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zoom RSS 高級官僚が増える末世。鎌倉初期には定員の何倍の大納言(だいなごん)がいたの?

<<   作成日時 : 2014/05/21 10:19   >>

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★歴史★
問題:現在の日本は、公務員の数が人口1000人あたり42人ほど。ドイツの70人、米国の74人、英国の79人、フランスの96人などと比べても、けっして多いほうではないようです(2004年(平成16年)前後のデータ)*1。
■公務員数の中には自衛隊員・公社公団・政府系企業等も含まれるようです。この数字が正しいとすれば、日本の行政・司法・立法・教育機関等は、かなり人件費を節約し、ギリギリのところでやっているのかもしれませんね。
■日本の歴史上では、全体の数はわかりませんが、高級な公務員の数がやたら増えた時代があるようです。平安末期から鎌倉初期にかけてもそんな状態だったらしい。
■では、参考資料*2書籍「古典でたどる日本サラリーマン事情」に記されている大納言という役職は、当時の定員1名に対して、何人がいたのでしょうか? 
■なお、大納言は、太政大臣→左大臣→右大臣→内大臣→大納言→中納言→近衛大将→参議…と続く官職の階段の中でも、かなり高い地位を占めています。いわゆる公卿(くぎょう)、高級官僚の1人であり、国政を左右することのできる立場だそうです。今で言えば閣議に出席できる閣僚の1人なのかな。昔の大臣はすべて定員1名であり、太政大臣だけは置かれないときもあったようです。ということは、ナンバー4か5ぐらいの高い立場なのかな。
[い]2人
[ろ]4人
[は]6人
[に]8人
[ほ]10人以上
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]10人以上
説明:■大納言の定員は、慶雲(きょううん/けいうん)2年(705年)に4人から2人になったという話もあります*4。時代によってかわっているらしい。定員は不明ですが、後白河院政期(12世紀後半)にも大納言が10人いたらしく、その後、九条兼実(かねざね)が引き締めをはかって6人に絞り込んだという話もあるようです。参考資料*2の表現では、「…大納言は定員の十倍の十名、中納言は十五倍の十五名という乱発状態」となっていますので、当時の定員は…少なくとも建前上は…1名だったのかもしれません。
■なお、九条兼実は、平安末期から鎌倉初期に記された日記「玉葉(ぎょくよう)」の作者です。信頼性の高い史料として知られているとのこと。彼の弟の1人が天台座主(てんだいざす、比叡山延暦寺の住職・親分)慈円(じえん)です。百人一首にも作品が選ばれていますし、「愚管抄(ぐかんしょう)」という歴史書を残しています。「愚管抄」にも、「治まる世には、官、人を求め、乱れる時代には、人、官を求める」という記述があるらしい。
■こんなに役職を乱発してどうするのでしょうか。高級官僚だらけです。閣議に出席するつもりで出かけたら、本会議場ぐらいの人数がいたりして。定員の10倍も人がいたら、職務は10分の1しかないはず。10日にいっぺんだけ出勤するのかな。一種のワークシェアリングですね。冗談はともかく、もっと深刻な問題もあります。高級官僚は「高給」官僚でもあるはず。10倍や15倍もの高給はどこから支払ったのでしょうか?
■実際には、大納言という肩書きは、肩書きだけのものだったらしい。少なくとも就任した貴族が大きな経済的な利得を手にすることはなかったようです。本来ですと、大納言という役職に対して、職田(しきでん、しょくでん)という田地などが支給され、そこからのあがりが貰えたらしい。それだけでなく、大納言になれるぐらいの人は、普通は正三位ぐらいの位があります。この位に対しても位田(いでん)とよばれる田地などが支給され、そこからのあがりも収入となったらしい。竹取物語に登場する大伴(おおともの)大納言という人の収入は、推定年収5〜10億円とされていたりします*6。
■ところが、平安時代末期、武士の世の中になっていくに従い、こうした田地からのあがりが中央に届かなくなっていくようです。朝廷も公家も困ります。自分の荘園を持っている人はそこからのあがりでなんとか食いつないでいくのかな。副業をしている人たちもいたのかな。
■ではなんのために役職を乱発するのでしょうか? なりたがる人とならせて得をする人たちがいるようです。後者でいえば、太政大臣以下の大臣連中は、大なり小なり人事に影響力を行使できるらしい。そこで、多くの候補者たちがワイロを使うようです。で、高位の人たちの門前は市をなすことになるらしい。
■実際、百人一首の選者として知られる藤原定家(さだいえ、ていか)は、より高い官位官職を得るために多くのワイロを贈ったそうです。国宝にも指定されているという日記「明月記(めいげつき)」に記されているらしい。藤原定家は仁治(にんじ)2年(1241年)に満79歳で亡くなりますが、ワイロの効果なのか、嘉禄(かろく)3年(1227年)に正二位に叙されたそうです*5。30ほどある貴族の位の中で、上から3番目にあたる階級らしい*6。
■現代の凡人には疑問が残ります。なりたがる人の問題です。たいして経済的な利益がないにもかかわらず、空しい名前や肩書きを欲しがるのはなぜか。大納言になったからといって、実入りがほとんどないならば、けっして安くはない牛や馬を大臣やそのカミサンに贈ったりするのは無駄な出費です。なぜそんな肩書きにこだわったのか。われら下々には理解不能ですね。
◆参考*1:HP「http://www.esri.go.jp/jp/prj/hou/hou021/hou21-1.pdf」(公務員数の国際比較に関する調査報告書 平成17 年11 月 株式会社 野村総合研究所)
http://www.esri.go.jp/jp/prj/hou/hou021/hou21-1.pdf
◇*2書籍「古典でたどる日本サラリーマン事情」初版113〜119頁、山口博(ひろし)著、ISBN 4-569-22222-6、PHP研究所
◇*3HP「大納言 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%B4%8D%E8%A8%80
◇*4HP「中納言 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%B4%8D%E8%A8%80
◇*5HP「藤原定家 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E5%AE%B6
◇*6書籍「まんが日本史キーワード 貴族になってみないか」初版8〜11頁、高野澄著、ISBN4-378-05004-8、さ・え・ら書房

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
今年、確定申告の用紙が送られてこないので税務署に問い合わせたら、経費節減のためとか言われて、大慌てで取りに行きましたよ。

ヨーロッパでは免罪符なんてのが売られてましたね。

戦国時代の貴族は、知識を打って生活していたようですね。
武士のほとんどは文盲だったようですからね〜
残されている秀吉の文章を見ると達筆だったようで、下の階級の人間でしたから相当な努力をしたんでしょうね〜
ねこのひげ
2014/05/25 11:10
コメントをありがとうございます。

 確定申告の用紙が送られてこないなんてことがあるんですか。油断できませんね。人まかせにしているので知りませんでした。

 免罪符は我が国でも売られていたようです。落語の「お血脈」によれば、善光寺における免罪符の販売が好調で地獄に行く罪人がほとんどいなくなり、地獄が倒産の危機を迎えています。
(^^;)
 

 
ねこのひげ様<素町人
2014/05/25 20:53

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