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zoom RSS 江戸後期にはどのぐらいの駕籠屋がいたの?

<<   作成日時 : 2014/06/04 07:20   >>

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★歴史★
問題:江戸時代の江戸の町人に大きな願いが2つあって、ひとつは鰻を食うこと。もうひとつは駕籠に乗ることらしい。
■これは3代目三遊亭金馬師が落語の枕で語っていた話です。師匠自身が「落語家の話を聞いて歴史の勉強をしようという人はいない」と語っているぐらいですので、町人の鰻・駕籠願望がどの程度のものだったかはわかりません。仮に金馬師のいうとおりだとしても、おそらくは長屋に住む人たちの願望なんでしょうね。10代目桂文治の落語「蛙茶番(かわずちゃばん)」には、商店に勤める丁稚の話が登場します。素人芝居の蛙の役で緊急出演するご褒美に、番頭さんに寄席と鰻を奢(おご)ってもらうようです。
■庶民が乗る駕籠は、四つ手駕籠と呼ばれる形式だったらしい。いちばん簡易な形式ですね。竹で編んだ台に人が乗ります。竹を二つ折りにした骨組みで台を横棒からぶらさげます。口絵の写真は完全に客の姿が見えますが、垂れをおろして隠すものもあったようです。
■そもそもは元禄年間(1688年〜1704年)に100挺を限って許可されたとのこと*1。人口数十万人から100万人へと成長を遂げていく都市としては、少ない数のような気もします。では、江戸後期には、どのぐらいの駕籠が稼働していたのでしょうか? 下の中からいちばん近い数字を選んでください。当時の百科辞典であり、風俗の基本資料ともいわれる喜多川守貞(もりさだ)の「守貞謾稿(まんこう)」に記されている数字を正解とします。
[い]500挺
[ろ]1000挺
[は]2000挺
[に]4000挺
[ほ]8000挺
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]8000挺
説明:「守貞謾稿」には江戸後期には1万挺に増えたと記されているそうです*1。う〜ん、1万挺は少し多いような気もします。現在の東京のタクシーは人口1000万人に対してハイヤーを含めて5万台余りです*4。100万人の人口に1万挺だと人口比2倍になりますよね。電車も地下鉄もバスもないから当然なのかな。
■なんて勝手に怪しんでいたら、1万挺説を裏付けるかもしれない資料を見つけてしまいました。参考資料*3、Wikipediaの人力車の項目です。ここには次のように記されています。少し長いのですが、引用します。
---その後、明治5(1872)年までに、東京市内に1万台あった駕籠は完全に姿を消し、逆に人力車は4万台まで増加して、日本の代表的な公共輸送機関になった。これにより職を失った駕籠かき達は、多くが人力車の車夫に転職した。明治9年(1876年)には東京府内で2万5038台と記録されている。
■1万挺は、事実なのかもしれませんね。それにしても、1万挺の駕籠は、2万人以上の男がいないと営業できません。100万人の人口のうち50万人が町人であり、その半分が男だったとすると、25万人です。子供と年寄を除いた労働人口が20万人なら、男性労働者10人に1人は駕籠舁きだったことになります。ホントかな。実はまだ少し怪しんでいます。
◆参考*1:書籍「大江戸復元図鑑 庶民編」初版32〜33頁、笹間良彦著画、遊子館
◇*2HP「駕籠 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%95%E7%B1%A0
◇*3HP「人力車 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8A%9B%E8%BB%8A
◇*4HP「東京のタクシー 2013」
http://www.taxi-tokyo.or.jp/datalibrary/pdf/hakusyo2013all.pdf#search='%E6%9D%B1%E4%BA%AC+%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC+%E4%B8%87%E5%8F%B0'

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江戸時代。庶民が駕籠に乗ることを許されたのはいつごろのことなの?
●●●●●★歴史★● 問題:現在のタクシーに相当する江戸の駕籠。幕末には1万挺を数える駕籠が活動していたそうです。 ■参考資料*1の「江戸繁昌記」によれば、「都の人はどうしてこんなに急用が多いのか」と怪しむほどに駕籠は多かったらしい。しかも多くはスピードを出していたようです。「人ごみの中を走って、巧(たくみ)に人を避け、近寄るものを、軽く肩ではねる。まるで無人の境を行くがようだ」。 ■町人が乗るのは四つ手駕籠という飾り気のない駕籠です。大名や幕府の高級官僚、高位の坊さんや医師などは、... ...続きを見る
町人思案橋・クイズ集
2015/06/10 08:35

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ここまで多いとは思いませんでしたが、人間が乗れる交通機関としては後は船程度しかなかった時代ですからね〜
そういえば侍はどんなにくたびれても駕籠には乗ってはならなかったようですね。
武士として不名誉なこととして罰せられることもあったようで・・・
侍も辛いですな〜(*_*)
ねこのひげ
2014/06/08 07:58
コメントをありがとうございます。

 侍は駕籠に乗ってはいけない。なるほど。気がつくと時代劇などでも、殿様や商人はともかく、武士が駕籠に乗っている場面は見ない気がしますね。
 落語には武士が駕籠に乗る「紋三郎稲荷」という話があります。でも、この武士は病み上がりなので例外なのかもしれません。
(^^;)
 
ねこのひげ様<素町人
2014/06/08 10:24

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