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zoom RSS 夏目漱石もはまった女義太夫(おんなぎだゆう)。いつごろ隆盛をみたの?

<<   作成日時 : 2014/11/19 08:35   >>

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★歴史★
問題:落語には「寝床/素人浄瑠璃」という定番の演目があります。この話の枕では、多くの演者が明治時代の義太夫の隆盛について語っています。義太夫の中でも女義太夫はとくに熱狂的な贔屓を生んだらしい。
■慣例として、義太夫という言葉は、芸能の分野・種類を示すとともに、演者自体を表す場合もあります。わかりにくいので、このクイズ内では芸能の種類としては義太夫節、演者を指す場合は義太夫と表記します。
■義太夫節はいまでも文楽、人形浄瑠璃(じょうるり)で使われています。そもそも浄瑠璃というのは物語に節をつけて語るものだそうです。伴奏に三味線がつきます。清元(きよもと)も常磐津(ときわず)も新内(しんない)も浄瑠璃のうちに含まれるらしい。そして義太夫節もその仲間です。ちなみに人形浄瑠璃は、平成15年(2003年)にユネスコの世界無形文化遺産に認定されています。
◇*HP「人形浄瑠璃 太夫 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E4%BA%BA%E5%BD%A2%E6%B5%84%E7%91%A0%E7%92%83%E3%80%80%E7%BE%A9%E5%A4%AA%E5%A4%AB%E7%AF%80&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=v9JrVMigL8XDmQWww4GwAw&ved=0CAkQ_AUoAg&biw=1536&bih=796#hl=ja&tbm=isch&q=%E4%BA%BA%E5%BD%A2%E6%B5%84%E7%91%A0%E7%92%83%E3%80%80%E5%A4%AA%E5%A4%AB
■人形浄瑠璃では、人形が演じ、義太夫が物語を節をつけて語り、物語が進行していきます。ときどきNHKでは人形浄瑠璃まで含めて観ることができますね。人によっては人形のほうは省いて義太夫節だけを楽しむ人もいるらしい。素浄瑠璃(すじょうるり)と呼ばれるようです。
■女義太夫節は素浄瑠璃のひとつです。若く美しい女性の演者が顔をしかめて額に汗を浮かべながら語るらしい。その姿は、性の喜びに身もだえする女性を髣髴(ほうふつ)とさせる…とも聞きます。実際には観たこともないので、どの程度若いのか、どの程度美人なのか、どの程度髣髴とさせるのかはわかりませんけれど。いちど観てみたいものですね。
■なお、浄瑠璃のような物語を語る芸能を「語り物」と呼ぶのに対し、「歌い物」と呼ばれる芸能もあります。こちらの代表は長唄だそうです。複数の人が歌ったり、太鼓や笛などのお囃子がつくこともあるらしい。歌舞伎の伴奏音楽として発展したそうです。義太夫節は原則としては1人だけで語り、1本の三味線だけが相棒だそうです。
■3代目桂米朝によれば、「夏目漱石のような人でさえ女義太夫に夢中になっていた」とのこと。実際、正岡子規(しき)との手紙のやりとりの中で、鶴蝶(つるちょう?)という女義太夫を「掘り出し物」と「大感心」しているらしい。「坂の上の雲」で知られる軍人秋山真之(さねゆき)と俳人・歌人正岡子規は、学生のころ、都(みやこ)と呼ばれる女義太夫にはまったことがあったようです*1。
■なお、参考資料*1によれば、女義太夫とはいうものの、都は舞台でちょっとした踊りを見せたり、長唄を歌ったりしています。要するに現在の女性歌手とおなじような位置にいたようですね。さまざまな芸とそれ以外の要素、山本夏彦(なつひこ)のいわゆるホルモンを放射して人々を魅了していたのかな。

