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zoom RSS 殺人の罪を犯した男が総理大臣にまで出世したの?

<<   作成日時 : 2014/10/29 19:23   >>

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★歴史★
問題:明治時代の始めのころの話です。ある高級官僚宅で殺人事件が起きました。身重の妻が夫に蹴り殺されたらしい。
■当時一番の権力者だった大久保利通(としみち)は、高級官僚をかばい、事件を公にしなかったそうです。警官も医者もその他関係者のすべてが維新の三傑と呼ばれた大久保の威光を恐れて口をつぐんだのでしょうか。マスコミもなかったわけではないようですが、現代ほどには大騒ぎしなかったらしい。
■罪をのがれた加害者は、その後、さらに出世します。最後には内閣総理大臣も務めるようになったらしい。では、殺人の罪を犯しながら首相にまでのぼり詰めた人物とは次の誰でしょうか?
[い]松方正義(まさよし)
[ろ]伊藤博文(ひろぶみ)
[は]黒田清隆(きよたか)
[に]大隈重信(しげのぶ)
[ほ]山縣有朋(ありとも)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]黒田清隆(きよたか)
説明:以下のお話は、千阪(千坂とも)高雅(たかまさ)という貴族院議員にして実業家の人物が回顧談として語っているものです。千阪高雅は米沢藩の家老であり、維新後は新政府に出仕し、大参事、石川県令、岡山県令などを歴任したとのこと*1。
■千阪高雅に光子という娘があり、黒田清隆のカミサンの妹と親友だったらしい。年も同じでしょっちゅう遊びに行ったり来たりしていたそうです。明治11年(1878年)3月28日の晩、黒田清隆のカミサンの妹が千阪邸に駆け込んできたそうです。泣いているので何事かと聞くと、黒田が姉(カミサン)を殺したと言っているそうです。
■泣きじゃくっているので事情がはっきりつかめなかったようです。千阪高雅はとりあえず黒田清隆の屋敷にかけつけたらしい。すぐに殺人事件だとわかったそうです。ただし、旧刑法でいうところの故殺であり、謀殺ではなかったようです。故殺は一時の感情による無計画な殺人であり、謀殺は計画性のある殺人のことらしい。
■黒田清隆は、当時38歳で北海道開拓使長官をつとめていました。金に不自由はなかったので新橋あたりに仲の良い女性が複数いたそうです。カミサンが妊娠中だったこともあり、遊びの頻度も高かったのかな。その晩も黒田清隆は酔って遅く帰って来たそうです。カミサンはいろいろ文句を言います。「何を言っとる。男の甲斐性だ」と言ったかどうかはわかりませんが、黒田は突っぱねます。よせばいいのにカミサンはさらにうるさく言いつのったらしい。黒田清隆は酒気にまかせてなにか怒鳴ったかと思うと、ドタンバタンと音がして女房は悲鳴をあげ倒れてしまいます。カミサンが動かなくなったので起こしてみると血を吐いて死んでいたらしい。黒田は青くなります。このあたりの話は、同居していたカミサンの妹が証言しているらしい*4。
◇*HP「「黒田清隆」の検索結果 - Yahoo!検索(画像)」(画像)
http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=slv1-kingu7&p=%E9%BB%92%E7%94%B0%E6%B8%85%E9%9A%86
■千阪高雅が到着したときには、カミサンは蒲団に寝かされて血を吐いて死んでいたとのこと。念のため医者を呼びにやったそうです。でもやっぱり手遅れ。友人たちを呼びにやって後の始末を相談することになります。医者には吐血して死んだという診断書を書かせ、すぐに埋葬してしまったようです。
■黒田の家は麻布にあったようですが、隣や界隈の家に遠くなかったらしい。此の夜の騒ぎは近所へすぐ知れます。それからそれと噂が広まって大きくなっていきます。「天下の大臣が酒を飲み女を買って乱れ、剰(あまつ)さえ妻女を蹴殺すとは怪しからんといふので世間も八釜(やかま)しい」とのこと。
■政府の中央でも問題視する人が出てきます。内閣会議…いまでいう閣議なのでしょうか…が開かれたそうです。その頃は、内閣の主な相談は岩倉具視(ともみ)の屋敷で行なったらしい。議長は三条実美(さねとみ)がつとめたようです。千阪高雅は警察の者とともに隣の部屋で控えていたそうです。何かあったら飛び込んでこいと岩倉具視に言われていたらしい。もちろん壁に耳を付けており、声はすべて聞いていたようです。
■多くの出席者が黒田の非行をそしったらしい。伊藤博文も大隈重信も出席していました。伊藤博文は、是非とも黒田の女房の死骸を発掘して事の真相をただすべきと主張したとのこと。
