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zoom RSS 三井家の不動産収入。副業でも年間1万両も稼いでいたの?

<<   作成日時 : 2014/06/18 07:24   >>

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★歴史★
問題:まずは江戸時代のなぞなぞです。「十六七の娘とかけて大店(おおだな)の商ひ(あきない)ととく」。その心は?
「もうけがあろう」*2。数えの勘定ですから満でいえば15〜16歳ぐらいなのかな。中学3年か高校1年ぐらいでしょうか。まぁ、クラスの女子のほとんどは毛は生えていますよね。それどころか、すでに子持ちなんて子もいるかもしれませんけど。
■三井家は伊勢松坂で酒造業・金融業(質屋)を始めたそうです。17世紀後半、延宝(えんぽう)元年(1673年)ごろに江戸と京都に越後屋と名付けた呉服店を開業したとのこと。
■江戸では駿河町、現在の日本橋室町あたりに店を出したらしい。いまでも近くには三越本店がありますね。越後屋は、現金掛け値無しなどの商法があたり、江戸の後期には日本一の大富豪になったようです。江戸・大坂・京都に両替商を開いています。幕府の公金為替の御用達にもなり、貨幣経済を動かしていったようです。
■では、19世紀の「世事見聞録(せじけんもんろく)」という本によれば、副業の不動産収入(土地の賃貸料)は1年間でどのぐらいだったのでしょうか? 次の中から近い数字を選んで下さい。ちなみに以前に弊クイズでご紹介した浅草寺は、5000人〜1万人ともいわれる長屋住まいの人々からの家賃収入が月に680両、年間8000両を越えたといわれています。
[い]2500両
[ろ]5000両
[は]1万両
[に]2万両
[ほ]4万両
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]2万両
説明:地代の収入だけで2万両というのは凄いですね。これは当時の5万石の大名の収入に匹敵するらしい*1。もうけがふさふさですな。
■「世事見聞録」は武陽隠士(ぶよういんし)という人物によって文化(ぶんか)13年(1816年)に書かれたそうです。「駿河町の三井八郎右衛門(はちろうえもん)は日本一の大富豪で大店が三つあって1000余人の手代を使っている」と記されているようです。1日の売上げが2000両に達したらお祝いをしたらしい。参考資料*1には3店舗での合計と考えるべきという説が記されています。
■3店舗は三都、江戸・京都・大坂に1つずつあるようです。でも、電信すらない時代です。3店舗の合計売上高がわかるのはどんなに早くても2〜3日はかかるような気がしますけど。それともノロシでも上げて通信して、その日のうちに合計できたのかしらん。
■もし平均して3店舗合計で1日1000両の売上げがあると仮定すると、年間では36万両です。3代将軍家光から4代将軍家綱へ残された遺産が600万両ともいわれ、江戸時代を通じて最高クラスだったらしい。1年間でその20分の1以上を売り上げたというのは、凄いですね。誇張かもしれないと参考資料*1では言っています。時代が200年ほど違うとしても、たしかに多すぎる感じかな。
■享保(きょうほう)15年(1730年)の幕府の歳入が80万両ほど。天保(てんぽう)14年(1843年)では154万両ほどという話も聞きます*4。中央政府の税収の半分、あるいは四半分に匹敵する売上げか。「世事見聞録」の数字は、そのまま信じるのがむずかしいのかな。
■余談です。三井家は伊勢松坂から三都に進出したらしい。伊勢出身なら伊勢屋と名乗るものかと思えば、なぜか越後屋ですね。「越後屋、おぬしも悪(わる)よのぉ」、「いやいやお代官様だって、ヒッヒッヒッ」。まさか20世紀以降、定番寸劇の悪役に抜擢されるとは知らなかったでしょうね。
■越後屋の名前の由来は、ご先祖様が武士で越後守を名乗っていたからだ、と言われているらしい。ただし、越後国出身かどうかはわかりません。「旧国名+守」とか「旧国名+介」は江戸時代以降は、若干の制約はあるものの、希望があり、幕府が認めれば名乗れたらしい。さらに国持大名(くにもちだいみょう、大藩のこと)以外は「自分の領国名を名乗るのは原則として禁止」にされていたらしい。たとえば仙台藩の親分伊達氏は国持大名なので陸奥守ですが、吉良上野介(こうずけのすけ)は領地こそ三河国幡豆郡(はずぐん、現愛知県)ですが、上野国(現群馬県)に勤務する官僚みたいな名乗りになっています。
■越後が領国でなくても、さらに出身地ですらなくても越後守と名乗れたようです。美作国(みまさかのくに)津山藩、いまの岡山県でしょうか。初代藩主から8代目藩主までのうち、2代目を除く7人は「越後守」を名乗っていたらしい*3。昔の大名はそうそう他国へは行けません。初代はわかりませんが、3代目以降の藩主は越後の国には足を踏み入れたことがないかもしれませんね。
◆参考*1:書籍「日本史こぼれ話近世近代・続編」新書初版26〜28頁、笠原一男/児玉幸多編、 ISBN4-634-60740-9、山川出版社
◇*2書籍「江戸の恋文」文庫初版20頁、綿抜豊昭(わたぬき とよあき)著、ISBN978-4-582-85714-6、平凡社
◇*3HP「武家官位 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E5%AE%98%E4%BD%8D
◇*4書籍「江戸文化歴史検定公式テキスト上級編【江戸博覧強記】」初版32頁、江戸文化歴史検定協会編、ISBN978-4-09-626602-1、小学館

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
江戸時代は、ほとんど町人たちの天下だったようですからね。
農民でも豪農が出現してますからね。
生産性のない武士はどうしようもない存在だったんでしょう。
ねこのひげ
2014/06/19 18:06
コメントをありがとうございます。

 武士と坊さんは、江戸時代には威張っていたようですが、考えてみれば何も生産していなかったわけですね。維新後の没落は当然なのかもしれません。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2014/06/19 22:35

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