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zoom RSS 将軍の命を受けた御庭番(おにわばん)が出発前に必ず寄った場所とはどこなの?

<<   作成日時 : 2014/09/13 16:06   >>

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★歴史★
問題:御庭番は江戸時代に生まれた情報収集機関だそうです。3代将軍家光のころ、あるいは8代将軍吉宗のころに創設された制度らしい。とくにスパイらしい行動をとらず、町人や武士たちの噂話を収集、分析するだけという話があります*2。別に、忍者が変装して仮想敵の地域に潜伏し、諜報活動を行なったという話もあります*1。
■ここでは忍者説に基づいてお話を進めます。そのほうが面白そうだし。御庭番は、将軍の直接の命を受けて行動したそうです。伊賀者がつとめたらしい。表向きは庭の管理人。将軍が庭に1人でくつろいでいるときに近くに寄っても不自然ではないらしい。広い庭に2人きりです。石や岩に化けたり、池に潜っているというのなら別ですが、隠れる場所はあまり多くないので、盗み聞きされにくく、秘密の話がしやすいのでしょうか。よく時代劇で内密の会談をするのに船でちょっと沖に漕ぎだすというのがあります。あれに似ていますね。
■まぁ、実際には御駕籠台(おかごだい)という将軍が駕籠に乗り込む台のあたりで命令を受けたという話もあります*1。御駕籠台は玄関にあったのでしょうか。あたりには人が隠れにくい構造だったのかな。
■将軍が御庭番を呼べと言うと側御用取次(そばごようとりつぎ)という係の者から指示がでます。で、将軍から庭とか御駕籠台あたりで直接の命令を受けるそうです。「薩摩藩を探索して来い」とか言われるのかな。
■費用は将軍じきじきに渡される場合もあれば御殿詰勘定所(ごてんづめかんじょうしょ)から支給される場合もあるようです。御庭番は、いったん命令を受けると、家には帰らないらしい。そのまま任地に向かうようです。
■旅に出る直前に、いったん寄る場所があるといわれます。そこは次のどこでしょうか?
[い]直接の上司である組頭の屋敷
[ろ]菩提寺の先祖の墓
[は]大丸呉服店
[に]御殿医(将軍の侍医)の詰め所
[ほ]吉原の三浦屋
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]大丸呉服店
説明:参考資料*1によれば、江戸城から出た御庭番は日本橋大伝馬町(おおでんまちょう)の大丸呉服店に向かったらしい。大丸が江戸に出店したのは寛保(かんぽう)3年(1743年)だそうです。8代将軍が隠居したのが延享2年(1745年)9月25日らしい。吉宗が諜報機関の創設者なら、彼から命を受けた御庭番が大丸に入っていく…なんてことがあったかもしれませんね。
◇*HP「大丸呉服店 江戸 - Google 検索」(画像)
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%80%80%E5%A4%A7%E4%B8%B8%E5%91%89%E6%9C%8D%E5%BA%97&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=vuQTVL6lJI-UuATRpYKgBw&ved=0CAkQ_AUoAg&biw=1280&bih=683#hl=ja&tbm=isch&q=%E5%A4%A7%E4%B8%B8%E5%91%89%E6%9C%8D%E5%BA%97%E3%80%80%E6%B1%9F%E6%88%B8
■大丸呉服店の奥には秘密の一室があったらしい。「…さまざまな階層の変装用の衣服調度品が揃えてあり、御庭番はそこで目的にあった身分や職業に変装する。御庭番は、見破られないように、日頃から自分の変装する職業を学んでいて…」*1。
■たしかに呉服店は人の出入りも多いですし、変装して出てくれば、御庭番なのか単なる客なのか、あるいは出入りの商人なのか、わからないかもしれませんね。
■御庭番は、万一敵方に捕らえられても決して白状しないと言われます。殺されると息子が跡を継げたらしい。後顧の憂い(こうこのうれい)無く、仕事に励めたようですね。
■隠密の活動中に資金が欠乏した際には、その地方にある幕府の代官所に支払委嘱の令状を見せて補充できたらしい。いいな。
■仕事を終えたら江戸城に戻ります。将軍が庭を散策しているときに、近づいて報告するそうです。あるいは側御用取次に報告するとのこと。
■参考資料*1によれば、「御庭番は一生の内に重要な役を1度務めれば、2度とは命ぜられることはなかった」。まぁ、もし忍者でその地方の人になりきるのだとすれば、方言や習わしを学習し、体得するだけでも数年はかかるでしょうから、長い準備が必要になるのでしょうね。平均寿命が50年以下だった時代では、そう何回も大役は務められなかったのかもしれません。
◆参考*1:書籍「時代劇のウソ・ホント」初版114〜115頁、笹間良彦(よしひこ)著、ISBN4-946525-65-3、遊子館
◇*2HP「御庭番 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%BA%AD%E7%95%AA
◇*3HP「笄町 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%84%E7%94%BA
◇*4HP「御側御用取次 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%81%B4%E5%BE%A1%E7%94%A8%E5%8F%96%E6%AC%A1
◇*5HP「大丸 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B8%B8

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
吉原も徳川家康が平和になったら、忍者も失業するので開かせたという説がありますね。
じっさい、江戸が出来た当時は風魔などの忍者が盗賊となって江戸の町を荒らしたらしいです。
徳川吉宗は紀州の出身ですから、伊賀の里などから忍者を連れて来てお庭番にしたのでしょうね。
ねこのひげ
2014/09/14 08:19
コメントをありがとうございます。

 江戸時代の始めのころ、失業した武士たちが暴れたという話は聞きますね。時代の変わり目ですから、運とか金とかが偏ってしまったのかな。
 不運の人たちの一部が、思い切った手段に出たのも理解可能ではありますね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2014/09/14 10:23

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