■大木喬任(たかとう)は当時司法卿でしたが反対説を唱えたらしい。「いやしくも大臣の行動を法にてらしてあばくというのはよくない。若し悪いと思ったら自ら会って忠告するか、但しは友人が個人として取り調べ、実際非行のあったものなら辞職させるなり何なりしたらよかろう。大臣をとらえて私行を内閣で裁判するような先例を作っては困る。まして大臣の妻女の屍骸を発掘するなどは政府の威信にかかわる」という意味のことを述べたようです。
■伊藤博文は激昂し、さらに議論が激しくなり、収拾がつかなくなります。大久保利通はただ黙っていたらしい。やがて三条実美は「みなさんの意見はわかったが内務卿はいかがです」と聞いたようです。大久保利通は、ようやく口を開き、大略次のようなことを話したらしい。「世間では大変やかましいそうだが、私には疑いがない。女房を殺した形跡は更にない。どういう証拠からお調べなさるのか、私は全然不同意であるのみならず、黒田は私と同郷のもので且(か)つ親友だから、私は自分の身に引き受けて、そんな事のない事を保証致します。此の大久保をお信じ下さるなら、黒田をもお信じ下されたい」。
■理屈になっていませんね。「俺の友人を疑う気なのか。どうなるかわかっているんだろうな」。そんな脅しなのかな。
■大久保利通は威厳のある人物だったそうです。彼の足音が響くだけで内務省職員の私語はやみ、庁内が静まりかえったという伝説があります*3。千阪高雅も憤慨して黒田を裁くべきと考えていたようです。でも大久保利通の一言で隣の部屋にいた千阪高雅までが冷やっとしたらしい。「アァ、これはもう駄目だ」と思ったようです。
■猛り狂っていた連中も伊藤博文もすっかり黙ってしまいます。三条実美は「皆さん今の内務卿のお言葉に御疑惑はありませんか」と出席者に聞きます。全員が「疑惑はありません」と頭を下げたそうです。それから自然と世の中の黒田清隆に対する議論が鎮圧されてしまったそうです。
■黒田清隆の事件から1ヶ月半ほど経った明治11年(1878年)5月14日。大久保利通は清水坂で刺客に倒れます。親友であり後ろ盾でもあった大久保利通を失った黒田清隆ですが、10年後の明治21年(1888年)、我が国の第2代内閣総理大臣に就任したようです。その他、農商務大臣・逓信大臣・枢密院議長などを歴任しています。
■なお、殺人者である疑いが濃厚な黒田清隆ですが、人を見る目はあったらしい。箱舘戦争の敵だった榎本武揚を助命するために頭を剃ったりして駆け回ったそうです。長岡藩の河井継之助(つぐのすけ)を見込んでおり、登用すべきと考えて書翰を送ったそうです*5。でも残念ながら届かなかったらしい。戊辰戦争で河井継之助は長岡から敗走し、会津に到着する前に破傷風で亡くなったらしい*5。
◆参考*1:HP「千坂高雅 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%9D%82%E9%AB%98%E9%9B%85
◇*2HP「黒田清隆 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E6%B8%85%E9%9A%86
◇*3HP「大久保利通が暗殺された日。鹿児島では最近まで納骨が拒まれていたの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200805/article_11.html
◇*4書籍「世界人物逸話大事典」初版346〜347頁、朝倉治彦・三浦一郎編、ISBN4-04- 031900-1、角川書店
◇*5HP「長岡藩の自由人河井継之助。死してなお官軍を走らせたの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200810/article_1.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
黒田清隆は酒乱だったようですね。
生麦事件のときは止めにはいているのに、酔って暴れて桂小五郎に縛り上げられた事があるようですね。
黒田は、示現流の免許皆伝だったのに、それを縛り上げるとは!?桂小五郎はそうとう腕が立ったんですね。
ねこのひげ
2014/10/30 01:58
コメントをありがとうございます。

 桂小五郎は大柄な人だったとWikipediaにはありました。しかも剣道修行で5年間も江戸に留学していたとか。その間に剣豪として名声を高めたらしい。近藤勇をして「恐ろしい以上、手も足も出なかったのが桂小五郎だ」と言わしめたようです。江戸で対戦したことがあるのかな。

 黒田清隆は、運の良い人ですね。細君を殺した罪を逃れ、西郷や大久保など薩摩閥の大物が消えたために2代目の総理大臣になれたようです。もちろん当人の人徳もあるのでしょうけれど、よいめぐり合わせに恵まれたような気がします。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2014/10/30 19:34

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