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zoom RSS 皇女和宮(かずのみや)が中山道を通った理由。暗殺を恐れたからなの?

<<   作成日時 : 2015/04/04 15:22   >>

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★歴史★
問題:文久(ぶんきゅう)元年(1861年)の秋10月。孝明(こうめい)天皇の妹、和宮が将軍家茂(いえもち)に嫁ぎ、翌年には婚礼の式をあげました。弘化(こうか)3年(1846年)7月3日に生まれた女性らしい。現在の数え方に従えば満15歳と3ヶ月ほどで嫁いだことになります。
■中心になって画策したのは九条関白という人物だそうです。そもそもは井伊直弼(なおすけ)大老に嫁がせる予定だったという話もあります*1。ところが安政(あんせい)7年3月3日(1860年3月24日)に桜田門外の変で暗殺されてしまいます。
■そもそもは有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)と婚約していたとも言われます。でも時代の要請ということなのでしょうか。婚約は解消させられたらしい。幕府側との絆を深める政略結婚の要員として使われたようです。
■いろいろと予定変更がありました。和宮としては不満だったかもしれません。でも押し切って家茂に鞍替えさせたそうです。京都の民衆は同情的だったらしい。でも、これで天下泰平になるならば、しょうがないのかもと思ったかな。
■ともあれ、和宮は京都を離れ、輿(こし)という乗物で文字通り江戸にお輿入れしたわけですね。
◇*HP「輿 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E8%8F%AF%E5%8E%9F%E6%9C%8B%E7%BE%8E&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=wb28VJ3QHJCl8AW06oHACw&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1280&bih=599#hl=ja&tbm=isch&q=%E8%BC%BF
彼女が通った道は中山道だそうです。なぜ東海道でなかったのか。ちょっと不思議ですが、当時の人たちらしい理由があったようです。ではそれは次のどれでしょうか? (正しい理由は無いかもしれないし複数かもしれません)
[い]前例があったので従っただけ
[ろ]東海道には暗殺者が多いから
[は]東海道は桑名で船に乗らなければならないが、和宮の輿は乗りそうもなかったから
[に]東海道には縁起の悪い地名があったから
[ほ]中山道に皇室の料地が多かったから
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]と[に]が正しい
説明:徳川10代将軍家治(いえはる)に嫁いだのが倫子女王、幼名を五十宮(いそのみや)という女性だそうです。閑院宮直仁親王(かんいんのみやなおひとしんのう)の6女とのこと。寛延(かんえん)2年(1749年)2月に京都を発ち、3月に江戸に到着したらしい。このときも中山道を通ったそうです。
■では皇族の女性が江戸に嫁ぐ際に、なぜ中山道を通ったのでしょうか。東海道には薩埵峠(さったとうげ、静岡県)という峠があるからだそうです。「去った」に通じ、縁起が悪いとのこと。ちょっと信じられないのですが、そんな理由だけで中山道を通ることになったらしい。
◇*HP「薩埵峠 - Google マップ」
https://www.google.co.jp/maps/place/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E9%9D%99%E5%B2%A1%E5%B8%82%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%8C%BA%E7%94%B1%E6%AF%94%E8%A5%BF%E5%80%89%E6%BE%A4+%E8%96%A9%E5%9F%B5%E5%B3%A0/@35.073853,138.542428,12z/data=!4m2!3m1!1s0x601a32610d3b642f:0xc6810f861a2ab58b?hl=ja
ちなみに口絵の浮世絵は歌川広重の描く「由井、薩埵峠」だそうです。
■暗殺の危険があるのは、東海道・中山道で変わりはないのかな。皇女和宮の場合は、おなじデザインの輿を4つ、影武者を3人準備して出かけたと言われます*2。それならちょっと安心ですね。
■中山道を通っていく和宮の一行には、前途にもう1つ大きな障害があったらしい。それは板橋宿の縁切り榎木だったらしい。倫子女王のときにはなかったようですが、100年のあいだに伝説の木として定着し、民間信仰が生まれていたらしい。榎木の皮をはいで粉末とし、嫌う相手に呑ませれば霊験あらたかだそうです。イモリの黒焼きが惚れ薬なら、その逆の効果が得られるらしい。おそらく江戸時代にもストーカーがいたのでしょうね。
■縁切りとは穏やかでない。どうしようか。最高権力者への輿入れなのですから、切ってしまえばいいようにも思います。でも近所の住民からは文句が出たらしい。目隠しも検討されましたが、大きすぎる。しょうがないので行列を埼玉県の川口から日光街道へ迂回するようにしたらしい。
■このとき、近くを通った埼玉県大里郡久毛(くげ?)の縁結び椿という伝説の木があったらしい。一躍人気になったようです。この木には公儀からお墨付きと金一封が下賜されたのこと。受け取ったのは地元の庄屋さんかな。残念ながらこの木は維新後に伐採されてしまったらしい。郵便馬車の妨害になるという理由だったそうです。
■縁切り榎木のほうは、明治以降も立ちつくしており、現代は3代目の木が残されているそうです*3。
◇*HP「板橋 縁切り榎木 - Google 検索」(画像、現在の縁切り榎木)
https://www.google.co.jp/search?q=%E8%8F%AF%E5%8E%9F%E6%9C%8B%E7%BE%8E&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=wb28VJ3QHJCl8AW06oHACw&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1280&bih=599#hl=ja&tbm=isch&q=%E6%9D%BF%E6%A9%8B%E3%80%80%E7%B8%81%E5%88%87%E3%82%8A%E6%A6%8E%E6%9C%A8
◆参考*1:書籍 「幕末明治風俗逸話事典」初版144〜146頁、紀田順一郎(きだ じゅんいちろう)著、ISBN4 -490-10338-7、東京堂出版
◇*2HP「皇女和宮(かずのみや)の誕生日。政略結婚は幸せ? 不幸せ? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200807/article_7.html
◇*3HP「縁切榎 板橋区の観光スポット:るるぶ.com」
http://www.rurubu.com/sight/detail.aspx?BookID=J0056914

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ちょっとしたことでも縁起を担いでいたんでしょうね。
現在の結婚でも色々縁起を担ぎますからね。
散々担いだあげくに翌年には離婚しているなんていう結婚が多々ありますから、あまり効果はないようですがね。
ねこのひげ
2015/04/05 07:11
コメントをありがとうございます。

 忌み言葉があったり、大安吉日を選んだり。たしかに、縁起はいまでもかついでいますね。
 芸能人とは違うので、数ヶ月で離婚というのはさすがに聞きませんけど。
 超短期で離婚の場合にもやっぱりご祝儀は返ってこないのかな。1年間の保証期間中なら返金あり…とか、制度があると面白いですね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2015/04/05 08:40

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