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zoom RSS 天皇の養育係が幼い権力者の卵をだまして金を奪う。そんなことをする奴は誰なの?

<<   作成日時 : 2015/01/31 07:17   >>

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★歴史★
問題:平安時代の話です。あるやんごとなき子供の養育係に藤原姓の人物が養育係としてつけられました。この人物の母親は教養の高い人物だったようですが、当人は「無学で粗暴な人物として知られていた」ようです*3。
■子供は皇位を継承する可能性のある人物だったらしい。ある日、養育係は幼い子を欺して大金を奪うというとんでもないことをしたらしい。周囲の人物にはばれなかったのでしょうか。ずいぶんと大胆ですし、ずいぶんとあくどいですね。
■では後に天皇になった子供をだまして大金をせしめた養育係とは、次のだれでしょうか?
[い]藤原基経(もとつね、836〜891年、関白)
[ろ]藤原時平(ときひら、871〜909年、左大臣)
[は]藤原道綱(みちつな、955〜1020年、大納言)
[に]藤原道長(みちなが、966〜1028年、摂政・太政大臣)
[ほ]藤原頼通(よりみち、992〜1074年、摂政・関白・太政大臣)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]藤原道綱(みちつな、955〜1020年、大納言)
説明:藤原道綱は道長の兄だそうです。2人の父親は藤原兼家(かねいえ)。母親は異なるようです。道長の母親は時姫(ときひめ)という女性だったらしい。ご承知のとおり、道長は藤原家栄華の頂点ともいわれました。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」という歌を詠んだらしい。文学としての価値はわかりませんが、なんでも手に入る最高権力者がゴーマンかましているという様子だけは素人にもうかがえます。
■国語だったか古文だったかの時間に習った「蜻蛉日記(かげろうにっき)」は、道綱の母親が書いた日記だそうです。天暦(てんりゃく)8年(954年)〜天延(てんえん)2年(974年)の出来事が記されているらしい。当時の最高権力者兼家との結婚生活や時姫との競争、さらに次々と登場する妾たちについて書かれているらしい。唐崎・石山・長谷などへの旅についても記されているとのこと。もちろん息子道綱についても触れられているそうです。女流日記の先駆けといわれ、「源氏物語」などにも大きな影響を与えたとされているらしい*1。
■そんな教養ある女性の息子さんにしては、道綱はお勉強が苦手だったのかもしれません。最悪の噂では文盲だったとか。「書いてあるものが読めない」と言われたそうです*3。いくらなんでもそれでは大納言なんて高い地位は維持できないと思うのですが。誇張かな。
■ただし、作文すればテニヲハの間違いや誤字脱字が多かったことは可能性として考えられます。貴族の恋愛は思いを託した和歌が大切な道具だったとも聞きます。国語が現代よりもはるかに重要な時代です。言語能力が低いとかなり馬鹿にされたのかな。
■そんな道綱ではありますが、ちょっとした奸智(かんち、ずる賢さ)の働くところがあったらしい。自分が養育係をつとめる相手に詐欺をつかまつったようです。被害者は後の後一条天皇。第68代目の天皇らしい。一条天皇と、藤原道長の娘の彰子(しょうし/あきこ)の間の子です。後一条天皇の弟には第69代後朱雀天皇がいます。
■藤原道長は、権力の由来である天皇家とのつながりを重要視していたのでしょう。娘が一条天皇の男児を産んだときには、大喜びしたそうです。彰子の部下だった紫式部が日記にその歓喜の様子を記しているらしい。
■養育係として道綱を指名したのはなぜなのか。理由はわかりません。周囲の評判はあまり芳しくなかったようなので、ちょっと不思議な人選には思えます。
■ある日、道綱が参内(さんだい)して申し上げたそうです。「帝(みかど)よ、砂金100両をまき散らしてあるのをご覧になったことがありますか。面白いことこのうえありませんよ」。
「いや、見たことはない。どんな風なのか」。
「言葉では伝わりませぬ。ご覧に入れましょう。蔵人(くろうど)よ、帝のご意向だ。蔵から砂金100両をもってこさせよ」。
■100両が届くと道綱はその包みの口を開き、帝の前に一気にばらまいたらしい。でも帝はそれを見ても興味を示さず、「ちっとも面白くない」と言われたそうです。
■道綱は待ってましたとばかりに、「それではこんなもの、みんな捨ててしまいましょう」といってばらまいた砂金を集め、袋に収めて懐に入れ、さっさと退出してしまったそうです。
■このお話は「続古事談(ぞくこじだん)」という鎌倉初期の説話集に記されているようです。なお、両というのは、ここでは重さの単位であり、38.5gぐらいとのこと*3。明治に入ってから決まった両の公定の重さは37.5gだそうです。まぁだいたい40g弱なのでしょう。100倍すると4000g弱でしょうか。今日現在の金の買い取り価格は1gあたり5126円(150130現在)*6。道綱は2000万円前後を1日で稼いだことになるのかな。
◆参考*1:HP「蜻蛉日記 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%BB%E8%9B%89%E6%97%A5%E8%A8%98
◇*2HP「後一条天皇 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E4%B8%80%E6%9D%A1%E5%A4%A9%E7%9A%87
◇*3書籍「平安京の仰天逸話」初版194頁、小林保治(やすはる)著、ISBN4-09-362064-4、小学館
◇*4HP「藤原道綱 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%B6%B1
◇*5HP「続古事談 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%9A%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%AB%87
◇*6HP「金相場:本日の貴金属相場│田中貴金属工業(株)」
http://gold.tanaka.co.jp/commodity/souba/

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本朝第一美人とうたわれた「道綱(みちつな)の母」の子孫。なぜカミサンに嫌われたの?
●●●●●★歴史★● 問題:「道綱の母」という人物がいます。承平(じょうへい)6年(936年)ごろに生まれたと推測されています。亡くなったのは長徳(ちょうとく)元年(995年)6月2日とのこと*1。藤原倫寧(ともやす)の娘だそうです。倫寧は正四位下・伊勢守だったらしい。天皇に面会する資格を有する中級貴族ですね。 ■おなじころ、おなじ藤原姓の道長(みちなが)氏は高級貴族であり、道綱の母が亡くなった年に右大臣に就任。翌年には左大臣に昇進し、当時の政界では最高位にいたらしい。 ■さて、道綱... ...続きを見る
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こういう奴はとかく悪知恵だけは働くようですね。
恋文なんかも代筆させていたかもしれませんね。
ねこのひげ
2015/02/01 10:31
コメントをありがとうございます。

 養育係がこれでは、危なくってしょうがないですね。ほかにもいろいろ詐欺のようなことをやっていたのかな。
(^^;)
 
ねこのひげ様<素町人
2015/02/02 06:57

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