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zoom RSS 平安中期のはしかの流行。高級貴族の死亡率はどのぐらいだったの?

<<   作成日時 : 2014/07/23 10:01   >>

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★歴史★問題:長徳(ちょうとく)元年(995年)は、当時の首都京都で疫病が大流行したそうです。赤斑瘡(あかもがさ)と呼ばれる病らしい。現代の麻疹(ましん、はしか)に相当すると推定されているようです。
■麻疹はウイルスによる感染症です。現在では予防ワクチンの接種が普及し、かなり発生が抑えられています。2000年以降、麻疹による死者は年間20人程度とのこと。ハチに刺され、アナフィラキー・ショックと呼ばれる症状で亡くなる人とだいたいおなじ数らしい。
■麻疹は、昔は死に至る病だったようです。幕末の文久(ぶんきゅう)2年(1862年)には、江戸だけで24万人もの死者が記録されているとのこと*1。100万人の人口なのに1年間のうちに24万人も死んでしまうというのは信じがたいほどの犠牲者数です。誇張があるのかな。
■江戸時代に比べて国の人口が1.5倍に増えている明治38年(1905年)ごろの日露戦争では、とても多くの犠牲者を出したと言われますが、8万8000人余りです。もし麻疹ウイルスの被害者数が事実だとすれば、戦争の犠牲者数もかわいいものですね。
■さて、長徳(ちょうとく)元年(995年)の流行では、朝廷内もだいぶやられたらしい。では、いわゆる公卿(くぎょう、高級貴族)のうち、中納言以上の死者は1年間でどのぐらいだったでしょうか。ちなみに、この当時は、中納言以上の人たち、中納言・大納言・大臣(内・右・左)や関白などあわせて14人いたそうです。
[い]2人
[ろ]5人
[は]8人
[に]11人
[ほ]14人
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]8人
説明:たった1年のうちに、国の最高幹部が半分以上あの世行きになったらしい*3。国政が止まっちゃったのかな。
■当時の最高権力者、関白の藤原道隆(みちたか)という人物も病気でした。彼は麻疹ではなく、重い糖尿病だったようです。2月に関白の地位を嫡男である内大臣伊周(これちか)に譲ろうとしましたが、当時の一条天皇はこれを認めなかったようです。
■3月に入り、病気の間だけという条件付きで、伊周に内覧(ないらん)の宣旨(せんじ)が下されたそうです。内覧というのは、関白とほぼおなじ職務を行ない、関白に準ずる役職らしい。宣旨は、命令とほぼおなじようです。
■藤原道隆は、4月3日に関白を辞職します。再度、息子の伊周の関白就任を奏請(そうせい)します。奏請とは、「天子に奏上して裁可を求めること」だそうです。「お願えでごぜえますだ」とペコペコしながら要求するのかな。残念ながら、奏請は却下されたらしい。そして4月10日の夜半に道隆は43歳で亡くなります。死因は違いますが、この人を入れると14人中9人が鬼籍に入ってしまったのかな。
■関白の後任には、右大臣であり、道隆の弟でもある道兼(みちかね)という人物と、そのひとつ下の内大臣である伊周がノミネートされていたようです。伊周は内覧という立場のこともあり、よもや叔父さんに負けるわけはないと思ったらしい。ところが一条天皇は、道隆・伊周親子の強引さに嫌悪感を抱いていたようです。
■4月27日、後任人事が発表され、大方の予想に反して関白は道兼が指名されました。もちろん道兼は大喜びです。ところが、このとき、麻疹ウイルスが道兼にとりついていたらしい。体の不調をおして、5月2日にお礼言上のために参内(さんだい)します。一条天皇にお目に掛かったわけですね。
■ふらふらになりながら自分の屋敷に戻ってきますが、そのまま病の床に伏してしまいます。1週間ほど経過した5月8日。哀れ道兼は帰らぬ人となったらしい。都の人たちは道兼を七日関白と称したようです。この人は8人のうちの1人のようですね。
■棚からボタ餅で伊周は関白になれたのかといえば、そうは行かなかったらしい。5月11日にはもう1人の叔父さん藤原道長(みちなが)に内覧の宣旨がくだり、6月19日には道長は右大臣に昇任して内大臣である伊周よりも高い地位につきます。さらに天下執行の宣旨を獲得し、政争は一応の決着をみたようです。
■なお、伊周は父を失い叔父2人に恥をかかされた翌年に、恋のさや当ての勘違いから時の花山法皇に暴力行為を働いたこと、他の罪状もあわせて大宰権帥(だざいごんのそち(そつ))に左遷されてしまいます*4。以後、伊周君が中央政界で活躍する姿は見られなくなるようです。
■なお、大宰権帥に左遷されるのは、その100年ほど前の菅原道真(みちざね)とおなじ処遇です。中央で失脚した人が降格する着地点のようですね。
◆参考*1:HP「麻疹 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E7%96%B9
◇*2HP「ハチ刺されと死亡事故」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~vespa/vespa0562.htm
◇*3書籍「日本史こぼれ話 古代・中世 続編」新書初版89〜90頁、笠原一男/児玉幸多編、ISBN4-634-80750-1、山川出版社
◇*4HP「法皇一行が慌てて逃げ出した相手とはどんな連中なの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201407/article_14.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
この死者の数は事実に近いようですね。
江戸の火事でも数十万人が亡くなったりしてますからね。
昔の人は頑丈なようでもろかったのではないでしょうか。
食生活が白米とメザシと沢庵だけというように偏っていたこともあったのでしょう。
ねこのひげ
2014/07/25 02:19
コメントをありがとうございます。

 クイズには含められませんでしたが、江戸で麻疹が大流行した年の絵が次の頁にありました。
◇*HP「内藤記念くすり博物館のご案内−企画展」
http://www.eisai.co.jp/museum/information/event/exhibition/muse27-2.html
麻疹の神様を御輿(みこし)で送りだそうとしているユーモラスな絵です。担ぎ手は空豆です。空豆はなぜか麻疹の際には食べないほうがいいと言われたらしい。空豆にとっては憎い仇が麻疹なのかな。
 医者や薬袋がまわりで空豆たちを応援している(らしい)変な図です。
(^^;) 
ねこのひげ様<素町人
2014/07/25 09:45

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