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zoom RSS 江戸末期から大正まで、息の長い流行歌「♪かっぽれ」。そもそもはどこで発祥した芸なの?

<<   作成日時 : 2015/02/21 08:39   >>

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★歴史★
問題:「かっぽれ」という歌をご存知でしょうか。「かっぽれ、かっぽれ、よーいーとな」という掛け声で始まり、代表的な歌詞では、
---沖の暗いのに 白帆がぇ〜あ〜ェ見ゆる
---(ヨイトコリャサ) 
---あれは紀伊の国 ヤレコノコレワイサ
---(ヨイトサッサッサ) 
---エーみかん船じゃえ
---(あ〜みかん船) 
---みかん船じゃサーえ 見ゆる
---(ヨイトコリャサ)
---あれは紀伊の国 ヤレコノコレワイノサ
---(ヨイトサッサッサ) 
---エーみかん船じゃえ
■歌だけでなく、踊りもついています。
▼かっぽれ

お座敷芸としても定着しています。芸者さんたちが歌い踊っている姿をご覧下さい。
▼かっぽれ(芸者さん版)

■「かっぽれ」は、幕末から明治を経て大正初期まで流行していたらしい。50年以上なのかな。昔の流行は息が長いですね。以前にご紹介した「かんかんのう」は文政年間(1818〜1830年)に流行し始めて大正時代まで廃らなかったとか*2。こちらは100年以上かな。
■この流行歌「かっぽれ」は一般の人々も歌ったり踊ったりしましたが、大道芸としても人気を博したらしい。口絵のイラストは、明治時代の「時事新報」という新聞に掲載された「かっぽれ」の様子です*1。
■「かっぽれ」は最初からそう呼ばれたわけではないらしい。ある町のある有名な神社のお祭りから生まれたようです。明治維新前後に「かっぽれ」に発展したらしい。では、かっぽれの前身の歌と踊りが披露されていたのは、次のどの都市でしょうか? 次の中から選んで下さい。参考資料*1の書籍「幕末明治見世物事典」に掲載されているものを正解とします。
[い]仙台
[ろ]江戸
[は]名古屋
[に]大坂
[ほ]博多
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]大坂
説明:そもそもは大坂の住吉大社の祭りから始まったようです。住吉大社は全国に2300ほどある住吉神社の総本社らしい。由緒正しく、格の高い神社のようですね。現在の住所は大阪市住吉区住吉だそうです。上方落語の「蜘蛛駕籠(くもかご)」に登場するのもこの神社ですね。演題は別名「住吉駕籠」とも呼ばれています。
◇*HP「住吉大社 - Google マップ」
https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%BD%8F%E5%90%89%E5%A4%A7%E7%A4%BE/@34.613019,135.493002,12z/data=!4m2!3m1!1s0x6000ddac10e87b41:0x4c9e0053fc94807c?hl=ja
■住吉神社では、毎年6月に御田植神事という行事があるらしい。花街の女性たちが早乙女の姿になり、神事の舞を舞うそうです。「それが終わると大きな傘を立て、一人が渋団扇で傘の柄をたたきながら、「住吉様の岸の姫松おめでたや」と唄い始め、他の者はその唄に合わせて虫追い踊を踊った」*1。
■やがて早乙女の姿を真似して願人坊主(がんにんぼうず、出家の姿をした大道芸人あるいは乞食坊主)が、住吉踊りと称して市中で踊って見せては金を貰ったらしい。このあたりから大道芸になっていきます。江戸の願人坊主たちも文化年間(1804〜1818年)から住吉踊りと称して伊勢音頭や深川などを歌い、市中で勧進(かんじん、寄付を募るあるいはせびること)して歩いたらしい。
▼伊勢音頭

▼深川(俗曲)

■なお勧進の本来の意味は「寺社・仏像などの造立・修復のために寄付を集めること」です。歌舞伎の演目にも「勧進帳」があります。頼朝の勘気をこうむった義経や弁慶は山伏姿に変装し、奥州平泉を目指して逃避行をします。南都焼討ちの被害にあった東大寺その他の寺の復興のために募金活動をする旅の僧侶という体(てい)です*5。安宅の関で止められますが、何も書いていない白紙の勧進帳を弁慶が朗々と読み上げるというきわどい演技で危機を切り抜けます。関所の親分富樫(とがし)左衛門は、結局は一行が義経主従であることを見破りますが、武士の情けで見逃すというお話です。
■閑話休題。江戸の住吉踊りは天保の改革で一掃されます。でもしばらくして弘化(こうか)4年(1847年)ごろには復活していたらしい。「今のところ風教に害はないので見守りたい」という監視報告を、当時の隠密廻りという立場の人が「住吉踊風聞書」という書類にまとめて奉行に提出しているそうです*1。
■住吉踊りは、やがて「かっぽれ」と名前が変わったらしい。明治13年(1880年)の「いろは新聞」5月9日付)は、「近く17、8年以来、跳(おどり)の風を一変し活報縺(かっぽれ)と号け(なづけ)」と報じているそうです。17、8年前は文久(ぶんきゅう)2〜3年(1862〜63年)ごろになりますね。
■明治10年代には歌舞伎の9代目市川團十郎は人気がいまひとつだったらしい。「東京絵入新聞」に「かっぽれでも踊れ」という投書があったそうです。團十郎は明治19年(1886年)の正月興行で踊ってみたとのこと。これが大好評だったらしい。
■ちなみにこの團十郎は、平成25年(2013年)に他界した12代目團十郎、あの市川海老蔵クンのお父さんから見ると、曾祖父にあたる人らしい。そういえば市川家の家の芸、歌舞伎十八番のうちに「勧進帳」がありますね。
■「大道芸に始まって寄席、劇場へと出演したかっぽれは、大正初期に長い歴史を閉じた」*1。記憶が正しければ、9代目雷門助六とか3代目古今亭志ん朝が踊っていたような気がします。寄席芸としては細々と続いていたのかな。ところが最近ではあちらこちらの文化センターで講座が開かれ、中高年の女性が受講したりしているそうです。不思議な復活ぶりですね*3*4。
◆参考*1:書籍「幕末明治見世物事典」54〜56頁、倉田喜弘編、ISBN978-4-642-08074-3、吉川弘文館
◇*2HP「江戸時代の大流行語、「おっこち」ってどんな意味なの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201003/article_27.html
◇*3HP「NHK文化センター名古屋教室:江戸芸かっぽれ | 好奇心の、その先へ NHKカルチャー」
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_456578.html
◇*4HP「櫻川流江戸芸かっぽれ踊り| 新宿教室 | 朝日カルチャーセンター」
https://www.asahiculture.jp/shinjuku/course/2e5307e2-2746-b518-8f60-544200f53baa
◇*5HP「大仏の日。東大寺を焼き討ちして大仏を壊した武将は誰なの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200904/article_16.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
時間の流れがゆったりとしていたんでしょうね。
それにしても100年とは・・・今は、二三ヶ月もたてば忘れられてしまいますね。
忙しないことです。
ねこのひげ
2015/02/22 10:55
コメントをありがとうございます。

 ラッスンゴレライも、あったかいんだから…も年末には忘れられているかもしれません。めまぐるしく変わるから、流行が面白いのかな。

 江戸時代には「流行語大賞」は成立しなかったのかな。毎年、おなじものが受賞してもつまらないですものね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2015/02/23 06:13

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