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zoom RSS 甘藷(かんしょ、薩摩芋)先生こと青木昆陽の元の職業はどんなもの?

<<   作成日時 : 2014/02/23 21:40   >>

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★歴史★
問題:青木昆陽は、元禄(げんろく)11年(1698年)に生まれ、明和(めいわ)6年(1769年)に亡くなっています。江戸時代中期に活躍した学者です。薩摩芋を全国に紹介し、飢饉のときの食料として普及させました。
■薩摩芋は気象の変化や土質にあまり左右されないそうです。しかも病虫害や雑草の被害も受けにくいとのこと。生育が早いし、料理が簡単です。エネルギー量も十分なので、救荒食物として重宝されたそうです*2。
■「解体新書」で知られる蘭学者、前野良沢(りょうたく)に蘭学を教えたのは青木昆陽だそうです。オランダ語についての著作も少なくないと言われます。蘭学の始祖と呼んでいる本もあります*1。
■青木昆陽は、元々医者とか学者の家系ではなかったようです。江戸出身であり、可処分所得の多そうな仕事をしていたらしい。ところが自身は学問好きであり、本来の職業のほうにはあまり熱心でなかったと言われます。途中から学者に乗り換えちゃったようですね。
■では、青木昆陽の元々の職業とは、次のどれでしょうか?
[い]薩摩藩の江戸詰家老
[ろ]野菜市場の野菜問屋の主人
[は]魚市場の魚問屋の主人
[に]芝居小屋猿若座の主催者
[ほ]吉原の大籬(おおまがき、格式の高い遊女屋)の主人
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]魚市場の魚問屋の主人
説明:参考資料*3によれば、「…昆陽はもと新橋の魚問屋であったが、学問好きで商売を嫌い、魚屋の株を売って儒者になった」とのこと。その理由は、「魚屋は大いに儲かりもするが、やれ役者に幕をやるの、力士に廻しをやるの、太鼓持の会だ、芸人の会だと付き合いがうるさい。また夏秋のころには魚が腐って人知れぬ損もする。今のわび住まいのほうが気楽だ」ということらしい。
■青木昆陽はとても親孝行だったそうです。両親が病気のときには、医者のもとへ薬を取りに行くのはもちろん、両親の好きな食べ物を買って来て料理するなど、看病に手を尽くしたとのこと。凄いのは父の死後3年の喪に服したことです。寺参り以外は一切外出せず、禁酒して精進したらしい。昔の人は徹底していますね。
■その後母の死に際してもまた3年の喪に服したようです。当時、昆陽は八丁堀に住んでいたそうですが、そこの地主でもあった与力の加藤枝直(えだなお?)という人物が、昆陽の生きかたに感心します。町奉行大岡越前守忠相(ただすけ)に伝えたそうです。親孝行がきっかけで、東京都知事に面会できたという感じかな。
■別の話もありまして、魚屋のいでたちをしていながら、本を読みながら魚の籠を担いで走っていたとも言われます。その姿を見た大岡越前が召し出し、そこからつながりができたというのですが*4。
■ともあれ、昆陽氏は享保(きょうほう)18年(1733年)、幕府の役人として働き始めたようです。そして、享保(きょうほう)20年(1735年)に「蕃薯考」が発表されたらしい。飢饉対策としての薩摩芋の効用と栽培法を説明しているそうです。薩摩芋を救荒作物として推薦する「蕃薯考(ばんしょこう)」は、宮仕えの前にすでに書かれていたとする資料もあります*3。
■大岡越前を介したのでしょうか。暴れん坊将軍吉宗にまでその話が伝わったようです。吉宗は薩摩芋の試作を青木昆陽に命じたらしい。元文(げんぶん)元年(1736年)には薩摩芋御用掛という立場になったようです。小石川薬園(現植物園)とか、千葉県の2箇所ほどで実験が行なわれます。成功したらしい。全国に「蕃薯考」と種芋が送られたそうです*5。
■元文(げんぶん)4年(1739年)には、御書物御用達を拝命したとのこと。書物方として長く勤めたのち、明和(めいわ)4年(1767年)に書物奉行となっています。「わび住まいのほうが気楽だ」なんて言っていたのに、「すまじきものは宮仕え」のはずの公務員になっちゃていたわけですね。ちょっと解せませんけど、将軍吉宗や大岡越前への義理があったのかな。
■蘭学を学べと言われたのも、吉宗からの命令だったようです*3。そもそもは京都で伊藤東涯(とうがい、古義学派(こぎがくは))に学んでいたようです。東涯は伊藤仁斎(じんさい)の長男とのこと。仁斎や東涯の古義学派は、形而上学的な理論ばかりを考えるのではなく、日常生活の実践倫理を重んじたそうです。幕府御用達の林家とは一線を画しているようですね。なお、林家は「はやしや」ではありません。それじゃ「ど〜も、すみません」と三平が出てきそうです。読みは「りんけ」です。林羅山(はやし らざん)などが代表的な人物だそうです。
■青木昆陽は、強めのあばたが残っていたそうです。夏目漱石もそうですけど、そうした顔を昔は「いも」と呼んだらしい。薩摩芋で人々を救ったこともあり、芋先生という愛称で呼ばれていたようです。いま、墓のある東京都目黒区の目黒不動には「甘藷先生の碑」が立っているそうです。これは昆陽が生前にみずから書いたもの、と言われているらしい*1。自分を顕彰する文章を自分で考えたのかな。画像検索するとお墓も見られます。こちらも「甘藷先生墓」と記されています*6。
◆参考*1:書籍「日本史人物逸話事典」文庫初版16〜17頁、鈴木亨編著、ISBN4-05-901109-6、学習研究社
◇*2HP「救荒食物 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%91%E8%8D%92%E9%A3%9F%E7%89%A9
◇*3書籍「世界人物逸話大事典」初版14頁、朝倉治彦・三浦一郎編、ISBN4-04- 031900-1、角川書店
◇*4書籍「想古録…近世人物逸話集」初版96頁、
◇*5HP「青木昆陽 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E6%98%86%E9%99%BD
◇*6HP「万歩計 テーマ別 有名仏閣 目黒不動尊」
http://s-ohtsuki.sakura.ne.jp/purpose/FamousTemple/MeguroFudou-Sub/newpage02-R.htm

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