BA%AD%E8%90%AC%E6%A9%98
◇*6HP「大正時代の面白い流行語。「あなたは三越ね」と言われたら、喜ぶべきなの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200805/article_12.html

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コメント(2件)

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明石家さんまさんが、落語家だというのは、いまやほとんど知られていないでしょうね(≧◇≦)
ねこのひげ
2015/06/21 11:32
コメントをありがとうございます。

 明石家さんまは、2代目笑福亭松之助の弟子だそうですね。素町人は落語好きなのでかろうじて知っていますけど、落語を聴かない人は知らない人も多いでしょう。
 ちなみに笑福亭松之助師匠の本名の姓が明石さんだそうです。最近亡くなった桂米朝とおない年ですから、もうさすがに落語は語らないようですけど。
(^^;)

 
ねこのひげ様<素町人
2015/06/21 18:52

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