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zoom RSS 勾当内侍(こうとうのないし)の色香に迷い、出陣が遅れて敗死した武将とは?

<<   作成日時 : 2015/03/25 22:13   >>

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★歴史★
問題:女性は男性の大事な仕事の邪魔をすることがあります。けっして悪意はないものの、一緒にいたいなんて思いで男を足止めし、大切な役目を果たせなくすることがあるらしい。
■歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」に出てくる色男、早野勘平(かんぺい)も邪魔された1人です。お殿様塩冶判官(えんやはんがん)が高師直(こうのもろのお)のパワハラを受け続け、ついに松の廊下でプッツンと切れて斬りかかる現場には、居ませんでした。当人の台詞によれば、「…色に耽った(ふけった)ばっかりに、大事の場所にも居り(おり)合わさず、その天罰で心を砕き、御仇討の連判に、加わりたさに調達の…」。色に耽った相手は女房お軽(おかる)。調達したのは現金100両。お軽を祗園の一力茶屋に5年間勤務させるという契約金でした。
■勘平君に似て、日本の歴史上でも有名なある武将は、勾当内侍と呼ばれる美女と「色に耽りたい」という思いのために出陣の間合いを失い、ついに敗死してしまうそうです。では、その武将とは次の誰でしょうか?
[い]源義朝(よしとも)
[ろ]木曾義仲(よしなか)
[は]新田義貞(よしさだ)
[に]朝倉義景(よしかげ)
[ほ]松永久秀(ひさひで)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]新田義貞(よしさだ)
説明:新田義貞は、建武の新政のころ、後醍醐天皇側について楠木正成(まさしげ)らとともに戦った武将です。鎌倉幕府をともに倒した足利尊氏(たかうじ)、足利直義(なおよし)らの足利軍が敵ですね。足利尊氏は武士に人気のない後醍醐天皇に見切りをつけ、反旗を翻(ひるがえ)しました。
■勾当内侍はそもそもは後醍醐天皇の側にいた女性らしい。側室の1人だったのかな。北条家が退治された直後のある秋の夜、内裏の警護を担当していた新田義貞は、御簾(みす)をなかば巻き上げて琴を弾いていた勾当内侍をちらっと見てしまったようです。ガ〜ン。上州新田郡(にったごおり)の出身である垢抜けない新田義貞君は、洗練された深窓の令嬢みたいな勾当内侍に一目惚れしちゃうらしい。
■ちなみに上州新田郡は現在の桐生市の近辺のようです。その三日月村では、300年〜500年ぐらいあとに木枯らし紋次郎君が生まれようですね。「あっしには関わり合いのねぇことで」とツイッターでつぶやきながら、毎週1回ずついろいろな事件に関わった人物です。さらにあの相沢忠洋(ただひろ)氏が苦労しながら発見、研究した岩宿(いわじゅく)遺跡も、この近辺らしい*4*5。
◇*HP「三日月村 から 岩宿博物館 - Google マップ」
https://www.google.co.jp/maps/dir/%E4%B8%89%E6%97%A5%E6%9C%88%E6%9D%91,+%E3%80%92379-2301+%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%E5%A4%AA%E7%94%B0%E5%B8%82Yabuzukacho,+%EF%BC%93%EF%BC%93%EF%BC%92%EF%BC%90/%E6%97%A5%E6%9C%AC,+%E3%80%92379-2311+%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%E3%81%BF%E3%81%A9%E3%82%8A%E5%B8%82%E7%AC%A0%E6%87%B8%E7%94%BA%E9%98%BF%E5%B7%A6%E7%BE%8E%EF%BC%91%EF%BC%97%EF%BC%99%EF%BC%90%E2%88%92%EF%BC%91+%E5%B2%A9%E5%AE%BF%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8/@36.3806827,139.2865699,11z/data=!4m14!4m13!1m5!1m1!1s0x601ee
■洗練された都会の女性の美しさにまいってしまった新田義貞君は、それ以後、寝ては夢、起きては現(うつつ)幻のという状態で、一種の恋患いです。これでは仕事になりません。後醍醐天皇は勾当内侍を新田義貞に「くだしおかれた」ようです。
■その後、足利尊氏が天皇にそむいて挙兵します。楠木正成や新田義貞らはいったんは勝利し、足利軍を九州まで追い払います。建武(けんむ)3年(1336年)、九州の足利尊氏を追討せよという院宣(いんぜん、命令書)を受けましたが、新田義貞は勾当内侍との別れを惜しんで下向(げこう、都から離れること)を延引したらしい。う〜ん、気持ちはわかるけどまずいですよね。
■そうこうするうちに足利軍は力を盛り返し、九州から都に攻め上がってきます。楠木正成は神戸湊川(みなとがわ)で迎え撃ちますが敗死。新田義貞は北陸方面に逃げますが、結局建武(けんむ)5年(1338年)に敗死してしまいます。
■義貞の首は京都に運ばれ、獄門にかけられたらしい。京都にいた勾当内侍は泣き崩れ、その日のうちに髪を剃って尼となったといわれます。残りの生涯を義貞の菩提を弔うことに捧げたそうです。人間的といえば人間的なお話です。でも、勾当内侍と新田義貞がもう少し賢くて、大事な戦にタイミングよく出陣していれば、歴史は変わっていたかもしれません。どうなっていたのか。ちょっと知りたいですね。スーパーコンピュータ「京」を使えば誤差の少ない推定が可能なのかな。
◆参考*1:書籍「名作歌舞伎全集2 忠臣蔵・菅原伝授・義経千本桜」初版74頁、東京創元社
◇*2HP「新田義貞 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%94%B0%E7%BE%A9%E8%B2%9E
◇*3HP「勾当内侍 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%BE%E5%BD%93%E5%86%85%E4%BE%8D
◇*4HP「相沢忠洋(ただひろ)が歩んだ苦難の道。どうやって上京して学んだの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201308/article_18.html
◇*5HP「納豆を売りながら独学で考古学を学んだ青年の大発見とは? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200610/article_48.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
足利尊氏が勢いを盛り返したのが、新田義貞が色香に迷ったおかげとは知りませんでした。
勾当内侍は、まさに傾城の美女でありますね。
ねこのひげ
2015/03/29 09:14
コメントをありがとうございます。

 勾当内侍は、落語の世界では大物らしい。10代目桂文治の「源平盛衰記」によれば、清盛は常磐御前の色香に迷って一門を西海に沈めたと言われます。牛若丸を助けちゃったから後年に義経となって親父義朝の仇を討たれたということでしょうか。
 このとき一緒に語られるのがクレオパトラの色香に迷ったアントニー。姐己の色香に迷った殷の紂王。そして勾当内侍に迷った新田義貞です。
 世界的な美女悪女と並び称せられるのですから、勾当内侍はあなどれないようです。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2015/03/29 10:23

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