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zoom RSS 「〜城」と呼ばれる建物の数は、どのぐらいあったの?

<<   作成日時 : 2014/10/15 10:58   >>

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★歴史★
問題:城は、ずいぶん昔からあったのでしょう。法の支配がない時代には、人にとって人は獣です。よそ者から家族や仲間を守るために、防御を固めた構造物はいつの時代にも必要だったはずです。
■そんな建築物の1つ、弊クイズでもご紹介した下之郷環濠集落(しものごうかんごうしゅうらく)は、紀元前400年ごろから50年ごろの遺跡だそうです。現滋賀県守山市にあるらしい。
◇*HP「下之郷環濠集落 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%8B%E4%B9%8B%E9%83%B7%E7%92%B0%E6%BF%A0%E9%9B%86%E8%90%BD&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=t9A9VKTPLYmouwTTwIKACA&ved=0CAoQ_AUoAw&biw=1280&bih=663&dpr=1.5
◇*HP「Google マップ」(京都市から守山市)
https://www.google.co.jp/maps/dir/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82/%E6%BB%8B%E8%B3%80%E7%9C%8C%E5%AE%88%E5%B1%B1%E5%B8%82/@35.0248257,135.8074003,11z/data=!4m14!4m13!1m5!1m1!1s0x6001a8d6cd3cc3f1:0xc0961d366bbb1d3d!2m2!1d135.7680294!2d35.0116363!1m5!1m1!1s0x6001740134f1cca9:0x8f34aa0898971448!2m2!1d135.9944042!2d35.0589401!3e2?hl=ja
この遺跡では世界最古の果物の遺物が見つかったそうですが、なにより驚かされるのは最大で九重の濠(ほり)をめぐらしている点です*1。それだけ守りを固めておかないと安心できなかったのかな。
■参考資料*2の書籍「すぐわかる日本の城」によれば、日本の城の大多数は13世紀から16世紀にかけての中世、鎌倉・南北朝・室町(戦国)時代に作られたものだそうです。安土桃山時代や江戸時代、近世に創建されたものは2〜300ぐらいらしい。21世紀の現在、観光用にあらたに作られた城も含めて100以上の城が残されているそうです。
■では、13世紀から16世紀にかけて作られた城というのは、全部でどのぐらいの数になるのでしょうか? いちばん近い数を下の選択肢の中から選んで下さい。参考資料*2の数値を正解とします。
[い]約500
[ろ]約1000
[は]約2000
[に]約4000
[ほ]約8000
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]約8000
説明:たしかにいちばん近い数字ではあるのですが、まるでかけ離れた数字でもあります。参考資料*2に記されていたのは、「…その数は全国で4万を優に超える」とのこと。ちょっと多すぎじゃないかな。
■中世の城の数の多さは、逆に城の規模の小ささを示しているそうです。守備兵が数十人なんていうのが普通の規模だったらしい。たしかに秀吉が蜂須賀小六(ころく)たちの協力を得て建設した墨俣の一夜城はごくごく小規模なものだったらしい。重機が使える現代でも姫路城(白鷺城)の改修には何年もかかっています。あんな大規模の城がそうそう簡単に建つわけはないのかな。
■中世よりもっと昔、古代の城は対外防衛や全国支配の目的で国家権力によって築かれたものだそうです。城に詰めていたのは防人(さきもり)なのかな。でも、平安時代中期以降はその役割を終えました。このころ、全国から城が消えていったらしい。
■鎌倉時代の末から南北朝時代の14世紀の動乱期になると、幕府の権威は失墜します。領主どうしの抗争が始まりました。領主たちが私的に築いた城が全国に一斉に出現したようです。とはいえ、在地の領主層の権力や経済力はさほど大きくはありません。当然ながら、彼らの城は崖や谷などの要害、自然の地形の険しさを巧みに活用し、工事の作業量や資材の使用量をできるだけ低く抑えたものになったらしい。
■結果的に中世の城の大部分は山城になりました。山頂部や尾根の部分を開削して駐屯所を設けるらしい。山の斜面が天然の土塁になります。あちらこちらに小さな堀をもうけて敵兵の移動や侵入が困難になるよう工夫したらしい。
■御殿もなければ天守もありません。守備兵が寝泊まりする粗末な掘っ立て小屋が建つだけだそうです。もちろん立派な石垣とか水濠はありません。城下町なんてとんでもない。城の意味は、そこに兵が詰めていて、「いつでも出撃できる状態の確保」なのかな。居住空間としては必要最小限の設備になっているようです。
■このころ、城の主は多くの場合、平地の館に住んでいたそうです。有事の際には城に籠城したりするのかな。中世の城には外部から領地を守るという意味と同時に、領民に対する軍事力の誇示という側面もあったようです。年貢を払い渋る農民たちに「おめーら、やる気か?」と言えるのは、近所の城に数十人の乱暴者を住まわせているからなのかな。
■戦国時代になると、主は城の中に住む例が多くなるようです。不意打ちをくらわないように、用心を始めたのでしょうか。城の数が少しずつ減るとともに大規模な城が誕生していくようです。
◆参考*1:HP「日本で発見された世界最古の果物の遺物ってなに? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200905/article_33.html
◇*2書籍「すぐわかる日本の城」初版16〜17頁、三浦正幸(まさゆき)監修、ISBN978-4-8087-0807-8、東京美術

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
お城というと、天守閣のあるお城を想像してしまいますが、ほとんどが屋敷ていど、もしくは掘立小屋ていどだったみたいですね。
中には、観光用に天守閣のなかったお城に天守閣を作って批判を受けている所もありますね。

ところで、昨日、仕事で神奈川県の葉山のほうに行ってきたのですが、前島密の墓のある浄楽寺の前を通ったので寄ってみましたよ。
かなり凝ったお墓でした。
これも観光用に作ったのかな?
ねこのひげ
2014/10/16 02:37
コメントをありがとうございます。

 前島密は、素町人が尊敬する人物の1人です。 写真検索で墓を拝見しました。衣冠束帯というのでしょうか、高級貴族みたいな姿の像が飾られて、かなり立派なお墓のようですね。。

 前島密は浄楽寺の近所に別荘を持って晩年を過ごしたそうですね。そのあたりは小泉元総理の選挙区と聞きました。郵政国営化の推進者が民営化推進者の選挙区内に眠っていることになるのかな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2014/10/16 09:14

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