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zoom RSS 称徳帝の不思議な習慣。右半分の髪だけを剃らせる罰を与えたの?

<<   作成日時 : 2014/12/06 08:22   >>

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★歴史★
問題:聖武天皇は奈良の大仏を造らせたことで知られています。仏教にやたらとはまっていた人ですね。オカミさんの光明皇后も仏教にはまっていました*2。
■2人の間には男の子が育たなかったようです。1人は生まれたのですが早世してしまいました。しょうがないので天平(てんぴょう/てんびょう)10年(738年)、女の子を皇太子にしたそうです。女性皇太子は、後にも先にも阿倍内親王(あべないしんのう)と呼ばれるこの女性だけだったらしい。
■天平勝宝(てんぴょうしょうほう)元年(749年)、聖武天皇の譲位により阿倍内親王は孝謙(こうけん)天皇として即位したようです。開眼法要が天平勝宝(てんぴょうしょうほう)4年(752年)ですから、東大寺大仏は、聖武天皇が引退して上皇となってから完成を見たようですね。
■孝謙天皇は天平宝字(てんぴょうほうじ)2年(758年)に実母光明皇太后の看護・介護のために退位します。淳仁(じゅんにん)天皇が即位します。天平宝字(てんぴょうほうじ)4年(760年)に光明皇太后が崩御すると、孝謙上皇は淳仁天皇とその重臣である藤原仲麻呂(恵美押勝(えみおしかつ))と溝が出来ていったらしい。
■藤原仲麻呂は、光明皇太后の甥っ子だそうです。もともとは孝謙天皇が重用したらしい。新興の藤原仲麻呂の影響力が強まっていくのを恐れた既存勢力の橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)らが孝謙天皇を廃し、藤原仲麻呂を失脚させるクーデターを計画したそうです。天平勝宝(てんぴょうしょうほう/てんびょうしょうほう)7年(755年)のことらしい。事前に察知した仲麻呂によって未遂に終わり、橘奈良麻呂の一味のほとんどは拷問死を遂げたようです。橘奈良麻呂の乱と呼ばれます。
■天平宝字(てんぴょうほうじ)5年(761年)に病に伏せった満43歳ぐらいの孝謙上皇は、看病にあたった僧侶、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)を重用するようになります。そして天平宝字(てんぴょうほうじ)8年(764年)、今度は藤原仲麻呂の乱が起きます。弓削道鏡の台頭を恐れた淳仁天皇と仲麻呂が、孝謙上皇たちを一掃しようとしたらしい。歴史は繰り返すのかな。
■孝謙上皇は先手を打って藤原仲麻呂を敗死させ、淳仁天皇を淡路に流します。天皇がいなくなってしまいましたので、自分が皇位に復したらしい。称徳(しょうとく)天皇として重祚(ちょうそ)したと言われます。第2次「阿倍内閣」を組閣したみたいなものかな。
■称徳天皇は神護景雲(じんごけいうん)4年(770年)に崩御します。満52歳ぐらいでしょうか。このとき、病気回復を願う祈祷が行なわれたという記録がないらしい。医療行為を施されずに見殺しにされたという仮説もあるようです。医師役なのか看護師役なのかは知りませんが、宗教家道鏡は病気につけこんだとも見られます。同じ轍を踏むまいと周囲の人間が宗教家や医療関係者を寄せ付けなかった…というのはたったいま素人が立てたばかりの仮説ですので信じないように。
■激動の人生を生き抜いた孝謙帝ですが、彼女にはひとつ奇妙な習慣があったと言われます。それは次のどれでしょうか?
[い]罪人を流罪にする際には、髪を右半分だけ剃らせた
[ろ]重用する者には文身(いれずみ)を入れさせた
[は]気に入らない者には、卑しい名前を付けさせた
[に]自分が下戸なので、酒なしで宴会をさせるのが好きだった
[ほ]女だてらに馬に乗るのが好きで上手でもあり、周囲にかなう者がいなかった
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]気に入らない者には、卑しい名前を付けさせた
説明:Wikipediaの孝謙天皇の項によれば、「自らに反抗したものに、卑しい名前を押し付ける」という習慣があったようです。以前に弊クイズでもちょっと触れたことがあります。弓削道鏡を次の天皇にしたい称徳天皇が女官和気広虫(わけのひろむし)の勧めにより、弟である和気清麻呂(わけのきよまろ)を九州の宇佐神宮に使いに出します。「道鏡を天皇にせよ」という神託があったかどうかを確認させるためです。
■和気清麻呂は、帰京して「わが国では一般人が天皇になったことはないので、次代の天皇も皇族から出すべし」と正論を吐きます。称徳天皇は激怒し、和気清麻呂を「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」と改名させたらしい。姉である和気広虫も「別部狭虫(わけべのさむし)」と呼ばれたようです*3。2人とも流されてしまいます。神護景雲(じんごけいうん)3年(769年)の出来事らしい。宇佐八幡宮神託事件と呼ばれているようです*4。
■橘奈良麻呂の乱でも、敵対者には変な名前をつけました。一味と目された道祖王(ふなどおう)には麻度比(まどひ、惑い者)とつけたらしい。黄文王(きぶみおう)は久奈多夫禮(くなたぶれ、愚か者)、賀茂角足(かものつのたり)は乃呂志(のろし、鈍い?)と名付けられたそうです。せっかく新しい素敵な名前をいただいたのに、全員が拷問死し、お礼を申し上げる機会もなかったのは残念なことでした。
◆参考*1:HP「孝謙天皇 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E8%AC%99%E5%A4%A9%E7%9A%87
◇*2HP「鎌倉時代の温室。どんな目的のために作られたの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201406/article_24.html
◇*3HP「「すわると膝が三つでき」と歌われた道鏡の敵はだれ? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200606/article_101.html
◇*4HP「宇佐八幡宮神託事件 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E4%BD%90%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E8%A8%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6
◇*5HP「橘奈良麻呂の乱 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E5%A5%88%E8%89%AF%E9%BA%BB%E5%91%82%E3%81%AE%E4%B9%B1

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称徳帝の逸話。最期の病気はどんなものだったの?
●●●●●★歴史★● 問題:前回、孝謙天皇・称徳天皇の生涯を駆け足でご紹介しました*1。どちらかといえば職場での顔、公的な側面についてのお話でした。 ■今回は、称徳天皇の私生活でのお話です。この天皇はたいへん噂話の多い天皇です。江戸時代に至っても、寵臣弓削道鏡(ゆげのどうきょう)との愛欲など、いろいろな桃色話が取り沙汰されていたようです。想像の世界では、道鏡は巨根の持ち主として知られています。「道鏡は 座ると膝が 三つでき」という川柳があるそうです。本物の2つの膝の間にもうひとつ膝のよ... ...続きを見る
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2014/12/10 09:32

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
原題でもそうですが、何の苦労もしなくても済むような生活に生まれたときから浸って成長した人間には、変になる人間がいますね。
芸能人の二代目三代目にも常識から逸脱したような言動が見られる人がおりますが、昔、ある大出版社の会議に出席したとき、ローラスケートで周りを走り回っている人がおりました。
二代目だそうで、全員が無視して会議を進めていたのにはあきれました。
それでも経営状態はいまだに良いようです。
ねこのひげ
2014/12/07 09:19
コメントをありがとうございます。

 ローラースケートの2代目社長は、なんだか喜劇映画の1場面みたいですね。
 それでも社業が立ちゆくとすれば、加賀藩2代目当主の前田利常みたいに馬鹿殿を装っていたのでしょうか。それとも重役たちの補佐がよかったのかな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2014/12/07 10:11

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