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zoom RSS 江戸幕府が法定利率を設けたきっかけはどんな訴訟だったの?

<<   作成日時 : 2014/10/22 08:48   >>

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★歴史★
問題:寛保(かんぽう)2年(1742年)に「御定書百箇条(おさだめがきひゃっかじょう)」という江戸幕府の基本法典が作られたそうです。享保の改革を推進した8代将軍吉宗の命で、大岡越前守忠相(ただすけ)も作成に参加したとのこと*4。
◇*HP「御定書百箇条 全文 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%BE%A1%E5%AE%9A%E6%9B%B8%E7%99%BE%E7%AE%87%E6%9D%A1+%E5%85%A8%E6%96%87&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=BeZGVOPiPIXQmwXdnIDwDg&ved=0CAkQ_AUoAg&biw=1097&bih=569#imgdii=_
■幕府が成立して140年ほどが経ち、綻び(ほころび)の目立ってきた世の中を正すため、さまざまな新しい法律が作られたらしい。その中には、過失犯の規定も含まれていたそうです。大八車や牛車で人を誤って死傷させても、それまでは罪に問えなかったらしい。刑事罰には問われないということなのかな。まさか民事の損害賠償までないとは考えにくいのですが。御定書百箇条が生まれてからは流罪という刑事罰まで問われるようになったらしい。現在でいえば危険運転致死傷罪なのかな。
◇*HP「大八車 牛車 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%A4%A7%E5%85%AB%E8%BB%8A&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=r-ZGVPXGKeK4mwWRkYCICQ&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1097&bih=569#hl=ja&tbm=isch&q=%E5%A4%A7%E5%85%AB%E8%BB%8A%E3%80%80%E7%89%9B%E8%BB%8A
■御定書百箇条の中で、幕府は利息の上限を定めたらしい。寛保(かんぽう)元年(1741年)極(きめ)として「家質(かじち)諸借金利足、一割半以上の分は一割半に直すべし」とあるそうです。年利15%ということかな。これが実際に守られたかどうかはわかりませんが、ともあれあまりの高利は許さないぞという幕府の意向を世の中に知らしめる効果はあったんでしょうね。
■大岡越前が吉宗に利息を制限する法をつくってほしいと願ったらしい。きっかけになったのはある訴訟だそうです。元金90両を借りた人が利息を払えずに訴訟を起こされたらしい。その利息が大きかったようです。では、その額は次のどれに近かったのでしょうか? 
[い]45両
[ろ]90両
[は]135両
[に]180両
[ほ]270両
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]180両
説明:実際の訴訟では160両の利息だったそうです。期間は記されていないので確実ではありませんが、おそらくは1年あるいはそれに近い短期かな。1年で90→250両だとすれば年利180%近い利息でしょうか。2年だったとすると半分の90%弱かな。3年だとしても40%を越える年利でしょう。常識で考えても、90両借りて250両を返すことができないのは当たり前ですよね。
■江戸市中にはさまざまな高利貸業者がいたらしい。たとえば庶民派では百一文(ひゃくいちもん)と呼ばれる業者がいたらしい。朝百文を貸し、夕方には百一文にして返してもらうわけですね。安いように感じられるかもしれませんが、半日で1%です。実はメチャメチャな高利です。年360%以上と考えていいのかな。
■烏金(からすがね)と呼ばれるのは朝借りて翌朝烏が鳴いたら返すという返済期限らしい。こちらは2〜3%ぐらいとったようです。百一文や烏金は棒手振り(ぼてふり)と呼ばれる行商人などがよく利用したようです。売れれば返せますけど、売れなかったら厳しいですね。
◇*HP「棒手振り - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%A3%92%E6%89%8B%E6%8C%AF%E3%82%8A&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=xOdGVJDIEcLImwWD-oLACg&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1097&bih=569
■日済金(ひなしがね)、月済金(つきなしがね)と呼ばれる業者もいたそうです。江戸時代後期から末期にかけて記された百科辞典に似た本、「守貞謾稿(もりさだまんこう)」によれば、 「日なし貸しと云ふあり。たとへば今元金一両を貸す。この銭大略六貫五百文なり。翌日より六十五日の間、毎日銭百文を還す。日々になしかへす故に、日なしかしと云ふ」とあるらしい。
■一両を当時の相場で銭に換算すると六貫五百文とのこと。単純に計算すれば6500文ですね。翌日から毎日100文ずつ返済して65日で返済終了です。ただし、利息分は最初に渡されるときに差っ引かれているらしい。1両につき2朱だとすれば約5700文しか手元にはこないようです。ちなみに4朱で1分(いちぶ)、4分で1両ですので、2朱の利息は1両の8分の1、12.5%になります。65日間で12.5%です。年70%ぐらいにはなるのかな。月済金は月ごとに払う点だけが異なるようです。
■五両一(ごりょういち)というのは、5両借りて月に1分の利息がつくらしい。年12分=3両ですから、60%の高利と思われます。
■高利貸したちは、こうした高利で貸した金が回収できたのでしょうか。むしろ低利で貸したほうが返して貰いやすかったのではと疑いたくもなります。おそらく自己破産の制度はなかったでしょう。訴訟を起こすのは手続きもたいへんです。返済不能の際にどうしたのか。半殺しにしたのかな。娘やカミサンがいれば売っちゃうのかな。知りたいですね。
◆参考*1:書籍「三田村鳶魚(えんぎょ)全集6巻江戸生活のうらおもて・札差(金)」初版46〜47頁、三田村鳶魚著、中央公論社 
◇*2書籍「図説 大江戸おもしろ商売」初版248頁、北島廣敏著、ISBN4-05-402993-0、学習研究社
◇*3HP「カラス金 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9%E9%87%91
◇*4HP「大岡越前も編纂に参加した刑法御定書百箇条。時効は今よりも長かったの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200902/article_31.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
一見、無茶苦茶な高利のようですが、東北から資金も持たず身元保証人もなく出てきた人たちにとっては、烏金はありがたかったようですね。
何も聞かないで、百文貸してくれるわけですからね。
いまの消費者金融でも借りようとしたら大変ですからね。
返せなかったら、大変なことになるのはどちらも一緒ですが・・・(≧◇≦)
ねこのひげ
2014/10/26 09:16
コメントをありがとうございます。

 それにしても高い利息です。ひょっとしたら、それだけ回収率が低かったのかもしれませんね。
 写真も無い時代ですし、場合によっては戸籍さえ曖昧なのでしょう。身請け人なしで借りられれば、トンヅラも仕放題だったのかな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2014/10/26 23:08

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