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zoom RSS 東国に下った僧侶が馬と交換されてしまう原因は?

<<   作成日時 : 2015/05/23 09:15   >>

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★歴史★
問題:参考資料*1の「古事談」という鎌倉時代初期の説話集に、不思議な話が掲載されていました。ある僧侶が東国に下り、修行していたそうです。法華経に凝っていたらしい。
■ところがあることがきっかけで僧は自分の身体を東北に持って行かれることになります。しかも馬と交換されるということになったらしい。どうも奴隷の身分に落とされちゃったようですね。
■修行中の僧侶がなぜ馬と交換されることになったのか。次の中からその理由を選んで下さい。
[い]誤って人を殺してしまった
[ろ]誤って人の目を潰してしまった
[は]酒を飲み過ぎて借金ができた
[に]女に入れ込み過ぎて借金ができた
[ほ]賭博で負けが込んで借金ができた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]賭博で負けが込んで借金ができた
説明:賭博とは双六(すごろく)のことらしい。11〜12世紀の白河天皇が「天下三不如意(さんふにょい)」の1つに挙げていた「双六の賽(さい)」なのかな。白河天皇が双六を思うようにならないものの1つに挙げたのは、「双六の流行を止めることができない」という意味だという意見も聞いたことがありますが*4。どちらにせよ、娯楽の少ない時代に双六賭博は多くの人びとに愛され、かつ憎まれてもいたようです。
■なお、当時の双六は、江戸を出発して京都であがりといった道中双六ではありません。似ている遊びを挙げるとすれば西洋のバックギャモンという遊戯が似ているそうです。
◇*HP「双六 正倉院 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8F%8C%E5%85%AD%E3%80%80%E6%AD%A3%E5%80%89%E9%99%A2&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=orlfVbOlAcuB8QXXjoL4Ag&ved=0CAgQ_AUoAg&biw=1536&bih=758
Wikipediaの双六の項によれば、賽子(サイコロ)は2つ使います。6のゾロメが出るととても有利になるらしい。双六(6が2つの意)という呼称もそこから生まれたと紹介されていました*6。ちなみに「ロクでもない」という言葉の由来も双六にあります。なんてね。これはたったいま素町人が思いついた作り話です*5。
■弊クイズで以前に紹介した例では、薬師寺の坊さんが双六がらみで仲間の坊さんを殺してしまったという話もありました*2。双六は人に狂気を与えるものなんですね。
■古事談によれば、次のような話になっているようです。僧侶は国人(こくじん)と双六をやって大敗したようです。国人というのはその地の住民のことらしい。この坊さん、トコトンやる性格のようです。最後には自分の身体まで賭けたらしい。「負けたら身体で払う」というのは、若い女性の話だけかと思ったら、修行中の僧侶でもあるのかな。
■勝った男は僧を陸奥(みちのく)へ連れて行き、馬に取り替えようとしたらしい。なぜわざわざ旅費と時間を費やして東北地方におもむき、そこで馬と交換するのか。事情はわかりかねます。東国では人身売買が禁じられていたのかな。
■その話を耳にした一向専修(いっこうせんじゅ)の僧徒たちが、僧を哀れんだらしい。そのあたりは熊谷入道が一向専修を広めていたようです。一向専修の旗振り役の坊さんは平安末期から鎌倉初期に活躍した法然らしい。親鸞の師匠筋にあたる人で、日本宗教史上でも超大物です(口絵の人物)。
■熊谷入道というのは熊谷次郎直実(なおざね)です。寿永(じゅえい)3年(1184年)、一ノ谷の合戦で美少年平敦盛(あつもり)を討ったことでも知られます。治承・寿永(じしょう・じゅえい)の戦い、源平の合戦が終わったあとで法然に弟子入りして出家したらしい*3。いまの埼玉県熊谷市近辺の武将です。
■後に織田信長がことあるごとに舞ったという幸若舞の「敦盛」は、熊谷入道と敦盛の話から生まれた芸能のようです*7。「人間五十年、化天(ゲテン、下天とも)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」という歌詞で知られる舞らしい。太く短く生きようという応援歌なのかな。
▼幸若舞「敦盛」

この動画で見る限りでは、中世日本らしく素朴な歌であり舞ですね。武将よりは我ら一般庶民の好みにあっているような気もします。
■閑話休題。一向専修の人々は、手持ちの布を出し合い、修行僧を留(とど)めようとしたらしい。双六の勝者も、最初は布300反と取り替えようと言っていたようです。でも一向専修の人々が憐憫の心から言っていることなので、半分の150反でこの僧を許しましょうと言ってくれたらしい。
■ちなみに布の単位の反は、1着分の布だそうです。時代によって多少の変動はあるようです。おおむね幅9寸5分(約29cm)、長さ3丈(約9m)以上らしい。価格はちょっとわかりません。150反で150人分の着物が作れます。当時の着物は現在と比べてはるかに貴重なものであり、高価なものだったはずです。現代の貨幣価値には直せませんけど、勝手に憶測するところでは、少なくとも3桁、100万円は越えているのでしょうね。
■一向専修の人たちは、「この恩を肝に銘じて、これから後は一向専修の徒となるが良い」と言ったそうです。すると、この僧は「たとえ馬の直(ちょく)となって縄をつけて陸奥へ行くとしても、法花経を捨て奉って一向専修に入りません」と言って泣いたとのこと。「馬の直」がよくわからない。馬と交換されることに関係しているのかな。法花経は法華経と同義ではないかと推測されます。
■なお、鎌倉時代初期の話ですので、この法華経は日蓮とは無関係かと思われます。聖徳太子が西暦606年に法華経を講じたという記録があるそうです。ずいぶん古くから日本に入ってきている教えらしい。これに対して一向専修のほうは、前述のように平安時代末期に法然らの布教によって盛んになった宗派のようです。
■一向専修の人たちは、「それでは請い出すことはできぬ」と言って、たちまち解散しちゃったようです。修行僧は縄をつけられて追い立てられ、陸奥へ行ったらしい。変な奴ですね。平気で戒律を破るくせに、妙に法華経にこだわっているようです。現代の不信心者からみれば、どうせおなじ仏教なんだから、どっちでもいいような気もしますけどねぇ。
◆参考*1:書籍「原本現代訳 古事談」文庫初版174〜175頁、源顕兼(あきかね)原著/志村有弘(ありひろ)訳、教育社
◇*2HP「薬師寺で起こった殺人事件。殺人の動機は美女をめぐる恋の鞘当(さやあて)なの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201106/article_4.html
◇*3HP「美少年敦盛を殺害した熊谷次郎直実。頭を丸めたホントの理由は? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200701/article_60.html
◇*4HP「白河天皇 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B2%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87
◇*5HP「漢検1級程度の書取。「のど飴をナメル」のナメルはどう書くの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201109/article_10.html
◇*6HP「すごろく - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%94%E3%82%8D%E3%81%8F
◇*7HP「日本人の平均寿命が50年を越えたのはいつごろのこと? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201310/article_6.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
けったいな坊さんですね。
まあ、戒律が厳しいほど破りたくなるものですがね。
ねこのひげ
2015/05/24 13:44
コメントをありがとうございます。

 ホントに変な奴です。
 ひどいことをしてしまったけど、法華経への忠誠だけは拠り所として残したかったのでしょうか。どうも気持ちが理解できません。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2015/05/24 19:09

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