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zoom RSS かよわい女性が愛する梅の木を天皇に返還させた和歌とは?

<<   作成日時 : 2015/02/25 07:24   >>

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★歴史★
問題:少しずつ寒さが緩んで、各地で梅祭りの開かれる季節になってきました。桜は酒好きな我ら一般庶民のまつりですが、梅はどちらかというと、俳句とか短歌を愛する人々、文人墨客の遊びですね。「十徳(じっとく)を 着たる隠居の 梅見かな」とかなんとかいう俳句があったような。髪の毛も煩悩も失った余生は、駄句をひねって消閑(しょうかん、ひまつぶし)するということでしょうか。なお、十徳というのは羽織に似た男性の上着の一種です。「江戸時代には医師・儒者・茶人などの礼服となった」と「大辞林」には記されています。
◇*HP「十徳 -ナイフ - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8D%81%E5%BE%B3&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=sEeEVKarDpfr8AWJ4YDACQ&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1536&bih=796#hl=ja&tbm=isch&q=%E5%8D%81%E5%BE%B3+-%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%95
■東京の世田谷区には羽根木公園と呼ばれる公園があり、梅が多く植えられています。あるHPによると650本で、23区内では一番らしい*3。この公園には野球場や広場があり、小学生のころはよく遊びに行きました。当時の少年たちは根津山と呼んでいました。あとで知ったところでは、元は根津男爵という華族の所有地だったとのこと。鉄道王と呼ばれた初代根津嘉一郎(かいちろう)の屋敷跡という話も聞きましたが、同一人物なのかな。
■それはともかく、本日は梅にまつわる風流なお話です。ある天皇が梅を探させたことがあったらしい。天皇が私生活に使う建物、清涼殿(せいりょうでん)の庭にあった梅の木が枯れてしまったようです。かわりの梅が欲しかったらしい。ちなみに天皇が仕事に使う建物は紫宸殿(ししんでん)だそうです。
◇*HP「清涼殿 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B8%85%E6%B6%BC%E6%AE%BF&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=gGCEVLrGLZXi8AW1x4DICg&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1536&bih=796
◇*HP「紫宸殿 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%B4%AB%E5%AE%B8%E6%AE%BF&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=AvfsVJSSNKfFmwWr1YHQDQ&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1268&bih=620&dpr=1.5
■西の京のある家に姿の美しい紅梅が見つかったそうです。勅命です。主には有無を言わさず、掘り取って移植しようとしたらしい。家の主人は女性だったそうです。もちろん無抵抗ではありましたが、和歌を一首書いたものを枝に結びつけたそうです。
■天皇は、その和歌を目にして梅を奪ったことを後悔し、元の場所に梅の木を戻したと言われます。では、この風流を解する天皇は、次のうちの誰でしょうか?
[い]聖武天皇(生没701〜756年)
[ろ]桓武天皇(737〜806年)
[は]村上天皇(926〜967年)
[に]白河天皇(1053〜1129年)
[ほ]後鳥羽天皇(1180〜1239年)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]村上天皇(926〜967年)
説明:梅の木の枝に結びつけられた紙には、「勅なれば いともかしこし 鶯(うぐいす)の 宿はと問わば いかがこたへむ」と記されていたそうです。
■鶯が梅の枝に巣をかけている。住み家を失ってしまう哀れな鳥を思えば、梅を持って行かれるのは悲しいこと。勅命なので仕方がないのですが…という意味でしょうか。鶯にかこつけて、大好きな梅の木を失いたくない心情を吐露したものかもしれません。
■気の利いた歌に驚いた天皇は、その女主人の素性を調べさせたようです。判明したところでは、「古今和歌集」の主任編集員紀貫之(きのつらゆき)の娘、紀内侍(きのないし)だったらしい。なるほど、もっともである。村上天皇は、恨みを買うような所業だったと反省し、紅梅を元の持ち主に返したそうです。
■このお話は、鶯宿梅(おうしゅくばい)と呼ばれ、古来よく知られるところとのこと。元々は「大鏡(おおかがみ)」という平安後期に成立した歴史物語に記されていたらしい。
■村上天皇は、平将門(まさかど)・藤原純友(すみとも)らの承平天慶(じょうへいてんぎょう)の乱(935〜940年)の後の財政逼迫の時期、天慶(てんぎょう)9年(946年)に践祚(せんそ、就任)したそうです。倹約につとめて物価を安定させたらしい。また、その子孫は村上源氏と呼ばれる血統を生み出したことでも知られるそうです*2。
■天暦(てんりゃく)5年(951年)に「後撰和歌集(ごせんわかしゅう、通称は後撰集)」の編纂を命じています。歌人として、また歌壇の庇護者として高く評価されている人物らしい。それだけに歌で訴えられると弱かったのかな。なお、1番最初の勅撰和歌集は「古今和歌集(通称は古今集)」であり、「後撰集」は2番目の勅撰和歌集らしい*4。「万葉集」は勅撰じゃないようですね。あれだけの事業を民間でやったのかな。第三セクターなのかな。
■歌が人の心を動かすのはなかなか優雅なお話です。紀貫之は古今集の序文で「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」と書いているらしい。力をも入れずして天皇を動かしたわけかな。娘が父親の序文の内容を実証してみせた形になりました。
◆参考*1:書籍「日本史こぼれ話 古代・中世 続々編」新書初版94〜95頁、笠原一男(かずお)/児玉幸多(こうた)編、 ISBN4-634-60740-9、山川出版社」
◇*2HP「村上天皇 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E5%A4%A9%E7%9A%87
◇*3HP「東京都の観梅スポット:梅の名所へでかけよう2014:るるぶ.com」
http://www.rurubu.com/season/winter/ume/list.aspx?KenCD=13
◇*4HP「勅撰和歌集 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%85%E6%92%B0%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%9B%86

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梅に替わって桜が人々の関心を集めるようになったのはいつごろからなの?
●●●●●★歴史★● 問題:「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」。ご存知、天神様こと菅原道真(みちざね)の作品ですね。政敵藤原時平(ときひら、しへい)によって太宰府に流される際、梅の木に別れを告げた歌らしい。寛弘(かんこう)3年(1006年)ごろに成立した「拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)」という勅撰和歌集に収載されている歌とのこと。歴史書「大鏡(おおかがみ)」にも記されているようですが、こちらは「春な忘れそ」と係り結びになっているそうです。「忘るな」だと... ...続きを見る
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2016/03/05 09:04

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
事の真偽は問いませんが・・・優雅で良い話ですね。
先日、鎌倉に仕事で行きましたら、閑静な住宅街の中に○○天皇御陵というのがありました。
苔むした長い石段があったりしてなんだか凄かったです。
名前を忘れたので、今度時間があるときにじっくりと行ってみようと思います。
ねこのひげ
2015/02/26 02:04
コメントをありがとうございます。

 天皇陵が鎌倉にあるというのは知りませんでした。面白いですね。東京に宮城が移ってからのことでしょうか。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2015/02/26 08:22

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