■ところで、女義太夫は、明治の大隆盛の前にも大変な隆盛をみた時代があったようです。では、寺門静軒(てらかど せいけん)の「江戸繁昌記」で紹介されている大隆盛は、いつごろのことでしょうか? 
[い]元禄時代(1688年〜1704年)ごろ
[ろ]享保時代(1716年〜1736年)ごろ
[は]天明時代(1781年〜1789年)ごろ
[に]文化文政時代(1804年〜1830年)ごろ
[ほ]幕末から明治初年ごろ
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]文化文政時代(1804年〜1830年)ごろ
説明:寺門静軒は寛政(かんせい)8年(1796年)に生まれ明治元年(1868年)9月8日に亡くなっています。江戸末期の儒学者だそうです。
■江戸の風俗を描写した「江戸繁昌記」を書き始めたのが天保(てんぽう)2年(1831年)らしい。全5編を完結したのが天保(てんぽう)7年(1836年)だそうです。天保の前が文化文政時代です。
■「江戸繁昌記」は2編目まで出版された段階で、幕府御用達の儒学者林述齋(じゅっさい)から「敗俗の書」というイチャモンがつき、出版差し止めになったそうです。敗俗とは、風俗を乱すという意味らしい。
■にもかかわらず、知らぬ顔をして5編まで出しちゃったようです。その後、天保の改革で締め付けが厳しくなって、天保(てんぽう)13年(1842年)には江戸南町奉行鳥居耀蔵(ようぞう)に呼び出され、「聖賢の道を穢した」とかいう理由で「武家奉公御構」(仕官禁止)という処分を受けたとのこと*3。以前には「江戸所払い」と聞いたような気がしますが、間違っていたのかな*4。
■ちなみに、鳥居耀蔵は林述斎の3男坊だそうです。親が駄目出ししたのに無視されたので、息子が仇をとったのかもしれません。
■「敗俗の書」には大略次のように記されています。「近ごろ女義太夫が流行してその勢力が猛烈になってきた。彼女らの贅沢ぶりは物凄い。道徳的には問題があると思われるが、その富貴(ふうき、お金持ちぶり)を羨(うらや)む人はたいへん多い。子供が生まれて女でないとがっかりする。女義太夫に育てられないからだ」。「江戸時代は男尊女卑」という固定観念は誤っているそうですが、男が産まれると落胆するというのは極端ですね。一種の女尊男卑かな。
■「女義太夫が育って寄席に出られるようになると、母親は見台(けんだい)や三味線を背負って娘のお伴をする。そして娘はこんなになったといわんばかりに鼻高々と歩いて行く。娘のほうも自慢顔で、自分の母親を召し使いのように思って連れている。近ごろ、この慣習が特に猛烈を極めてきた。打捨って(うっちゃって)おくわけに行かず、公儀では、この女義大夫が、物を背負わせて母を連れて寄席入をするということを厳禁してしまった」。いわゆるステージママなのでしょうか。でも、現代の芸能人の親子関係とは異なるらしい。高収入を支えているのは娘なのですから、娘には従うしかなかったのかな。かなりの親不孝ではあります。
■なお、見台とは、講釈や人形浄瑠璃の義太夫の演者などが本を載せておく台、あるいは小さな和机のことらしい。人形浄瑠璃の義太夫では譜面代のような形の見台を使うことが多いようです。漆塗りに螺鈿(らでん)などの飾りがほどこされ、房がついていたりして、装飾性の強い小型家具です。
◇*HP「人形浄瑠璃 義太夫 見台 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E8%A6%8B%E5%8F%B0&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=jcRrVPaMFoOxmwWjxYJQ&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1536&bih=796#hl=ja&tbm=isch&q=%E4%BA%BA%E5%BD%A2%E6%B5%84%E7%91%A0%E7%92%83%E3%80%80%E7%BE%A9%E5%A4%AA%E5%A4%AB%E3%80%80%E8%A6%8B%E5%8F%B0
■上方落語では本は使いませんけど、和机風の見台を置いて語っていることがあります。小拍子(こびょうし)と呼ばれる小さな拍子木をバチバチと叩きつけて調子をとったりしていますね。こちらは白木のものが多く、簡素な製品のようです。
◇*HP「見台 落語 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E8%A6%8B%E5%8F%B0&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=jcRrVPaMFoOxmwWjxYJQ&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1536&bih=796#hl=ja&tbm=isch&q=%E8%A6%8B%E5%8F%B0%E3%80%80%E8%90%BD%E8%AA%9E
■水野忠邦(ただくに)の天保の改革は、天保年間(1830〜1843年)の後半に実施されました。この中で女芸人は禁止され、女義太夫は消滅してしまいます。明治10年(1877年)になって新政府は寄席取締規則をもうけます。この中では女性の芸人が法的に認められたらしい。以後、明治の青年達は、熱狂的に女義太夫を支持していくようです*5。
◆参考*1:HP「伊予歴史文化探訪 よもだ堂日記 明治の青年が夢中になった芸能「女義太夫」」
http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-1328.html
◇*2書籍「江戸繁昌記」初版35〜38頁、寺門静軒(てらかど せいけん)著、佐藤進一(しんいち)訳、三崎書房
◇*3HP「寺門静軒 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E9%96%80%E9%9D%99%E8%BB%92
◇*4HP「江戸時代の筆禍で手鎖50日の刑を受けたのは歌麿なの三馬なの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201404/article_17.html
◇*5HP「女義太夫 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%BE%A9%E5%A4%AA%E5%A4%AB

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
歌舞伎も元々は女がやってましたからね。
いたちごっこでありますね。
女義太夫の年齢は、いまのAKBと同じくらいだったようですね。
二十歳すぎると急速に人気が落ちたようですね。
ねこのひげ
2014/11/19 17:10
コメントをありがとうございます。

 AKBも若いけれど、昔は早熟でしたから、十代半ばぐらいの芸人は不思議ではなかったのでしょうね。
 立花屋橘之助(きつのすけ)という女性の音曲師(三味線の弾き語りで浄瑠璃や歌舞伎の真似をしたりさまざまな歌を歌って座持ちをする芸人)は、なんと8歳で真打ちになっていると言われます。
 彼女の大師匠は落語中興の祖といわれる三遊亭圓朝です。こうした大物たちと張り合って、寄席でトリをとったというのですから、昔の人はなんだか物凄いですね。
(^^;) 
ねこのひげ様<素町人
2014/11/19 23:54

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