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zoom RSS 頼朝一世一代の大失敗とはどんなこと?

<<   作成日時 : 2014/07/30 07:11   >>

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★歴史★
問題:源頼朝は、冷徹な現実主義者であり、政治家としても一流だったそうです。歴史上の善玉菌、義経を殺した張本人です。当然、悪玉菌の印象があります。でも、大行は細瑾を顧みず(たいこうはさいきんをかえりみず)と言います。貴族の世の中から武士の世の中へと大きな転換を成し遂げた人です。些細なことにはこだわらなかったのでしょう。
■参考資料*2の書籍「日本史こぼれ話 古代・中世」によれば、その頼朝もひとつ大失敗をしているようです。その失敗とは次のどれでしょうか? 
[い]岳父(がくふ、妻の父)の北条時政(ときまさ)に浮気がばれ、政子に言いつけられて殺されそうになった
[ろ]京都を本拠地として政権運営をしたかったが公家たちを手なづけるための賄賂がケチ臭かったので上京を反対されてしまった
[は]娘に天皇の子を産ませて政権の基礎を盤石にしたかったが、早死されてしまった
[に]梶原景時(かげとき)の讒言(ざんげん、嘘の密告)に乗り、忠臣畠山重忠(しげただ)を殺した
[ほ]鎌倉の商人たちに重い税を課したため、多くの商人が逃げ出してしまった
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]娘に天皇の子を産ませて政権の基礎を盤石にしたかったが、早死されてしまった
説明:頼朝と政子の間に産まれた長女は大姫(おおひめ)という女性だったらしい。大姫というのは昔の長女のことを指すらしく、一幡(読み不明)が本名とする説もあるようです。でも定説ではないようなので、ここでは大姫と呼びます。
■大姫は、寿永(じゅえい)2年(1183年)、6歳のころ、木曾義仲の長男である義高(よしたか)の許嫁になります。政略結婚ですね。義高君は人質のように鎌倉に送られてきたらしい。小学生ぐらいのご夫婦かな。
■ご承知のとおり、木曾義仲は先に京都から平家を追い払いますが、問題行動が多く、1年も経たない寿永(じゅえい)3年(1184年)、義経にやられてしまいます。ここで、頼朝は義高君殺害を決めます。跡継ぎですから復讐される可能性があります。平家に助けられた自分も平家を倒そうとしています。おなじことが起こるかもしれません。将来に禍根を残さないために少年の命を奪おうとします。
■侍女から知らせを受けた大姫は、義高君を女房姿に変身させ、邸内から逃がします。蹄(ひづめ)に綿を巻いた馬を準備し、音を小さくして進み、鎌倉を脱出したらしい。頼朝は軍を動かして捜索させ、とうとう入間川の近くで発見して討ち取ります。
■大姫は衝撃を受け、水も喉を通らないようになってしまったらしい。それから10年以上も鬱状態だったようです。1194年(建久(けんきゅう)5年)、頼朝は妹の婿、一条能保の子、高能(たかよし)との縁談を進めようとしますが、一言のもとに断られているらしい。
■ここまでなら、頼朝の失敗もさほど大きくはなかったのでしょう。ところが、もうひとつ大きな失敗をしてしまいます。頼朝は、大姫を後鳥羽天皇の後宮に入れることをたくらんだそうです。大姫が皇子でも産んだらシメタものです。建久(けんきゅう)6年(1195年)に頼朝は大姫と政子を連れて入京し、入内(じゅだい)のための工作を始めます。入内とは、「皇后・中宮・女御(にょうご、高級女官)になる人が、儀礼を整えて正式に内裏(だいり、宮殿)に入ること」だそうです。
■当時の朝廷では、親幕派の九条兼実(かねざね)と源通親(みちちか)が反目していたらしい。九条兼実は以前にもご紹介したように、「玉葉(ぎょくよう)」という日記を書いた人ですね。「玉葉」は当時のことを知るいちばんの史料だそうです*3。
■この年、兼実の娘任子(にんし)は皇女を出産していたそうです。ところが、通親の養女在子(ありこ)のほうはもっと凄くて皇子を産んだらしい。小さな社会性昆虫に似た名前の女性のほうが、朝廷内での立場は高くなるのかな。当然ながら、親の立場もよくなるのでしょう。
■頼朝は、九条兼実を見捨てます。源通親はこれを利用し、政敵の追い落としをはかります。建久(けんきゅう)7年(1196年)には九条兼実は関白を免ぜられてしまいます。弟の慈円も天台座主(ざす、比叡山延暦寺の住職)の地位を追われてしまいます。兼実の勢力は宮中から一掃されたらしい。
■ところが、建久(けんきゅう)8年(1197年)、つまり政争の片付いた翌年に大姫が病に倒れてこの世を去ってしまいます。わずか20歳だったようです。親父の道具として使われたただけの人生かな。
■入内は果たされず、天皇家の外戚になろうとする野心はついえました。それだけではありません。朝廷内の親幕派を失ってしまいました。すべてが悪いほうへと動いたわけですね。
◆参考*1:HP「大姫 (源頼朝の娘) - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A7%AB_(%E6%BA%90%E9%A0%BC%E6%9C%9D%E3%81%AE%E5%A8%98)
◇*2書籍「日本史こぼれ話 古代・中世」新書初版30〜32頁、笠原一男 /児玉幸多編、ISBN4-634-60330-6、山川出版社
◇*3HP「「愚管抄」で知られる僧慈円の命日。法然や親鸞を迫害した張本人なの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200810/article_43.html

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
平清盛と同じことをやろうとしていたんですね。
権力者の思考というのは似たところがあるのかもしれませんね(~_~;)
ねこのひげ
2014/07/31 02:21
コメントをありがとうございます。

 武家政権の確立という革新的な事業を成し遂げたのに、実際にやっていることは古臭い感じですね。
 かりに源頼朝が天皇家と血でつながったとしたら、その後の歴史は変わっていたのでしょうか。ちょっと知りたいですね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2014/07/31 19:08
いい国(1192)作るぞ鎌倉幕府〜🎵今は1175年ぐらいに訂正(笑)

源義朝は艶満家 たくさんの子宝に恵まれた。頼朝は"母親が由良御前(熱田神宮の大宮司の娘)"

歴史では源頼朝は"名古屋ダガネ"(笑)

道理で名古屋的に考えたり(せこいなあ
sadakun_d
2014/08/10 21:23
コメントをありがとうございます。

 ホトトギスの3人や頼朝など、尾張近辺は歴史上の超大物武将を輩出していますね。
 幕府を開いた人は栃木県足利が地元という人も1人いますけど、関東は1人だけ。近畿はゼロなんですね。不思議といえば不思議だな。
(^^;)
 
sadakun_d様<素町人
2014/08/11 10:24

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