町人思案橋・クイズ集

アクセスカウンタ

zoom RSS 昭和25年(1950年)と昭和58年(1983年)では、夜空の明るさはどれぐらい違っていたの?

<<   作成日時 : 2013/12/10 06:57   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

画像
★科学★
問題:戦後5年目、昭和25年(1950年)のある日。北海道北見市の近隣の山林で殺人事件が起きたそうです。北見市は、北海道の東側にあります。南西から北東に伸びる細長い輪郭をもつ自治体であり、北東端ではオホーツク海に面しています。海岸線を南東に進んで行くと、やがて番外地(網走刑務所)で知られる網走市に入ります。
■北見市山林殺人事件の容疑者は捕まり、裁判を受けたらしい。判決に疑問があったのでしょうか、事件から33年後に再審が行なわれることになったらしい。現場検証・司法解剖の結果など、さまざまな資料の見直しが行なわれたようです。
■関係者がたいへん苦労したのは、現場である山林の暗さを再現することだったそうです。北見市の昭和25年(1950年)当時の人口は約5万人。昭和58年(1983年)当時の人口は約10万人だったらしい。倍になっていたようです。それだけ灯りが多く使われています。照明のない山林の中にも人工の光はやってきます。当時とおなじ暗さはどうしても再現できそうになかったらしい。
■では、専門家たちが推測した「事件当時と33年後の再審当時の山林内の明るさの差」はどれぐらいだったのでしょうか? いちばん近い数字を選んでください。
[い]現場に届く人工の光の量が約2倍
[ろ]同 約4倍
[は]同 約8倍
[に]同 約16倍
[ほ]同 約32倍
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★科学★
正解:[ほ]現場に届く人工の光の量が約32倍
説明:細かくいうと36倍になっていたそうです*1。人口は倍ですので、1人当たりが発する光の量は18倍にもなっていたということらしい。凄いですね。
■都市光と呼ばれる人工の光は、おもに電力の消費量から推定されるようです。誰がそんなことを調べているのでしょうか。天文台の人たちらしい。彼らは、年中夜空を見上げているわけですが、都市光に邪魔されて観測がままならないことが増えてきたそうです。
■いま、日本国内には、夜空の観測に適する場所はほとんどなくなっているようです。たしかに、スペースシャトルから眺めた日本あたりは、光の量が多いですよね。冬になりますと、イカ釣り漁船が日本海を中心に展開します。その集魚灯の光はびっくりするほど明るい。あの光が雲や塵に反射して天体望遠鏡に飛び込んでくるとしたら、専門家たちが使う高精細な光学式の望遠鏡は無意味になってしまいそうです。
■1ヶ月ほど前、例のアイソン彗星観測の予行演習に、眠い目をこすりながら夜明け前に東南東の夜空を何回か眺めてみました。曙になる前で太陽の影響はまるで見えませんが、地平線に近いあたりは薄ボンヤリと明るい。チリに反射するどころか、直接の光が目や光学機器に飛び込んで来ます。アマチュア天文家たちは、こうした障害と闘っているのかな。勝手に推測し、勝手に同情しました。
■現在、三鷹市には国立天文台が設置されています。そもそもは麻布の飯倉、六本木の東隣あたりに明治21年(1888年)、天文台が設置されたらしい。明治時代とはいえ、どんどん都市化が進んだんでしょうね。移転話が生まれ、明治の終わりごろ、三鷹村に用地買収を終え、大正の初めごろから建設工事を始めたらしい。
■大正時代には、東京の郊外でも都市光はほとんどなかったようです。ところが21世紀のいまでは、三鷹市の人口は18万人余り。当然ながら天文観測に適しているはずはありません。国立天文台は、ハワイのマウナケア山頂にすばる望遠鏡を置いています。これも日本国内に適当な用地が見つからなかったせいなのかな。
■三鷹市についての余談です。三鷹の地名は、かつて徳川将軍家及び御三家が鷹狩を行なった鷹場の村々が集まっていたことと、世田谷領・府中領・野方領にまたがっていたことに由来するとのこと。三領の鷹場だから三鷹になったらしい*2。天文台を置くのにふさわしいほど何もない野原だったのかもしれませんね。
◆参考*1:書籍「色彩の心理学」新書初版2〜3頁、金子隆芳(たかよし)著、ISBN4-00-430134-3、岩波書店
◇*2HP「三鷹市 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%B7%B9#.E5.B9.B4.E8.A1.A8
◇*3HP「国立天文台 | 沿革」
http://www.nao.ac.jp/about-naoj/data/history.html
◇*4HP「国立天文台三鷹キャンパス - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%A4%A9%E6%96%87%E5%8F%B0%E4%B8%89%E9%B7%B9%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9#.E6.A7.8B.E5.86.85.E3.81.AE.E9.81.BA.E8.B7.A1

ぬけられます→科学雑学クイズ一覧

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
2011年3月11日の地震の時は、自宅あたりも停電したのですが、その夜の星空は凄かったですね。
あんなに星が見えたのは子供以来でした。
東京に出てきたときは、晴天のはずなのに星が数えるくらいしか見えないのに驚いたものです。
特に、渋谷のセンター街から見える星が少ないのには驚きました。
ねこのひげ
2013/12/11 02:03
コメントをありがとうございます。

 なるほど。広い範囲で停電があれば、都市光の量が減り、天体観測はしやすくなりそうですね。あんな災害は2度とゴメンですけど。

 東京での天体観測はかなり難しいようです。一時は大気汚染もひどかったですし、もちろん都市光の量も世界最大級でしょうから。
 成人してから石垣島で夜空を見て、ギョッとして鳥肌が立ちました。「星の数ほど」という決まり文句の意味を実感したのは、ひょっとしたら生まれて初めてだったかもしれません。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/12/11 07:49

コメントする help

ニックネーム
本 文
昭和25年(1950年)と昭和58年(1983年)では、夜空の明るさはどれぐらい違っていたの? 町人思案橋・クイズ集/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる