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zoom RSS 関ヶ原の前年、徳川家康暗殺計画を提案したのは誰なの?

<<   作成日時 : 2013/11/09 09:06   >>

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★歴史★
問題:慶長(けいちょう)5年(1600年)の関ヶ原の戦いの1年前。つまり豊臣秀吉が亡くなった翌年ですね。徳川家康の暗殺計画が持ち上がります。義を重んじるという石田三成(みつなり、口絵)の反対にあって、実行はされなかったようですが。
■では、このとき暗殺計画を提案した武将は次の誰なのでしょうか?
[い]毛利輝元(てるもと)
[ろ]小西行長(ゆきなが)
[は]島津義久(よしひさ)
[に]大谷吉継(よしつぐ)
[ほ]島左近(さこん)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]島左近(さこん)
説明:ご存じのとおり、秀吉の側近でいちばん実力があった石田三成は、親分の没後に立場が危うくなっていきます。武断派の加藤清正(きよまさ)・福島正則(まさのり)らは、三成は舌先三寸の男であり、奸物(かんぶつ)にしか見えません。「悪知恵のはたらく心のひねくれた人間」ですね。
■朝鮮出陣の際の武功、苦労が何ひとつ報われなかったのは、三成が秀吉によからぬことを吹き込んだからだ。そう思い込んでいたようです。武断派の武将7人は、ついに三成の暗殺を実行します。大坂屋敷の三成を襲撃したとのこと。ところが、事前に計画が漏れていたらしく、三成は佐竹義宣(よしのぶ)の屋敷に逃げ込みます。襲撃隊が佐竹屋敷に向かったと聞いた三成は、女装して京都方面に逃げ、伏見にいた家康に保護されたそうです。秀吉の死後、勝手なふるまいで豊臣側を怒らせていた家康の元で保護される。石田三成としても複雑な思いだったでしょうね。女装したとき、ヒゲはどうしたのかな。剃り落としたのでしょうかね。
■家康は七武将と石田三成を仲裁します。七武将の襲撃を考え、念のために次男の結城秀康(ひでやす)を護衛につけ、三成の本拠地佐和山城まで送ったとのこと。このとき、三成が礼として秀康に送った刀は石田正宗と呼ばれる名刀だそうです。別名を「石田切込正宗」、刀身に派手な傷があるらしい。現在も重要文化財として東京国立博物館に保管されているとのこと*2。
■家康はただ三成を助けたわけではありません。交換条件の1つとして五奉行からの引退を呑ませたようです。三成の重臣だった島左近(清興、きよおき)は、これでは家康にみすみす天下を渡すようなものだと引退に反対します。そして佐和山城に帰る前に、家康の暗殺計画を提案します。
■家康は京都市伏見区の向島という場所に館を建てていたらしい。伏見城にいると攻めにくいのですが、いまは向島館にいます。まず風上から火を放ちましょう。家康が防ぎかねて退くところを討ちましょう。三成の護衛という名目で佐和山から兵を総動員してかかれば、成功の可能性は十分にあるでしょう*1。江戸時代の逸話集である「常山紀談(じょうざんきだん)」にはそんな話が記されているらしい。
■石田三成は、自身が暗殺されかけたにもかかわらず、闇討ちはよくないなんて思っていたのでしょうか。結局、暗殺話はなかったことになりました。島左近は、その後もいくつか暗殺計画を提案したようですが、三成は首を縦に振らなかったようです。で、結局、その首は慶長(けいちょう)5年(1600年)の秋、関ヶ原の戦いの2週間ほどあとに六条河原でちょんぎられてしまいました。三条河原に晒されたとのこと。
■島左近は、関ヶ原の戦いの後、杳(よう)として行方知らずだそうです。討ち死にしたのかもしれませんし、生き延びてどこかで余生を送ったのかもしれません。筒井順慶(じゅんけい)に仕え、のち石田三成にヘッドハンティングされた武将は、理想主義の親分と異なり現実主義者だったようです。これからは家康の世の中だし、俺の出る幕はない、とばかりに、どこかの田舎で隠居生活を過ごしたのかもしれませんね。
◆参考*1:書籍「歴史を動かした陰の主役たち」初版21〜30頁、BS-TBS「THEナンバー2」制作チーム、ISBN978-4-309-22588-3、河出書房新社
◇*2書籍「歴史の[その後] 石田三成が結城秀康に贈った名刀”石田正宗”は…」初版230〜232頁、新人物往来社編、ISBN978-4-404-03480-9、新人物往来社
◇*3HP「石田三成 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E4%B8%89%E6%88%90#.E8.BE.9E.E4.B8.96.E3.81.AE.E5.8F.A5
◇*4HP「七将 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%B0%86
◇*5HP「島清興 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B8%85%E8%88%88

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
石田光成も、明智光秀のように生きていて坊さんとして隠遁生活をしていたという話もありますね。
豊臣秀頼も鹿児島で島津に匿われていたとか・・・
家康暗殺が成功していたら、いまの日本があったかどうか・・・
ねこのひげ
2013/11/10 13:24
コメントをありがとうございます。

 家康の暗殺は、何度も未然に防がれているそうです。間者の報告が役に立っているようです。
 通信の傍受とかしていたのでしょうかね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/11/10 21:12
徳川家康暗殺計画に、偽物家康さんがいたとか。日本史マニアさんが喜ぶ話しですねぇ。

小西行長さんが出ていますが、知人が、子孫だぜと自慢話❗

やれやれ
sadakun_d
2013/11/15 21:26
コメントをありがとうございます。

 信長の暗殺が成功したわけですから、家康の暗殺計画も多く立てられたんでしょうね。

 その御子孫のかたは、みんなが小西行長を知っていると思っているのでしょうね。実際には認知度はあまり高くないでしょうから、周囲のかたとのギャップに苦しむことが多いのかな。
(^^;)
sadakun_d様<素町人
2013/11/16 09:09

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