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zoom RSS 親孝行な息子は父親と母親どちらの意見に従ったの?

<<   作成日時 : 2014/10/25 09:09   >>

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★歴史★
問題:昔々の話です。筑前の国といいますから福岡県の西部なのでしょうか。正助という貧しい百姓がいたそうです。民謡の「♪会津磐梯山」に登場する小原庄助(おはら しょうすけ)さんは朝寝・朝酒・朝湯が大好きで身上(しんしょう、資産・家)をつぶしたそうですが、正助にはつぶすほどの身上はなかったらしい。
◇*HP「筑前国 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%AD%91%E5%89%8D%E5%9B%BD&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=S1hKVJbJH4rh8AWUsoLADg&ved=0CAkQ_AUoAg&biw=1536&bih=796
■正助はやたらと信心深かったらしい。浄土教の模範的な信者、妙好人(みょうこうにん)と呼ばれる種類の人物だったようです*2。浄土教の中には浄土真宗も含まれるようです。法然の教えを継承した親鸞に始まり、室町・戦国時代は一向宗と呼ばれて、精神界のみならず、現実社会でも政治・軍事面に影響力を持った集団ですね。
■正助は父母への尽くしかたも徹底していたそうです。孝行者として周囲に知られていたようです。こういう人物は、近所の同年配の者にしてみると迷惑なヤツですね。「少しは正助を見習え」とか「正助の爪の垢でも煎じて飲め」などと親から説教されがちです。
■ある日、正助が外出しようとすると、父親は雨上がりで足もとが悪いから下駄で行きなさいと言ったらしい。ところが母親は道は乾いているわよ、草履にしたらと言ったらしい。悩んだ正助はどうしたのでしょうか?
[い]父親に従って下駄を履いていった
[ろ]母親に従って草履を履いていった
[は]下駄と草履を手に持って、裸足でいった。
[に]片足に下駄、片足に草履を履いて行った
[ほ]その他の方法だった
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]片足に下駄、片足に草履を履いて行った
説明:下駄と草履を片方ずつ履いたということらしい。信じがたいですね。どんなに歩きにくかったことか。丈夫な細い麻縄で下駄と草履をしっかり縛り、両方履いて行くほうが、高さが同じになりますので、少しはマシだったかも。
■落語の「堀の内」では、麁忽者(そこつもの、うっかり者)の主人が「たいへんだ、薬に診て貰って医者を飲まなきゃならねぇ」と青い顔をして帰ってきます。発言からして麁忽ですが、カミサンは慣れっこです。「どうしたのさ」。「足の長さが違っちゃったんだよ」。「嫌だねぇ、気持ちの悪いこと言って…あんた、何言ってんだよ。片方は下駄で片方は草履じゃないか」。「えっ、ホントだ」。「脱いでごらんよ」。「うん、あれ? もっとひどくなったぞ」。「やだねぇ、あんたは。草履だけ脱いだってだめさ」。
■落語のような正助さんの行動は、やがて藩主の耳にまで届いたらしい。儒教道徳のカガミであると思われたのでしょうね。「孝子の典型」として顕彰されたそうです*1。
■若狭の国といいますから、福井県の南部地方でしょうか。小浜(おばま)という城下町に狼が現れたそうです。米国に同名の大統領が誕生したときに喜んだ町ですかね。
◇*HP「若狭国 小浜 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E8%8B%A5%E7%8B%AD%E5%9B%BD%E5%B0%8F%E6%B5%9C&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=jF1KVMKyOOW5mwXKhYLQAw&ved=0CAkQ_AUoAg&biw=1536&bih=796#hl=ja&tbm=isch&q=%E8%8B%A5%E7%8B%AD%E5%9B%BD%E3%80%80%E5%B0%8F%E6%B5%9C
■武家に雇われていた14歳の綱という少女が幼児を背に負って遊んでいると、狼が突然襲ってきたらしい。綱は幼児を股下に隠し、うつ伏せになったそうです。狼は綱の尻に食いついてきたらしい。彼女の悲鳴に人々が駆けつけて狼は走り去ったようです。
■戸板で運ばれた綱は、幼児は大丈夫だと話していたそうですが、その後すぐに息絶えてしまったらしい。大量の出血によるショック死かな。
■綱と幼児は親のもとに運ばれたらしい。武家の妻も駆けつけます。綱の母は幼児を渡し、「血にまみれてはいますが、少しも怪我はありません」と告げて喜んだそうです。
■この話がやがて藩主の耳にまで届いたらしい。おおいに感動し、石碑を建てます。「忠烈綱女の墓」と記したそうです。綱の葬儀は盛大に行なわれたとのこと。多くの人があちらこちらからやってきて詩歌を捧げて弔ったらしい*1。
■どうも江戸時代の人たちと我々は物差しがだいぶ違うようですね。綱の母は、自分の娘が死んだ悲しみよりも、役目をまっとうした喜びのほうが大きいようです。それとも、ホンネは隠していたのかな。顔で笑って心で泣いて、だったのかも。
◆参考*1:書籍「日本史こぼれ話 近世・近代 続々編」新書初版49〜50頁、笠原一男/児玉幸多編、ISBN4-634-59320-3、山川出版社
◇*2HP「妙好人 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E5%A5%BD%E4%BA%BA

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コメント(2件)

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正助・・・・ただ頭が悪いだけだった気がしますね(~_~;)
狼のはく製を国立博物館で観たことがありますが、アメリカの灰色狼に比べて迫力がありませんでした。
そこいらを歩いていても犬と思ってしまいそうでしたよ。
ねこのひげ
2014/10/26 08:57
コメントをありがとうございます。

 正助の話は少し作り話めいていますね。両親の意見が異なることはそんなに珍しいことではないでしょう。いちいち細かい工夫をして両方の顔を立てていたら、身が持たないと思いますが。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2014/10/26 23:25

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