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zoom RSS 「回れ〜右!」という号令を作った人は誰なの?

<<   作成日時 : 2014/05/07 13:40   >>

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★歴史★
問題:かつて、日本の軍隊では、「回れ〜右!」とか「左向け〜左!」などの号令が掛けられていました。集団を整列させ、制御する指示の言葉ですね。
■戦後の学校教育の中にも、これらの号令は生きていました。「前へ〜習え!」と言われたら両手を地面と平行に前へ突き出しました。「休め!」。これはどんな姿勢だったか、忘れちゃいましたけど。
■こうした一連の号令は、幕末に活躍したある著名な人物が考えたものだと言われます。まっ、もともとはオランダ式の軍隊訓練法であり、その号令を日本語に訳したのがこの人だったようですけど。
■では、「回れ〜右!」という日本語の号令を作ったのは誰でしょうか? 次の中から選んでください。
[い]坂本龍馬
[ろ]江川太郎左衛門(たろうざえもん)
[は]桂小五郎(こごろう)
[に]大村益次郎(ますじろう)
[ほ]榎本武揚(ぶよう、たけあき)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]江川太郎左衛門(たろうざえもん)
説明:江川太郎左衛門は、伊豆韮山代官を世襲する江川家当主の名前だそうです。「回れ〜右!」を工夫した人物は、その36代目江川家当主、江川英龍(ひでたつ)という人です。洋学を学び、韮山に反射炉を建設したり、西洋砲術を普及させたり、いろいろ忙しい人生だったらしい。残念ながら安政(あんせい)2年(1855年)に亡くなってしまい、その才能を維新以後には発揮できませんでした。
■江川英龍の砲術の師匠は高島秋帆(しゅうはん)だそうです。高島流砲術の人ですね。長崎町年寄の家に生まれています。西洋の砲術と日本の砲術の実力差に驚き、西洋流の砲術を出島のオランダ人を通じて学んだそうです。やがて開国を求め、西欧各国の船が日本各地に訪れるようになります。天保(てんぽう)13年(1842年)、清が阿片戦争で敗れると、高島秋帆は幕府に西洋流の砲術を取り入れることを提案します。江戸の郊外で、日本初の西洋砲術の公開演習を披露したそうです。その場所は、武蔵国徳丸ヶ原という場所であり、現在では板橋区高島平と呼ばれているとのこと。
■高島秋帆は、たちまち幕府から重用されましたが、天保の改革の推進者水野忠邦の手下鳥居耀蔵(ようぞう)に「密貿易をしている」と讒訴(ざんそ、嘘の密告)され、逮捕拘禁されてしまったらしい。江川英龍も鳥井耀蔵とは対立していましたが、幸いにして罰を受けることはなかったようです*4。
■江川英龍は、下田港にやってきて無断で測量を繰り返す英国船マリナー号に乗り込んで談判し、見事に撃退したことがあったそうです。始めは下田奉行が文句を言ったのですが、埒があかなかったらしい。江川英龍は、農兵に鉄砲を持たせてマリナー号の周囲を舟で取り囲んでから、乗船したそうです。
■洋学や西洋の事情に通じていたことが功を奏したようです。我が国にも法がある。従わないのなら貴船を沈めなければならない。だが、もし出て行くのなら必要な水や食料は調達してやろう。硬軟とりまぜて交渉したらしい。マチソン中佐という艦長はその態度に感服し、退去を約束し、約束は果たされたそうです。
■この結果は幕府内で高く評価されます。林述斎(じゅっさい)も、江川英龍は嫌いだが功績は認めねばならぬと言ったとのこと*3。ちなみに林述斎は洋学を嫌悪する林家(りんけ、幕府御用達儒学の元締め)の親分であり、英龍の政敵鳥居耀蔵の実父でもあるようです。
■いちばん頭の固い攘夷論者と見られている水戸藩の徳川斉昭(なりあき、15代慶喜の実父)は、日頃から江川英龍ら開港論者を腑抜け、洋夷(ようい)かぶれと罵っていたそうです。でも、この時ばかりは「韮山の洋夷かぶれでも、いざとなれば日本人の血が目を醒ますのであろう」と上機嫌だったとか。まっ、この出来事のおかげで、江川英龍は陥れられることはなかったらしい。
■それはともかく、高島秋帆は、オランダ語で砲兵を訓練していたそうです。でもそれでは一般の日本人にはわかりにくい。江川英龍は師の許可を得て、日本語の号令を工夫したそうです。たとえば、「オップ・スコードル・ヘット・ゲヴェール」は「鉄砲を肩へ」という意味とのこと。でも直訳しただけでは勢いに欠けます。で、江川英龍の号令は「担え(になえ)〜筒!」だそうです。勇ましいですね。余談ですけど、そんな名前のチャップリンの喜劇映画がありました。
■「右向け〜右!」、「前へ〜進め!」、「気をつけ!」などなど、みんな江川英龍が工夫したものらしい*3。20世紀の体育の授業で江戸時代の砲兵の訓練とおなじ号令を掛けられているとは知りませんでしたね。21世紀の学校教育でもこれらの号令は生きているのかな。
■なお、Wikipediaの江川英龍の項には、江川英龍は親族の石井修三(しゅうぞう?)という人物に訳させたという説が紹介されています(140507現在)*1。こちらが正しいとすれば、翻訳者ではなく、プロデューサーあるいは監修者だったのかもしれません。いずれにせよ、英龍が関与したことに変わりはないようです。
◆参考*1:HP「江川英龍 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B7%9D%E8%8B%B1%E9%BE%8D
◇*2HP「高島秋帆 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E7%A7%8B%E5%B8%86
◇*3書籍「世界人物逸話大事典」初版151頁、朝倉治彦・三浦一郎編、ISBN4-04- 031900-1、角川書店
◇*4HP「「江戸の妖怪」の失脚確定の日。妖怪は意外にも風見鶏だったの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200710/article_9.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
西洋式の軍隊を取り入れるのに苦労したということでしょうね。
あ〜でもないこうでもないと頭を突き合わせて考えてのでしょうね。
で「こうれいくか!」となったんでしょうね。

そういえば鳥居耀蔵さんは明治時代まで生きていたんですな〜
ねこのひげ
2014/05/10 06:26
コメントをありがとうございます。

 鳥居耀蔵は、明治時代に入っても少しだけは生きていたようですね。ただし、世の中に対してはあまり貢献できなかったようですが。
 能力が高かったとか、頭がよかったという評判もあるようです。使い道を誤ったのでしょうかね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2014/05/10 08:58

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