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zoom RSS 「六」という数字が好きだったという歴史上の有名人とは誰のこと?

<<   作成日時 : 2014/06/21 09:04   >>

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★歴史★
問題:3代目三遊亭金馬師の「夢金」の枕です。「昔、将軍家のたかは八百万石。旗本は八万騎。江戸の町は八百八町。時鳥(ほととぎす)は八千八声。暦に八笑人(はっしょうじん)。岡目八目、嘘八百。台所に八間行灯(はちけんあんどん)。八丈島に鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)。兜(かぶと)に八幡座(はちまんざ)。屋島の義経八艘飛び。八十八を米(よね)の祝い。八十八夜の別れ霜。仏法に八大地獄。法華経八の巻。八葉の蓮華(はちようのれんげ)。吉原の土手八丁。花魁(おいらん)の外八文字(そとはちもんじ)。一人娘に婿八人。狸のなんとか八畳敷き」。
■ずいぶん八を並べ立てました。さらに続きがあります。「八王子の八幡屋の八っつぁんていう人が八月の八日に江戸の八丁堀に越してきまして、八畳の座敷を八円八十八銭で借りました。八丈の着物に八反の白〓で向う鉢巻。八寸の膳を前に置いておかずが八杯豆腐。五郎八茶碗でお鉢をひきつけて手盛り八杯喰ったら腹が張ってはち切れた」。
■なお、歴史で習うところと若干異なる表現も含まれています。たとえば「屋島の義経八艘飛び」。これは「壇ノ浦」が正しいかもしれません。でも語呂が悪いですね。で、屋島と言ったのかも。その他にもありますが、ここでは聞き流しましょう。
■「八反の白〓」とある部分は、聞き取れなかった部分です。おそらくは白い布を意味する言葉が入るのでしょう。「しろうけ」とか「しろむけ」とか聞こえますが、辞書で引いた限りではそんな言葉はありません。なんなのかな。戦後すぐなのか、録音があまりよくなくて不明瞭なのは残念です。
■さて、「八」ではなく「六」が大好きな人物が歴史上の有名人の中にいたそうです。6は西洋では縁起の悪い数字らしい。怪奇映画「オーメン」の悪魔の子、ダミアンは6月6日午前6時に生まれたと聞きます。しかも頭には666の痣があったらしい。666は「動物の数・悪魔の数・人間の数」であると「ヨハネ黙示録」には記されているとか。この意味はあんまりよくわかりませんけどね。まぁ日本でも6はそんなに縁起のいい数ではないようです。でもある歴史上の有名人はそれが好きだったらしい。次の誰でしょうか?
[い]聖武(しょうむ)天皇
[ろ]藤原道長(みちなが)
[は]平清盛(きよもり)
[に]足利尊氏(たかうじ)
[ほ]織田信長(のぶなが)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]平清盛(きよもり)
説明:参考資料*1「かたちの科学おもしろ事典」という書籍によれば、
---京の六条に住んでいた平清盛は、自ら六波羅殿といっていたように六が大好きだったようで、伝説によると、京の都の六つの入口に仏教でいう六道(死後にさまよう六つの迷界) にちなむ六体の地蔵菩薩を祭りました。
…とのこと。その6ヵ所の地蔵堂をめぐるのが現在も各地で行なわれている六地蔵めぐりらしい。6は我が国でも死後の世界に縁のある数字のようですね。清盛はなかなかの合理主義者だったようですので、他の人が忌避する数字をあえて好んだのかもしれません*4。
■清盛は六波羅第という屋敷を設け、役所を構えたそうです。六波羅というのは、「京都の鴨川東岸の五条大路から七条大路一帯の地名」らしい。現在では東山区になっています。
■六波羅には、地獄に通じる井戸のある六道珍皇寺(ろくどうちんこうじ/ちんのうじ)も建立されたとのこと。
■清盛没後、鎌倉時代には六波羅探題という幕府直轄の警察機構が置かれたそうです。このころは六条河原で残酷な処刑が行なわれたとか。
■当時の凶悪事件の容疑者は、運が悪ければ六条の六波羅探題に捕まります。有罪が確定すれば六条河原で処刑されます。南無阿弥陀仏の六字の響く六道珍皇寺で六道銭をもらって荼毘(だび、火葬)にふされた後、六道の辻から六角灯龍に照らされて地獄の六道に入る。これが極悪人のお定まりの道だったということになりますね。
■なお、実際には貴重な燃料を使ってまで極悪人を火葬したかどうかはわかりません。火葬は費用が高くつくので平安時代には特別な人の場合だけだったという話も聞きます。鳥辺野(とりべの、清水寺近辺)とか化野(あだしの、右京区嵯峨あたり)に投げ捨てられていた可能性もありそうです*3。
◆参考*1:書籍「かたちの科学おもしろ事典」初版114〜116頁、宮崎興二(こうじ)編著、ISBN4-534-02518-1、日本実業出版社
◇*2HP「平清盛 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B8%85%E7%9B%9B
◇*3HP「清水の舞台はなんのために設けられたの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/201207/article_6.html
◇*4HP「平清盛はインフルエンザで亡くなったの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200803/article_3.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
いま、夏になると賑わう鎌倉の材木座海岸などに死体が山のように積み重ねられ、野良犬や烏があさっていたそうで、京都の四条河原も同じだったようで、信長があきれて、秀吉にきれいに掃除させたとか。
ねこのひげ
2014/06/22 10:17
コメントをありがとうございます。

 昔は死体はいまほど珍しくなかったようですね。江戸時代の江戸では、本来は水死体を見つけたらお上に届けなければならなかったそうです。ところがあまりに土左衛門が多いので、いちいち届けていたら船頭たちは仕事にならない。奉行所から届け出の義務を免除するという通達が出ているとか。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2014/06/22 19:05

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